From this day

□クロロが家にやってきた
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 この世には、どれほどの犠牲を払おうとも決して叶うことのない願いというものがいくつも存在している。
 だから人はみな、血を吐く想いで叫び続けるのだろう。
 今宵くらいは、どうか神さま。夢であっても構わないから。

 年の瀬も迫る、ある寒い冬の日。
 運命の出逢いで幕を開けたその瞬間から、私の生活は一変した。

 *

 仕事を終えて帰宅し、自室でのんびりと過ごしていた時のことだ。
 突然、頭が割れてしまいそうになるほどの激しい耳鳴りに全身を蝕まれ、私は崩れ落ちるように床へと座り込む。遠退いていく意識に身を任せたままでいる私の視界に突如人の形が浮き上がり、失いそうになる思考の最中必死に目を凝らしていたら唐突に、何の前触れもなく驚くほどにピタリと耳鳴りが止まった。
 二度三度と瞬きをし、どこからともなく現れた男らしき人の顔を認識した途端、私は瞼を見開き固まった。似ているという表現では最早片付けられないほど、かの人物と共通点を同じくしていたその男性。そう、これはまるで、
「クロ、ロ……?」
 そんなはずがない。有り得るはずがない。何度も何度も自分の心に言い聞かせ平常心を保とうとした。だって彼は本の中の人ではないか。いくら焦がれて泣き叫ぼうと一生逢えるはずのない相手であることくらい、誰より私が一番よく理解しているはずなのに。
「なぜ、オレの名を知っている」
 しかし、眼前に佇む彼の存在が事の全てを立証していた。
 静まり返った空間に響く、クロロの低くそれでいて澄んだ心地のよい吐息に全身が総毛立ち、込み上がった涙はいとも容易く流れ落ちる。
 本当に、あのクロロだとでもいうのか。本当の本当に、あのクロロがここへ? その声も眼差しも何ひとつ記憶と狂いはないけれど、これを運命と呼ぶには覚悟が足りず、ただただ私は彼を呆然と見上げたままだった。
 その間、状況を飲み込めずにいるだろうその男性の目線が一瞬だけ四方を巡る。周囲を警戒しているのかもしれない。それもそのはずだ、突如このような場へ実体化するなど彼にしてみれば何らかの攻撃を受けたと解釈してもおかしくはない。
 髪をオールバックに固め、逆十字を背負う見慣れたコートの出で立ちは、よりいっそう二次元との境を曖昧にさせた。願い続けた想いの果てがもしもこの奇跡なら、私は今すぐこの場で死んでもいい。不謹慎にも高鳴るこの胸は、それほどこの男性を想い心から愛した証だ。
「二度、同じ問いが必要か?」
 返答のない私にクロロは言う。この場の空気を凍てつかせるように。コートから決して手を出ぬまま威圧を含む眼光で見下ろされ、そこでようやく私の高鳴りは引き現状というものを直視した。恐怖で舌が回らないのは、クロロが発する重苦しいプレッシャーが要因だろうか。
 それでも私は、あなたを誰より愛していた。
「安心しろ。まだ殺しはしない」
 だからなのだろう。こんな非情な一言ですら嬉しいなんて感じてしまったのは。目の前にしゃがみ込み、私の視線に合わせてくれたのは間違いなくクロロ自身であった。
「ク、クロ……ロ……さん……は……」
 言葉に詰まりながらも、私はあるがままの答えを紡いでいった。それがクロロにどれほどの変化をもたらすかなど何もかも分からない中、時間にすれば十五分程度だろうか。一つの相槌すら貰えないまま、じっとりと汗ばむ手のひらに私の緊張はピークを越えていた。
「……そうか」
 全てを語り終えた後も、クロロの表情に特別な変化はない。
 こんな現実離れした話を信じてくれたということなのか。クロロにとっては正体不明の、私みたいな女の言葉なんかを。もうその身から息苦しいほどの圧力は感じられず、無表情で見下ろしてくるクロロに少しだけ鼻をすすった。


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