JVO 日本バース機構

□*芳恋想*
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 書店内を撮影しつつ、にこにこと見上げてくる愛らしいΩの少年を見遣って、正宗は胸の裡に溜め息を吐いた。

「菅原さん」

 と声がかかったのはその時だ。

 書架の前に立ち並ぶ客の向こう、バックヤードから現れた同い歳の後輩を振り返ると、きゅっと小さな手で正宗の背広を掴んだ潤が隠れるようにしがみつく。途端、後輩の素晴らしく端正な顔が訝しげにしかめられたのは仕方のないことだろう。

「あー…悪ぃな、早乙女。ちょっと待て」

 軽く掌を向けて留める。

「心配すんな、確かにアレはαだが会社の後輩だ。それよかお前、ユージに参考書選んでやるんだろ? 『花時計』も今号はカレンダーがついてんから早めに買った方がいいぞ。ちなみに長崎のフラワーフェスの特集記事、ハルの花の写真多いからな」

「っ…ホント!?」

「おう」

 ニカッと能天気に笑ってやれば、潤のやや青ざめていた頬が弛んで薔薇色に染まる。と、少年は彼の背中越しにおずおずと早乙女を見た。

「い…いきなりごめんなさい。ぼく、αの人がちょっと苦手で」

「ああ…いや、それは…まあ、仕方ないな」

 Ωに苦手と言われたせいか早乙女は少々ショックを受けた様子だが、この際はスルーだ。

「んじゃあ、ユージ。暗くなんねぇうちに送ってやってくれ」

「うっす。任して下さい…てか、このあとまんま勉強見てもらうんで」

「ユージ、今度の期末テストで頑張らないとエスカレーター使えないんだよ。まあ、日頃お世話になってるし、ぼくもそのくらいは協力しないとね?」

「おう。しっかり助けてやれ」

 背中から腰に抱きつく態の潤の柔らかなくせっ毛を、身を捻ってガシガシかき回してやる。嬉しそうに笑う潤が、ふと上目に見上げて小首を傾げた。

「マサさんも?」

「あ?」

「マサさんも、ハルさんに助けてもらったの?」

 高校生の頃に、ということか。

「まぁ、勉強に関しちゃタカも含め俺らはドングリだったかんな。それでも文殊の知恵だったし、集まんのはいつもハルん家のキッチンで、たいていあいつが昼メシとか晩メシ作って食わしてくれたし。俺とタカはもちろんだが、お袋たちも手間が省けて助かってたよな」

「そっか。じゃあ、ぼくも役に立ててそうだね?」

「いや、役立ってるなんてもんじゃねーな。ウチの親、すげぇ喜んでんぞ」

 塾代浮いてんもん。と言う裕二に破顔し、潤は正宗から離れると手を振って参考書のコーナーへと連れ立って行った。

「……誰ですか、今の天使」

「サムイな、おい……純日本人が素で使う形容詞じゃねぇだろ、天使とか」

 言いたくなる気持ちは解らなくもないが。少しばかり熱っぽい目で潤が消えた書架の方を見つめる早乙女に突っ込むと、イケメンαの後輩はバツの悪そうな顔で拭うように顎を撫でた。

「…いえ、その…えらく可愛らしい上に、やたらと清らかな感じだったんで、つい……」

「まあ。素直だし、基本的に他人を悪く言うヤツじゃないんでな。惚れんのは自由だが、まだガキだし困らせんなよ?」

「惚れ…って。事情は訊きませんが、少しアルファフォビアっぽいし。そもそもどう見たってあの子、菅原さんのこと好きでしょう」

「まぁな」

「自覚あるんですね……」

「五年も前に告られてんからな」

 それで自覚できなかったらどうかしている、と思う。

 が。

「俺自身、高校生のガキだったけどな。五年前っつーたら、あいつ十二だぞ?」

「……………う…小学生…?」

「辛うじて中学一年。つーても、さすがに惚れた腫れたを冷静に分析できる歳じゃねぇだろ」

「…………………………………ですね……」

 今現在でも一般的な社会通念に照らし合わせれば、正宗が社会人なだけに交際するには犯罪的な年齢である。

 国際バース機構の定めるガイドラインではαもΩも満十六歳から番契約を結ぶことが許されているものの、これとて決して早期の契約を推奨しているわけではない。

「じゃあ、今はお互い色々な意味で待機中ってことですか」

「だな」

 店内を移動しながら撮影しつつ短く答えると、後をついて回っていた早乙女はふと思案げに足を止めて視線を落とした。

「立ち入ったことを訊きますが。菅原さん、あの子のこと好きですか?」

 やけに真面目な響きの問いかけにスマートフォンから目を移せば、後輩はまっすぐに彼を見つめている。

 潤のことが好きか―――彼に、恋をしているか。

「……嫌いじゃねぇのは確かだが」

 おもむろにディスプレイへと目を戻し、正宗は最後の一枚を撮った。

「イエスにしろ、ノーにしろ。あいつより先に、その答えを聞く権利は誰にもねぇよ」


  ‡  ‡  ‡


「……迷惑、だったかなぁ」

 たくさんの人がこっち見てたよね? と潤が言えば、幼馴染みは「気にするトコそこかよ……」と、呆れたように答えてチョコプレッツェルをかじった。

 先ほどのファッションビルからもほど近い分譲マンション、長谷川家のリビングダイニングだ。教科書とノート、参考書を広げても余りある広々としたテーブルでは、他に家政婦の佐原夫人が淹れてくれた紅茶もいい香りを漂わせている。

「まあ、ガッツリ見られて居心地が悪かったとは思うが。それって迷惑ってほどのコトじゃねぇだろーし。ハルさんだって昔はカラーしてたっつーんだから、あーゆー目にはマサさんも慣れてんと思うぞ?」

「ハルさん……」

 フラワーアーティスト「H∧L」―――正宗の幼馴染みである暖人は、潤にとってもう一人の恩人だ。

 そして、憧れのΩでもある。

「あー…マサさんもハルさんも格好よすぎる……」

 威圧フェロモンが充満する中、αの大男をぶちのめして彼を助け出してくれた正宗は言わずもがなだが。

「凄いんだよ、ハルさんって。後天性で、それも先祖返りだったからまさか自分がΩだなんて思ってなくてショックも大きかったらしいんだけど。なのに、一日でも早くΩの自覚を持とうとして、交付されたその場でカラー着けたんだって。まだ小学生で、もちろん顕現もしてなかったのに」

 きっと、去日までβだと思っていたはずの学校の友達からは凄まじい好奇の視線を向けられただろう。

 潔さの一方で、それでも対極の性別に男として育ってきた主人格の葛藤があったのは、五年前の夏にオンエアされたJVOの公共広告でも語られている。

 男でありながら、子供を産める牝性。

 学校では先天性と知られていた潤でさえ、中等部への進学を機にカラーを着け始めた途端、周囲からの視線の色が変わって慄きのあまり思わず泣きそうになったものだ。

「拓人おばさんもだけど。後天性Ωの男って、やっぱ一次性が強ぇよな」

 うっとりと。いつもにこやかに優しく接してくれる暖人の硬派な一面を開陳すると、裕二は手の中に残っていたプレッツェルを平らげて小首を傾げた。

「お前を見慣れてんから、ハルさん見るとすげぇ驚くコトあるわ。仕事とは言えホイホイ遠出したりとか」

「番持ちのΩはわりと行動的になるらしいけど、ウチのお母さんだってあんなにフットワーク軽くないよ? そもそもお父さんだって、お母さんが出張するなんて言ったら心配して大騒ぎすると思うし。ハルさんの場合は、執事の朝比奈さんがいつも付き添ってるからだからね?」

 とは言え、本能が顕現するとΩは臆病になる。しっかりとしたシスターフッドに支えられていたとしても、番のαから何日も離れて遠方のフラワーフェスに出場しようなどと思う辺り、暖人の肚の据わり方は潤からすると仰天ものとしか言えない。

 しかも、彼の番は世界的に活躍するスーパーモデルの「イツキ」である。

 番のα自身が普段から海外を飛び回っている生活は、はたして心細くはないのだろうか。

「…………ぼく、ハルさんみたいに強くなれるかな…」

 コツッと、額がテーブルに沈む。

 αだからでなく、Ωだからでなく。まず、互いにその人柄を愛して番になった樹と暖人。束縛でなく、信頼で愛情を示すことができるのは、偏に彼らがバースの本能の表出を主人格の理性でコントロールし、互いを支え合っているからだろう。

 だからこそ、この数年来「世界で最も理想的なバースカップル」と称賛され、憧憬を集め続けているのだ。

 正宗は、そんな暖人のシスターフッドとしてずっと彼に寄り添ってきた。

 正宗にとって、Ωと言えば、それはまず暖人のことになる。

 だが出生時診断でバースが確定し、これまでΩであることに疑問を持たず本能を素直に受け入れてきた潤は、それゆえにΩの特性の表出を抑え込むことが苦手だった。

 たいていのαには好かれるが、世のオメガフォビアが毛嫌いする典型的な―――弱い、Ω。

 それでも。

「別に、マサさんはお前のコト嫌いじゃねーだろ」

 凶悪、と言われてしまう三白眼を思い浮かべて、胸の底がきゅうっと甘く引き絞られた時。

 ポキリと新たにチョコプレッツェルを噛った裕二が、何でもないことのように言った。

「………うん。知ってる」

 テーブルの上で頭を転げて幼馴染みを見ると、自然と口許が弛んだ。

「嫌いだったら、ぼくにとって何が一番いいことかなんて、考えてくれたりしないもん」

 そう。

 いささか顔は怖いものの、颯爽と助け出してくれたあの恩人に会える、と。ドキドキしながら広尾駅に近いブックス・スガワラを訪ねたあの日。

「おう、顔色いいな。怖い思いしたってのに、わざわざ挨拶に来てくれてありがとな」

 二階の自宅に上げられて―――ニカッと屈託なく破顔した、その明るい笑みに射抜かれた。

 ………よもや、途端に体中が熱くなって初ヒートを誘発されるとは。

 
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