へいこうのせかい
□流行りにのって? 乙ゲー世界に転生してみた!
〜吉田圭介の災難〜
2ページ/23ページ
(おれヘテロなのにさらにヒキガエルとか! てんこ盛りの愛妾からよってたかって苛められるとか!)
耐え難い末路が用意されてるんだよ、これがぁぁぁぁ!
(いやだ…男に嫁ぐなんて勘弁してくれ……)
同性愛に偏見はないつもりだけど、おれの好みは可愛い女の子だ!
「……お目覚めでしたか、エセルバート様。おはようございます、ご気分は如何でしょう。まずはお水をお召し上がり下さいませ」
入ってきたのは、エセル付きのアラサーのメイド。ベッドの足許を横切るように、カーテンの隙間からは眩しい朝陽が差し込んでいた。爽やかに晴れた朝に、まったく以て爽やかじゃない未来を思って気分は至ってどんよりしてたけど。前世の記憶が蘇った以上、それをメイドに八つ当たりなんかできるわけがない。
「ありがとう、アンナ。きょうは、すっかりいいみたい」
「……え、あ、は、はいっ、よ…よろしゅうございましたっ」
…うん、ビックリするよな。エセルがメイドにお礼言うとか、今までだったらあり得ないし。
でもさ。せっかく(?)九死に一生を得たわけだし。
「あのね、アンナ」
「は…はいっ」
コップの水を半分くらい呷って一息吐く。いちいちおっかなビックリのメイドの反応が、何かもう、ホントに申し訳ない。
「ぼく、いままで、いいこじゃなくて、ごめんね。みんなに、いっぱいしんぱいかけちゃった。これからは、いいこにできるよう、できるだけ、がんばるよ」
「は……はいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」
およそ公爵家のメイドにあるまじき態度だったけど、そこは見なかったことにする。
だってさ。幼児の自我が、いきなり二十歳の大人になっちゃったんだ。死にかけたこの機会に切り換えなきゃ、絶対にあとで破綻する。
アンナの悲鳴じみた叫び声はコテージ中に響いたらしい。エセルの両親であるランズエンド公爵夫妻にギルとヒュー、執事やフットマンまで部屋に飛び込んできた。全員に心配をかけたこと、今までのワガママを謝って反省すると、今度は絶句された。それから公爵の手が伸びてきて、額に当てられる。……熱は下がってるけどな。真っ当な反応だと思うよ。
「本当にこわかったんだな…」
と、気の毒そうにしみじみ言ったのはヒュー。
「ヒューにーさま、ギルにーさまも。ぼくのいたずらのせいで、こわかったでしょ? ごめんなさい」
「俺たちは泳げるからそうでもなかったさ。泳いだことのない小さなお前が落ちたことの方が怖かったよ。だけど…」
「あ…あのね、おひさまがね、みえたの。そっちにいこうと、いっぱいてをかいたら、あがれたんだよ」
「そうなのね。きっと、神様がお救い下さったんだわ」
泳げたことを指摘されたくなくてギルの言葉を遮ると、夫人がエセルと同じ宝石みたいな青い目を潤ませながらおれを抱きしめた。……まあ、あのタイミングで記憶が蘇ったってことは、ある意味そうなのかも知れないよな。
「何だかすっかり大人びてしまったな……。お前はまだ小さいけれど、だが神様が何かをご期待なされたのだろう。お前はその思し召しに立派に応えられたんだ」
公爵が、エセルのプラチナブロンドを優しく撫でた。
「……いたずらしただけの、つもりだったよ。でも、にーさまたちにも、あぶないことだった。ちょっとのつもりでも、どうなるかわかんない。だから、ぼく、いっぱいしんぱいしてくれたみんなを、だいじにしたいよ」
「まあ……」
感極まったらしい夫人がとうとう泣き出したけど、これは本心。
(だってなあ…)
おれ―――吉田圭介が死んだのだって、ちょっと人がぶつかっただけだったんだ。その結果、前世の家族をきっと泣かせた。
それなら記憶が蘇った今、新しい家族や周りの人たちはできるだけ大事にしたい。
「エセル…お前は可愛い私たちの小さな天使だったが……まさかこんなにも大きな喜びをくれるとは」
公爵が、エセルの無事と成長とを神様に感謝する。それから、そばに控える執事に声をかけた。
「ミラー。教会に、正式な改名手続きを」
「はい。どのように」
「ミドルネームを。エセルは事故を機に、神によってあらためて私たちに授かった子だ。新しい名前をつけなくてはな」
それはそれは嬉しそうに微笑って、エセルの目を覗き込む。
「『ケイ』。お前の名前は今日からエセルバート・ケイ・シンクレアだよ」
「ケイ……」
「古い言葉で『喜ばせるもの』という意味だ」
「五国物語」のストーリーは、エセルが王立学院教養学科の四学年に進級した年から始まってる。でも、その時点でエセルにミドルネームはなかった。
(こ…これは……)
何かが変わった。そう思った。
(いける、かも……!?)
すでにここで変わったのなら、この先も変えていけるってことじゃないのか!?
ぶわっ! と、顔が熱くなって、エセルの―――おれの小さな体は興奮に打ち震えた。
「と…とーさま、ありがとうございますぅぅぅぅぅ!!」
ギフトだ! 何かよく解らない、そう、おれをこの仮想世界に生まれ変わらせた「何か」が、チャンスをくれた!
(これ、たぶんマジもんの言祝ぎだ!)
大興奮で抱きついたおれに、公爵…いや、父上は大いに笑って喜んでくれた。
「聖堂であらためて命名の儀式を挙げて頂いて、お祝いをしなくちゃな」
「ええ、そう、ですわね。…ケイ。おとうさまに、プレゼントを、おねだり、なさいな」
「プレゼント……」
きっと緊張の糸が切れたんだろう。急激に退行が始まった母上の、それでも嬉しそうな提案に一瞬考える。
けど。
「え、と…ぼく、おべんきょうがしたい! 『れきし』と『みんぞくがく』と『ごこくぎれい』と、あと『しょどう』!」
何しろΩに生まれついちゃったからな。この世界で結婚に頼らず地位を確立するなら、五国儀礼を修めるのが手っ取り早い!
でも「中の人」の事情なんか知らない家族も使用人も、幼児らしからぬおれのおねだりに、みんなキョトンと目を点にした。
「いや、まずは読み書き計算からだろ?」
と突っ込んだのはヒュー。………うん、まあ、確かにそうなんだけどさ。
(おれ、前世じゃ高校卒業してる上に、会計士の資格まで持ってるからなあ……)
いやいや、志は高い方がいい、と。子供の大言壮語を微笑ましげに笑う大人たちには申し訳ないと思いつつ。
(……だから、全力でシナリオぶっ潰させてもらいます!!)
このあと、おれは父上がつけてくれた初等教育の家庭教師を二ヶ月でお役御免にして、念願の歴史と民族学と礼法とカリグラフィーの家庭教師をつけてもらった。
それから、十一年―――
「ランズエンド公爵が子息エセルバート・ケイ・シンクレア卿。此度、王国の至宝『五国儀礼典範』を世に体現せしむる儀礼師範と相なりし卿を称し、勅許の下、ここに卿一代のリンスター男爵位に叙するものである」
去年の五月祭、宰相サザーランド公爵の宣言とともに、十五歳にしておれはバーネット王国国王ギデオン陛下によって叙爵されたんだった。
ちなみに、その場には諸侯やその名代とともにアラン殿下も王族として列席してたから、おれの叙爵の理由を知らないとは言えない。
そして「典範」の体現者である儀礼師範には、時に国王陛下でさえ頭を垂れて教えを乞うほどの、身分や階級とは別格の権威がある。
「くっ……」
さすがに言い返せないのか、アラン殿下は苦々しく歯噛みして踵を返した。ご学友たちと教室棟の方へ向かうその背を、ボブヘアの女の子がパタパタと小走りに追いかけていく。ソーントン男爵の後見を受けて六月の新年度から魔導学科の四学年に編入してきた、メイ・カビラ嬢、十七歳―――「五国物語」のヒロインだ。
(まあ、ゲーム自体にはデフォルトの名前なんかないけど)
容姿と設定からそうと判る。
チラッとこっちを振り返ったから、それと判る程度に軽く会釈をしておいた。向こうは気づかない振りで「アル様」って呼びながら、他の四人の王子様たちと一緒に行っちゃったけど。
「リンスター、大丈夫かい?」
「お加減にお変りはありませんか?」
やれやれ、と内心で溜め息を吐いた時。緊張が解け、三々五々散り始めた生徒たちのざわめきの中から、深く柔らかな低音と凜とした涼やかな声に訊ねられておれは途端に機嫌を直した。
振り向けば、美しすぎる影が二つ。
「ごきげんよう、ヴィルヘルム殿下。ふふふ、ヘンリエッタ嬢は今朝に引き続きですね。いつもお気にかけて頂いてありがとうございます。でも、何度もお願いしてるように、出来ればケイと呼んで下さい」
流れ落ちる金色の滝みたいな長い髪、明るい空色の瞳は切れ長の目許と相俟ってすっごく怜悧に見える。カーナヴォン伯のご令嬢は、α女性らしく背が高くてとてつもない美人だ。歳はアラン殿下と同じ十八歳。ゲームでは女の子だから攻略対象じゃなかったけど、モブキャラとしては異例の人気を誇ってた士官学科の六年生。学業は優秀、剣術を始めとする武術にも秀でて、同じ士官学科のα男子からも一目おかれてる。もちろん学院内じゃ女生徒からモテまくってて、未来の近衛騎士団娘子隊長って呼ばれてるくらいのイケメン令嬢だ。
そして。
「失礼でなければ、ヴィルヘルム殿下も」
おれが上がった気分のままニッコリ笑いかけると、殿下は白皙の頬を綻ばせた。
「これは光栄だ」
波打つ金茶色の髪、光の射し加減で金色に見える紅茶色の瞳―――前世の日本人ならこう聞いて思い浮かべるのはたぶんほとんどが同じ人物だろう。
スーパーモデルの「イツキ」―――そう、おれの目の前には何とあのトトさんがいるんだよ!
(って言っても本人じゃないけどな!)