IVO 国際バース機構

□いつか、晴れた日の庭で
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 体がままならない中で心細いだろうに、寂しそうにしながらも健気に送り出す弟分が可愛いやら愛おしいやらで、我ながら胸中は大荒れだ。
「週末には帰ってくるよ。ヴィンチも連れてくる」
 幼馴染みで大学の同期でもある親友は、帰省のたびについてきていた双子にとってもやはり幼馴染みである。その上、実の家族がそばにいない今、千里にとって妹の婚約者であるヴィンチェンツォは一番近い身内であった。
「ほん、と? うぇしぃ」
 ぱあっと花咲くような明るい笑みを浮かべる様が幼くて切ない。
 あの夏を境に、恋を知った弟分は急速に大人びていった。もともと家格の高い良家の子息である。素養は当然のように身についてはいたが、番を持つ自覚に目覚めたのだろう。
(まあ、当然か)
 三男とは言え、相手はウェールズの大地主ハリソン本家唯一のアルファ。むろん跡取りと目されていた。その番になるということは、ジェントリ一族の女主人になるということなのだ。
 交流のあった間だけでも、一族中から大切に扱われていたと思う。
 そもそも主人格が優しい性格なのか、アルファにありがちな硬質で権高な印象もなく物腰の柔らかなレジナルドは、おっとりとした千里とたいそうお似合いで、傍目からは穏やかで理想的な番同士に見えたものだ。
 それなのに、どうしてこうなったのか。
 この半年、それを思わない日はなかった。詮ないことと、解ってはいたが。
 他に誰もいないのをいいことに盛大に溜め息をつき、苛立ちに任せて乱暴にエンターキーを押す。と、次の案件を表示する間に、ノックが響いた。
『やあ。ただいま、息子よ』
『父さん、ヴィンチもおかえり』
 北イタリアの夜は駆け足でやって来るが、窓の外にはまだ夕焼けの赤い空が広がっている。どうやら早い便で戻ったらしい。父と親友がヒラリと手を振って踏み入れた。が、表情はやや硬い。
『…で。どうなんだ、センリの具合いは?』
 出張中に義兄が目を覚ましたと連絡を受けて落ち着かなかっただろうヴィンチェンツォが、ハグもそこそこに切り出した。
『経口食が始まったところだ。…が、少し心して聞いてくれ』
 ソファを勧めるバルッダサーレの神妙な面持ちに、父も親友も居住まいを正す。
『ビーノの意識はハッキリしてる。だが、直近五年半ほどの記憶がない』
『っ……!』
 解離性健忘だろうと思われること。耳の聞こえや視野が不明瞭らしいこと。心因性の可能性もあるが、これについては後日詳しい検査を予定していること。
『……何にせよ、今のビーノの自我は、あの夏の茶会前の十三歳だ。視覚と聴覚の異状は熱病が原因の脳のダメージだと言い含めて、カレンダーやテレビ、スマホからは遠ざけてる』
 息を呑む二人にそう告げれば、フランチェスカもヴィンチェンツォも無言のまま天を仰いだ。
『……………つまり、わたしたちは時間を巻き戻して振る舞うということかい?』
『ああ。ただし、ビーノには半年昏睡していたことは話してある』
『ってことは、今は十四になる年の一月か』
『俺たちは大学生でミラノの別邸にいた頃だ』
 思案げに顎を撫でた親友に言えば、ぎょっと目を剥く。
『ちょっと待て、クリスマス休暇は終わっちまったぞ !?』
『……だから、ビーノに会うのは週末まで我慢してくれ』
『マジか……!』
『はははは! その点わたしは問題ないな! 仕事が済んだと言えば毎日でも会える!』
『よりにもよってこんなことでマウント取らないで下さいよ、フランカおじさん!』
『いいじゃないか! お前はチカと婚約して名実ともに身内になったんだから!』
 わたしなんかただのホストパパでしかないんだぞ!
(やれやれ……)
 親友の子、それも息子の自分が懐に入れ弟妹として愛してやまない藤堂家の子供たちは、父にとっても愛おしい存在だ。大人げないとは思うが、バルッダサーレは咎める気が起きず苦笑うしかない。
 しかし、
『……ヴィンチ』
 この時、不意に表情をあらためてフランチェスカが親友を見据えた。
『わたしのアンナはね、仏頂面だが気持ちの優しい息子を遺してくれたんだ。だから亡くした今も…片身の感覚のままでも、幸せな時間を幸せとして思い出せる。きっとお前とチカも、老いた先のその時がきても、ともに生きた時間を幸福だと振り返ることができるだろう。…だが、』
 センリは違う。と、息をつく。
『契約前ではあった。それでも生涯を捧げると心に決めた番を、センリは「いなかった」ことにしなければならなかったんだ。……こんなに悲しいことがあるかい』
 愛した時間を丸ごと捨ててしまわければ、恐らく、遠からず彼の命は潰えてしまっただろう。
 父は、形は違えど番を失ったその喪失感を知る者として、片身となってしまった千里に寄り添いたいのだ。
『わたしたちでしっかりと支えて、ポッカリ抜け落ちたあの子の五年半を別の幸福で満たしてやろうじゃないか』
 平日は任せろ、と。常は冴え冴えとした青い瞳が、柔らかく眇められた。
『とは言え、わたしも出張が多いからな……誰かさんが人見知りのせいで』
『……隠居したバルバラに復帰してもらえることになったよ。それより、そっちはどうだったんだ?』
 チラリと飛んできた非難の眼差しを問い返すことで往なす。と、フランチェスカとヴィンチェンツォの眉が薄っすらと曇った。
『契約の方は問題なく締結したさ。まあ、その後の食事会では色々と訊かれたけどね。…さすがにお膝下だけあって、ロンドンじゃ破局の噂が立ってるらしいよ』
 ロンドンに本店を置き、ヨーロッパ各地に実店舗を展開するアパレルの有名なコンシューマーブランド「Andy & Lue」。その今年の秋冬ラインから、三年間に亘る「ラガーディア」の人気プリント生地とのコラボレーションが決まった。今回はその契約の最終締結のために社長の父と商品企画室の担当者である親友とが渡英していたのだ。
 むろん、世界的繊維ブランドのトップがもてなされないはずもない。ましてや連れのヴィンチェンツォはあの開成ホールディングス総裁の身内である。
 大型契約にしても少々参加者の多い成約祝いの食事会で、「A&L」の役員から千里の消息を訊ねられたのだという。
『外商部とは言えヤツは「A&L」がテナントに入る百貨店の社員で経営者一族だ。その上センリの身内である俺がいるんだし、むしろ話題にしない方が不自然だろう』
『そもそも毎年のこと、夏ともなればあの子を連れてヨーロッパ中に顔を出してたんだからな。蟄居してるんだから当然だが、それが去年はパッタリじゃ悪目立ちもするさ』
 ロンドンの老舗百貨店「ペンノイヤーズ」は、レジナルドの母グィネス夫人が実家から受け継ぎ、現在はハリソン家が経営している。このクリスマス休暇中はウェールズの本邸が色々と催したらしいが、やはり彼の姿はなく、噂の信憑性が増しただけとなったらしい。
『まあ、婚約解消の公表が当初の予定を一ヶ月ばかり過ぎてる辺りが気にはなるけど、こればっかりは定規で測ったようにはいかないだろうしね。わたしたちはカズトシとの打ち合わせ通り、センリについては「少し体調を崩しているらしい」としか言わなかったよ』
『憶測に拍車をかけかねないが、知ったことか。どうせ槍玉に挙げられるのはヤツの方なんだし、そもそも嘘じゃないしな』
 かき上げた褐色の髪をグシャリと握り込むヴィンチェンツォは心底忌々しげだ。当たり前だが、この男も相当キている。
 何しろ正式な番が関係を解消することなど滅多にない。が、その少ない例のほとんどが「アルファがオメガを捨てる」という形で起きている。むろん依頼心の強いオメガがアルファ側よりも遥かに重篤に心身の健康を損なうことから、番を解消したアルファへの世間の風当たりは強い。
『捨てたかどうかはともかく、やらかしたのはヤツだしな』
 バルッダサーレは親友に頷きつつ、おもむろに父に目を向けた。
『さて、父さん。ホストパパの出番だ』
『今この時ばかりは嫌な役回りだけど任された!』
 痛い顔で応えたフランチェスカはスマートフォンを取り出すと、その場で画面に指を滑らせた。


 目を覚ましてからの毎日は穏やかながらも賑やかだ。相変わらず耳に聞こえるのは輪郭のぼやけた響きだが。それでも慣れてきたのか、ぼうっとする頭でもずいぶん内容の理解は速くなった。
 ―――旦那様。センリ様はまだお疲れになりやすいのですから、もう少しお静かになさって下さいませ。
 一日の終わり、毎度テンション高く現れるフランチェスカを都度バルバラが笑顔に青筋を立てて窘める、の繰り返し。その度フランチェスカは怜悧な美貌で大人げなく口を尖らせる。
 ―――大騒ぎはしてないだろう? それにね、バルバラ。厳つい顔のオッサンやら腹に一物仕込んでるようなタヌキ親父を毎日相手にしてるんだよ、わたしは。可愛いセンリに癒やされたいと思うのは自然な成り行きじゃないか?
 いや、ホントに大きな子供かな? と思うようなこじつけには、長い付き合いの老メイドも少々呆れ気味である。
(まあ、どっちもポーズだよねぇ)
 親友から預かっているオメガの子供が文字通り寝込んでいるのだ。大人として放っておくという選択肢はあり得ないし、そもそもシスターフッドのアルファが弱ったオメガに寄り添わないわけがない。
 そばにいるよ、と。
 いろいろ諸々心細くなりがちな自分を気遣っての構ってちゃんな振りに、千里の頬も思わずほころぶ。
『ふふふふふ。おじさま、い…ぱぃ、おしごと、がんばってぅ、もんねぇ』
 すっかり筋肉が落ちていて、腕を持ち上げるのも一苦労だったが。ベッドからノロノロと腕を伸ばせば、とろけるような微笑みを浮かべてフランチェスカがハグしてくれた。
 ―――ああ…君って子はなんて優しいんだ。

 
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