IVO 国際バース機構

□アインとレン
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 精悍で、しかし目許の優しい美貌が微笑む。ちゅ、ちゅ、と額に頬に鼻先に接吻けられて、気恥ずかしさに肩を竦めた。と、わざとらしい咳払いにハッとさせられる。

「…なんだ。まだいたのか、アクバル」

「家臣をダシにしておきながら、ずいぶんなお言葉でございますね」

「うう…アクバル、ごめんなさい」

「畏れ多うございます、妃殿下。お戯れのすぎる陛下がお悪うございますので。…こちらは、お預かりをいたしましょう」

 αと見紛う剽悍な巨躯。恭しく腰を畳んだ従者が蓮の手から取り上げたのは、アインのビシュトゥとシュマーグだ。

 それらを持ってアクバルの巨躯が退出すると、アインはやれやれの態で息を吐いた。

「やっと二人きりだ」

 と言っても、ドアの向こうには交代で常に護衛が立っているし、継ぎの間である蓮の部屋には彼の侍女が控えている。…離宮時代にも思っていたが、どうにも人の気配が近い。ここが王宮で、アインがこのイスマイリアの国王であり、蓮がその正妃で番のΩである以上、仕方のないことではあるのだが…。

「今もまだ慣れない?」

「ええ、まあ…」

 どうも心中を読まれたらしい。照れくさくて曖昧に苦笑うと、夫は長い腕でそっと彼を抱きしめた。

 ふわりと鼻先を掠めるのは、カンドゥーラの襟首から下がる香り房の沈香。そして、コーヒーとココアが混ざったような甘苦いアインの膚の匂い。

「淑やかなあなたには辛いかも知れないな…ごめんよ、もう少し我慢しておくれ」

 アインが即位して半年が経つ。しかしこの十年というもの、彼の異母兄の母親が我が物顔で支配していたがために、先王の後宮はやっと解体できたばかりだ。アイン自身の私的空間としての後宮が整うには、今少し時間がかかる。

 でも。

「ふふ。その頃には、ハリムは遠いと言い出すかも知れませんけれど」

 何しろ、今はドア一枚で行き来できる距離だった。廻廊を渡って離れへやって来る夫を待つのは、どれだけもどかしい時間だろうか。

「本当に可愛いことを言うな、あなたは」

 蠱惑的な番の匂いにうっとりと目を閉じていっそう身を寄せれば、笑みを含んだ嬉しげな声とともに髪へと接吻けが落ちてくる。

「いい香りだ…ファル…ニルーファ。私だけの睡蓮……」*1

「ん…」

 低く優しい呼びかけに顔を上げれば、やんわりと唇が塞がれた。

 温かく大きな手が、蓮の項を包むように撫でる。すっかり髪に隠れてしまったそこに刻まれているのは、命果つるまでともに寄り添うと誓った証。

 引き寄せられ深くなる訪いにゆったりと応える彼を、愛しい番はそっと抱き上げ広々としたベッドへと横たえた。

「ニルーファ…愛してる」

 囁きとともに落とされる甘い微笑みが、蓮の視界を支配した。

  ‡  ‡  ‡

 目覚めは夢の余韻と最奥の甘い疼きとが相俟って、艶めいて気恥ずかしくも幸せな心持ちであった。

 いつの間に下ろされたものか、ベッドは天蓋の帷に囲われていて薄暗い。

 薄闇の中、自分を抱きしめたまま眠る夫を見つめ、蓮はそっとその引きしまった頬を撫でた。

「ふふ。ちょっとだけザラザラ…?」

 アラブの男は身だしなみに余念がない。髭を当たっているのは知っているが、若いこともあってアインの頬は一夜明けてもまだきれいなものだ。

「…髭は嫌?」

 少し掠れた柔らかな声。パッチリと目を開けたアインが、微笑って訊ねた。弛く首を横に振れば、手の中で笑みは嬉しげに深くなる。

「夢を見ました」

「どんな夢?」

「アインがおじさんになった夢」

「…それは微妙だな」

 途端、何とも言えない顔で眉を寄せる夫が可笑しくて、小さく笑う。

「とても素敵でしたよ? 短く刈り込まれた頬髭がダンディで」

 とてもセクシーでした、と言うのは照れくさくてやめておいたが。夫の機嫌を直すのには十分だったらしい。

「とても優しいお父さんになっておいででした」

 手の中で再び微笑むアインにそう言葉を重ねると、彼はゆるりと身を起こして「アブー・フライラ」と頬に祝福のキスをくれた、が。

「…えーと…アイン…?」

「何だい?」

「どうしてマウント…?」

 起こした身でそのまま乗り上げてきたアインを蓮が見上げれば、夫は薄闇の中でもハッキリ判るほど晴れやかに笑った。

「あなたからの誘いを私が断るわけがないだろう?」

「は?」

「あんなに愛おしそうに触れられて、あなたを可愛く思わないとでも? ましてや素敵なルイヤーを見てくれたのに」

 ルイヤー。予知夢、神託の夢。

「正夢にしないとね?」

「え、待って、もう朝…あんっ…!」

 するりと脚を撫で上げられて、思わず身をよじる。

「大丈夫。ハーレフが起こしにくるまでは夜だから」

 甘い囁きとともに唇を塞がれた。はたして、厳格な老侍女頭が聞いたら何と言うことか。

 夫の優しくも不埒な手と、甘苦く蠱惑的な膚の匂いに溶かされて。帷の作る薄闇の中、蓮は再び恍惚とした夜の淵へと引き戻されたのであった。





END


*1 ニルーファ:訳あってペルシャ語(笑)。アラビア語では「ロタス」又は「アラーイス・アル・ニール」=「蓮の花」「睡蓮」の意味。

20190103
 


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