やさしいせかい

□*don't disturb us,we are loving!*
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 西野の、好奇心丸出しのキラッキラな目。日頃は穏やかな子がカッ! となったのが解って、咄嗟に細い肩を抑える。と、我に返った藤代は息を呑んだ。けど、沸き立った怒りと羞じらいまでは呑み下せなかったみたいだ。

「藤代…落ち着いて」

 一歩間違えば泣く−−−そのくらい潤んだ目が胸に痛い。

「…え。マジで……?」

 そっと息を吐いて、狼狽える西野に向き直る。チビの僕じゃ様にならないけど、それでも不躾な目から匿いたくて傷ついた子を背に庇うと、一年坊主はいっそう狼狽えた。

「だとして、何か問題がある?」

「…え。いや、その……え? てか、ハル先輩のカノジョ…?」

「違うよ。藤代の真心に、僕は応えることができなかったから」

「え−−−」

「真心は、面白半分に冷やかしていい感情じゃない。…お前は、少し真面目に礼節について考えた方がいいね」

 行こうって。軽く肩を押して促せば、藤代は素直に歩き出した。西野は絶句したまま僕らを見て立ち尽くしてるけど、僕からはもう言うべきこともない。

 廊下の角を曲がって、そこで一度足を止めた。昇降口。職員室は目と鼻の先だ。

 でも。

「…せめてバス停まで送りたいけど、カラーしてる僕が一緒だと悪目立ちするし。今、タカとマサを呼んだから…今の藤代の用心棒なら、マサがいいかな。バスに乗るまで、一緒にいてもらうといいよ」

 メールしたスマートフォンを振りながら言えば、藤代はちょっと驚いた顔で首を横に振ったけど。

「ダメ。もう暗いし、こんなに頼りない状態でなんか放り出せない」

 そう畳み掛けると、困ったみたいな顔でくしゃっと微笑う。

「…やっぱり王子、格好いいなあ」

「そう?」

「うん…やっぱり好き」

「そう言ってくれた女の子は藤代が初めてだよ。たいていの女の子は、Ωの僕を男のカテゴリから外しちゃうからね」

「あのあと、何人かいたみたいだけど?」

 努めて微笑おうとするところが痛々しい。だけど、それは大事なことだと僕は思う。

「バレンタインのこと? 当然だけど全部お断りしたよ。退行した僕にドン引きしてる子もいて、みんなすぐに納得してくれた」

「う…王子は王子なのに……」

「あはは。でも、それが普通の反応だよ。…ありがとう、僕を見誤らないでいてくれて」

 心からそう言えば、藤代の頬に力の抜けたまろやかな笑みが浮かんだ。その微笑みに、僕も笑顔を返す。

「あのね、藤代」

「うん?」

「西野のことは、無理に赦そうとしなくていいよ」

 頼りないながらも柔らかく笑みの形に眇められていた藤代の目が、途端に円くなった。…うん。普通はそうだよね。

「だけど」

 そう、だけど。

「強がりでもカラ元気でもいい、傷みに囚われすぎないで………藤代の時間が、そこで止まっちゃうから」

 傷つけられたことに囚われすぎれば、自分を不幸に縛りつけることになる。

「無理に善い人になんかならなくていいんだ。だから、今はちょっとだけ頑張って」

 痛みと折り合いをつけて忘れることは難しい。でも、振り切ることはできるから。

「藤代がどんな人か、僕は知ってるから」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜もう。王子ってば、本当に格好よすぎるよ…」

 少し落ち着いてた顔が、立ち上るみたいにまたぽうっと赤くなる。…僕としては、けっこう酷なことを言ったつもりだったんだけど……何か間違ったか?

 うっとりと形ばかりは詰られて、でもどう返せばいいか判らなくて笑って誤魔化す。と、タカ・マサが角を曲がってやって来た。

「おーう。藤代、調子わりーって?」

「うん。バスに乗るまで見届けてやって」

 計ったみたいなタイミングは、たぶんホントに計ったんだろう。

「わーった。地下鉄で待ってろ」

「ごめんね、菅原くん」

「バーカ。ダチが弱ってんのに放っとけるかっつーの」

 ニカッと笑ったヤンキー顔に釣られて、藤代もちょっと笑う。こういうの、武骨で無口なタカにはできない気遣いなんだよね。

「…何でマサがモテないのか、ホント疑問」

「ヴァレット以来ちょっとそれっぽい話もないわけじゃないらしいが…まあ、人は見た目が一番らしいからな」

 結局そこに着地するのか…。

「ところで」

 昇降口を出て行く二人の背中を見送って、タカがチラリと廊下の角に目をやった。

「向こうの角で、お調子者が帰るに帰れなくなってたぞ」

「これから職員室に鍵返しに行くから、その間に帰れるよ」

 歩き出した僕に、タカもついて来る。でも、

「ハル先輩っ…」

 飛び出してきた長身に呼び止められた。

「あの、先輩、オレっ…」

 狼狽えてる辺り、悪気はなかったんだろう。タカの言う通り、西野にはお調子者って評価がピッタリだ。そもそもさっきのだって、恋バナによくあるちょっとした冷やかしだよね。でも、それは誰にでも通用するわけじゃない。

「僕に謝るのは筋違いだよ。藤代に謝るのはお前の誠意次第だけど、悪気がなかったからって必ず赦されるとは限らない。その覚悟だけしておくんだね」

 角の向こうからさざめきが聞こえる。壁の時計を見れば、六時をとっくに過ぎていた。

「完全下校まであと十分だよ。気をつけて帰りな」

 言い訳も謝罪もさせてもらえず呆然とする西野に背を向けて、タカと二人、僕は今度こそ職員室に向かった。

  ‡  ‡  ‡

「いつきぃ〜!」

 このところ梅雨の走りでぐずつきがちだったんだけど。よく晴れた日曜日の朝、僕はミサに誘いに来てくれた樹が玄関に現れるなり抱きついた。

「わお、熱烈な歓迎だね」

「う〜。お願い、ぎゅってして」

「仰せのままに、王子様。キスもする?」

「出勤前で桃ネェがいるからそれはあとでっ」

「…今さらでしょーが」

 生ぬるい目を僕らにくれて、お姉様はお勤めにお出かけになられたよ…。

「それにしても…」

 って。やれやれの態で樹が溜め息をついたのはミサのあと。

「俺のハニーは無自覚に男前を炸裂させて、要らぬところでモテまくってくれるんだから悩ましいよ…」

 車を預けたホテルのカフェ。サラダとアクアパッツァ、たっぷりチーズのピザをシェアしながらの軽いランチは、夜のディナーへの備えだ。

 先週、僕は十八歳になった。スケジュールが合わなかった樹は電話でおめでとうを言ってくれて、僕はそれだけで十分に嬉しかったんだけど。

『日曜はミサのあとにデートしよう』

 何がしたい? って訊いてくれたんだ。

 そこで僕が答えたのが「百貨店での引き出物選び」。と言っても、僕らの結婚式では洋式で一律に「お祝いはお気持ちだけで」ってことにしたから、これは本当に祝福してくれる人たちへの、僕らからの感謝の記念品だ。

 どんなものがいいだろうねって。その時は浮かれてたんだよ、僕も。

 なのに…。

「…僕はいつも通りバッサリ斬っただけなんだけど」

「だから悩ましいんだよ」

 ピザを片手に僕の婚約者は苦笑した。

「だって装うまでもなく素が男前なんだからね。俺はお前のそこが好きなんだし。その一年生だって、お前が傷つけるつもりで言ったとは思ってないから懐いたんだろう?」

「………………………………」

 ………そうなんだよね…。

 あの日、僕が斬った西野にはちゃんと真意が伝わったみたいで、その後に藤代には謝ったらしい。藤代は藤代で、頑張って寛容に振る舞ったみたいだ。

 それはいいんだけど。

「ハルせんぱ〜い! オレも昼メシ一緒していいデスカ!?」

「はぁ!? 何で!?」

「観察したいからデス!」

「観察っ!?」

「ハル先輩ちっちゃくてカワイイのに、今までオレが会った人の中で一番カッコイイからお手本にさせてクダサイ!」

「ちっちゃいは余計だよ!」

 あ。可愛いは許容範囲なんだ、なんて。めずらしく吉田が茶々を入れてきたから、この時は軽くチョップをお見舞いしておいた。でもお陰で「ハル先輩もトモダチにはフツーに絡むんデスネー」とか余計な興味を引いて自爆したんだよね……。

 以来、今週は毎日西野が昼休みに僕らの教室まで乗り込んで来たわけだ。

 これが明日以降も続くのかと思うと、自分でもビックリするくらい深い溜め息がこぼれた。

「…確かに悪い奴じゃないんだけど。ホントにもう、ノリが軽すぎるのは一目瞭然だからさ。田中も矢島も気を遣って、大事な話は全部メッセ入れてくるようになったよ」

 正直、これが地味にストレスなんだよなー…。

「今まで昼休みに式の準備の話とかしてたのに」

 別段、僕は番を約束した婚約者がいることを隠してるわけじゃない。だからって、言いふらすつもりもサラサラなかった。二年生の時もだけど、今のクラスの連中もΩの僕のメンタルが弱いことを気遣って、あるいは去年の文化祭での騒動からそうしたプライベートな情報をやたらとよそに話すようなことはしないでくれてる。

 まあ。江口の一件以降、何がバスハラに繋がるか解らないって慎重になってる連中もいるとは思うけど。それでも「幸せならいいんじゃね?」的な静観の構えのお陰で、恋に浮かれた歳なりの男でいられたんだよ、これまでは。

 
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