やさしいせかい
□*don't disturb us,we are loving!*
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「あ! ハル先輩、もう大丈夫なの!?」
試験明けの月曜日。放課後の化学室に一礼して入れば、周りから頭ひとつ飛び抜けた西野が真っ先に飛んできた。
タカ・マサ並みに上背のあるこの一年坊主はやけに人懐っこい。そのせいか、黒一点のくせに女子ばっかりの華道部にも簡単に馴染んだみたいだ。
それはいいんだけど。
「心配してくれてありがとう、西野。でも、口の利き方には気をつけようか。今は部活動の時間だし、僕の立場は講師だからね」
「う…ハル先輩、キビシイ…」
「こんなのは当たり前ですー。キビシイうちに入りませーん」
「まったくです。普段は気さくな王子先輩でも、月曜の放課後は華道部の講師『小笠原先生』なんですから少しは礼儀を弁えなさい。西野は、華を活けるだけが部の活動じゃないと知るべきです」
今は二年生に進級したかつての一年生ズが、すかさず窘めてペッコリと僕に頭を下げた。
「ご快復おめでとうございますー」
「試験にも間に合われたそうで何よりでした」
「ありがとう。どうにか追試も免れそうだよ」
何しろ追試やら再試になったら、僕の放課後はさらに補習で潰れることになるからね。
僕を講師に迎えた華道部にとっては、活動に影響する由々しき事態だ。
…うん。講師なんだよ、僕。
「実は王子先輩にお願いがあるんですよー」
一年生ズの片割れ、鈴木が間延びした口調で切り出したのはホワイトデー。
「なのでラブコールですが義理チョコです。てゆーか、賄賂です」
なんて。もう一方の片割れ、高岡がマシュマロでもクッキーでもなく季節限定のチ○ルチョコ詰め合わせを差し出してきた昼休み。
「再来年度以降の文化祭対策として、フラワーデザインの講師をして頂けないでしょうかー」
「JRCがチャリティバザーで販売もしてくれましたし、後援部での作品が華道部内でも好評でして。次回以降のクォリティを維持するために、部の総意として来年度に週一程度で基礎のレクチャーをお願いしたく参上しました」
「色々忙しいのにごめんね、王子…」
どうやら事前に阻止してくれようとしたらしい藤代が、申し訳なさそうに高岡の隣で手を合わせてた。
正直、講師ってガラじゃないけど。僕もちょっと思うところがあってさ。父さんと母さんはもちろん、樹やタカ・マサにも相談してからOKの返事をしたんだ。
入院で休んだことを謝ってから前回の復習と今日の課題に取り組む。
華道部の活動自体は年度頭から始まってたけど、僕の講習は新入部員が入ってからの四月下旬スタート。始まっていきなりの休講だったものの、お陰で復習は楽だった。
とにかく文化祭対策ってことで、春休みに作ったレジュメを元にまずは造花のワイヤリングからの技術指導。花の大きさや茎の太さによって、使うワイヤーの太さも刺し方や巻き方も変わってくるから、これだけでも覚えることは結構ある。
それでも、さすがは華道部だった。みんな手先が器用で要領もいい。
……若干名を除いては。
「ハルせんぱい〜ヘルプ〜…」
スプレーマムとグシャグシャになったワイヤーを手に、西野が情けなくも眉を下げて僕を呼ぶ。
「…上から刺して鉤留めするだけなんだけど何でこうなった?」
「や…なんか、グニャッてなって…」
まあ、確かにワイヤーも細いけどね。
どうも西野はこの手の作業が苦手らしい。そもそも中学じゃバスケをやってたって言うし、手仕事の絶対的な経験値が低いんだろう。なのに何でいきなり華道部に入ったのかは不明だけど。興味を持ってのトライアルを頭ごなしにあげつらう気は僕にはない。
それは、可能性の芽を不当に摘み取ってしまうことだ。
外への興味につい二の足を踏みがちなΩの僕が、誰かの前向きな好奇心を摘み取るなんてできるわけないだろ?
「へえ。テーピングは巧いんだ」
「うん。突き指に巻くから慣れてんだよねー」
「それはそれでどうなんだか」
どうにか刺したワイヤーにフローラルテープを巻いて一輪の処理が終わる。やけに自慢げな西野に苦笑うと「小笠原先生」と他から声がかかった。
「鈴木、高岡。西野のお行儀は日頃から見てやって」
「ええぇぇ、そこ!?」
離れ際に蒸し返すと、一年坊主が情けない声を上げる。僕、この点は見過ごすつもりないんだよね。
「承知しましたー、叩き直してやりますー」
「まったく、元体育会系とは思えない礼儀知らずです。とりあえず、まずは今のご指導にお礼を言いなさい」
背筋を伸ばして! 首は下げない! 会釈は腰から! 変な挨拶ばっかり体育会系を気取るんじゃない!
ひぃ〜って。高岡の叱咤に小さく悲鳴が上がった。全部で十人ちょっとの部員がやれやれの態で苦笑いする中、「あーしたっ!」から「ありがとうございました」になるまで何回直されたかな。
もちろん、それに付き合ってる間に待ちぼうけを食らわせた部員には僕から謝っておいたよ。
「…いや、もう、ホント、きめ細かいご指導をありがとうございます」
お陰で、講習を終えたら藤代に深々と頭を下げられた。
「あはは。礼法やってる部にしたら、毛色の違いすぎる部員だよね」
「乗りの軽さに着いていけない感は否めないかな…悪い子じゃないんだけど。次に礼法室でそっちの先生に会うまでには、ちょっとマシにしておかないとだわ…」
「例えばバイトにしたって、社会に出たらタメ語は通用しないしね」
「部活動経験者で、あそこまで上級生相手に砕けてる子って……」
職員室へ鍵の返却に向かう道すがら。悩める華道部副部長は、深い溜め息とともにガックリと項垂れた。
何しろ藤代も、洋式の礼法であるエチケットを身につけた茶道部にライバル意識を持つくらいの子だからさ。華道の芸術性と礼節とは切り離せない、その精神性を含めて「美」だって意識を持ってるんだろうし、西野みたいにフリーダムな後輩は困惑のタネだよね。
「まあ、常にオフの状態みたいだから、部活動がオンの場面だってことを教えていくしかないよ」
「うう…今後ともご協力お願いします…」
頭が痛そうな素振りで呻きつつもそう言う藤代はホントに真面目だ。
その気苦労が思いやられて、つい苦笑いが閃いた時。
「あ、いた!」
飛んできた声に、二人して後にしてきた階段の方を振り返る。
「もー。タエコ先輩ずるいよ〜。オレもハル先輩と仲好くしたいのにー」
先に化学室を出たってのに、どこで油を売ってたんだか。階段を文字通り跳んで下りてきた西野は、愛嬌のある顔でちょっと不機嫌そうにぶすくれた。
(…仲好くって)
何だかな。僕も妙な奴に懐かれたな……。
同じことを思ったのか、藤代もチラッと僕を見て苦笑いする。でも、ここは部の先輩として振る舞うところだと踏んだらしい。
「仲好くするのはいいことだけど。上級生にはせめて丁寧語を使おうか。華道部では礼法も習うから、普段からなるべく実践するよう心がけてね」
「えー。人によって態度変えるとか、オレのポリシーに反するよ〜」
「それと他者への敬意を体現することとは別だよ。表現しなきゃ敬意は伝わらない。むしろお前のユルすぎる態度は侮辱と取られかねないよ」
「えー…」
心外そうにする辺り、こいつはこいつで、誰に対しても一貫した対応で垣根のない平等性を体現してるつもりなんだろうけどね。
案の定、そんなつもりはないんだけどなって口を尖らせる。
「なら、態度で示そうか」
「……う…はーい」
渋々ながらの返事に「よくできました」って言えば、藤代がホッと息を吐いた。
「ありがとう、王子。わたしじゃ、どうも締まらなくて」
「あはは。僕、こう見えて結構バッサリな性格だからね」
「でも、斬りっぱなしじゃないし」
自分のぶった斬りな性格には十分に自覚があるから、いつもみたいに笑ったんだけど。思いがけず柔らかな声に言われて、僕はうっかりマヌケな顔で目を瞬いた。
「王子の指摘は容赦ないけど。でも必ず理由も気遣いもあって、決して突き放してるわけじゃないよ」
だって、それは。
「…見限って切り捨てるのは簡単だよ。だけど、それじゃどこにも未来は残らない。誰のためにもならないからね」
「うん。講習だけでなく、部と部員へのお心遣い、本当にありがとうございます」
スッと下がる頭はわずかな会釈。だけど、藤代の心延えがはっきりと伝わるきれいな礼だ。
「こちらこそ、貴重な機会をありがとう。秋までは、精一杯務めさせてもらうよ」
嬉しいって感じるのは、この子が僕の人柄を受け止めて、受け入れて、講師を引き受けた僕のスタンスを理解してくれてるって解るから。
これが、後援部の活動以来、僕と藤代の間に培われてきた確かな信頼……なんだけど。
「…え。なにそのツーカーな感じの夫婦みたいなやり取り!?」
「ふっ…夫婦!?」
西野のツッコミに、藤代の顔が爆発的に赤くなる。自然と微笑ってた僕の顔も途端に引き攣った。てか、何でよりによって夫婦か!?
「うっわ。タエコ先輩、顔まっかだし! なになに? もしかしてハル先輩のこと好きなの!?」
「なっ…」
「藤代っ」