やさしいせかい

□*strong>tough>bold,but not weak*
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 そう言ってウィンクを飛ばす樹にセミフォーマルな感じでコーディネートされた僕は、完璧なまでにいいトコのお坊っちゃんに仕上がった。首のカラーが、何でかチョーカーに見えるよ…?

「七五三に見えないのが不思議だ…」

「俺がそんなヘマするわけないだろう? ふふ。可愛いよ、ハニー」

 ちゅ、と。軽く前髪を上げたおでこにキスを落として僕をエスコートする彼も、金茶色の髪がよく映える海老茶のハイネックにボルドーのジレ、ベージュのスキニーで髪を上げてる。クリスマスの時みたいに伊達眼鏡をかけてて、かっちりしたスーツの時とはまた違った格好よさだ。

 まあ、「デュ・プレ」のVIPルームにラフな普段着で行くわけには行かないもんね。

 …って。そこまで考えて、気がついた。

(………………そっか…)

 クリスマスのお泊まり以来、樹のクローゼットに僕のための服が用意されるようになって、ちょっと困った気分になってたんだけど。

(必要なんだ)

 樹の生活圏には。

 仕事振りを見せてくれたり、クリスマスミサに連れて行ってくれたり。今までだって樹は折々に僕を彼の生活に触れさせてくれてた。何なら付き合い始めた翌々週には立川のあのお屋敷としか言えない実家に連れて行かれて、ご両親と花梨ちゃんに紹介されたくらいに。

 でも、それってまだまだ序の口だったんだ。

 樹は、ハイソサエティに身を置いている。

 これからは僕も、そこに身を置く−−−

「…ハル?」

 ちょっと見つめすぎたかな。地下駐車場で、当たり前みたいに助手席のドアを開けてくれた樹が立ち尽くす僕に首を傾げた。

「ふふ。俺、そんなに格好いい?」

「…うん」

 当然だよ、そんなの。でも、そうじゃなくてさ。

「樹、あのさ」

「うん?」

「うまく言えないんだけど」

「うん」

「僕、あなたの生活のこと、まだ全然解ってないんだ。だから…」

 ここで一瞬怯んだのは、生まれてこの方ずっと町の小さなお店の子だったんだからってことで大目に見てほしい。

「だから、色々見せて。色々教えて」

 唐突な僕の言葉に、樹の目が円くなる。けど、その目はすぐに柔らかく微笑った。

「…ハル。本当に聡い子だ。でも、気負わないで。ただ、知ればいいんだよ。今まで知らなかった新しいことを楽しんだらいい。それに慣れて当たり前になったら、その時はすべてがお前の身についているからね」

 小さな子がものを覚えていくように、自然に−−−生活における価値観の違いに、僕が臆してしまわないようにしてくれてたんだ、ずっと。

「…うん。ありがとう、樹……」

 胸がいっぱいで。僕にはまだ掠れてる声でそう言うのが精一杯だった。

「さあ、行こうか」

 そう晴れやかに笑う彼にキスを贈って。そして連れて来られたのは、まさしくきらびやかな世界。

 華やかなのに派手じゃないって不思議な感覚だ。

 近くのホテルの駐車場に車を預けてやって来た「デュ・プレ」の日本店−−−国内唯一の直営店は、どう見ても高校生が冷やかしで入れる店じゃなかった。

 何しろショーウィンドーがない。

 通りに面した大きな窓から見えるのは、宝飾品じゃなくヨーロッパのお城を思わせる内装の店内。

(ふわ…ヴェルサイユ宮殿…?)

 お城っていったら他にウィンザー城かノイシュヴァンシュタイン城くらいしか思いつかないけど、「デュ・プレ」はフランスのブランドだから例えとしては間違ってないと思う。

 華やかで軽やか、でも浮わついてない。気品漂うってこういう感じなのかな。

「いらっしゃいませ相澤様、小笠原様。お待ち致しておりました」

「今日はよろしく」

 支配人さんの出迎えを、樹は当たり前みたいに鷹揚に受けた。有能な執事風の壮年の支配人さんは僕にも会釈をくれたから、なるべく落ち着いて見えるように軽く目礼を返す。

 そんな僕らのやり取りに何組かのお客が気づいて、フロアがちょっと色めき立った。

 こちらへ。って、すぐさま通されたのはバルコニーになってる二階奥のプライベートルーム、つまりVIPルームだ。

 瀟奢な、居間を思わせる白とモスグリーンを基調にした部屋。お茶でもてなされて一息吐いたところで、一旦下がってた支配人さんがベルベット張りの箱を持ったスタッフと一緒に戻ってきた。

「相澤様、小笠原様、この度はご婚約おめでとうございます」

「ありがとう」

「ありがとうございます」

 深々とおじきされて、うっかり僕まで最敬礼しそうになるのをグッと堪えて会釈に留める。

「お父様からは、小笠原様がバース婚のお相手でもあると伺いまして、そのようなより大切なお約束の証に当『デュ・プレ』をご用命頂きましたこと、誠に光栄に存じます」

「ふふふ。やっぱり安心度が違うからね」

「ありがとう存じます。私ども『デュ・プレ』には華やかなデザインのジュエリーが多ございますが、小笠原様は男性でいらっしゃいますので、この度はまず比較的シンプルでシックなラインをご提案させて頂きます」

「よかった…前以てカタログを見させて頂いたんですけど、普段アクセサリーの類いを着ける習慣がないから、僕にはどれもきらびやかすぎて」

「左様でございましたか。ですが、お若い男性にはそうした方も多くいらっしゃるかと存じます。殊にフォーマルジュエリーとなればなおさらお着けになるシーンも限られて参りますし」

 ホッと息を吐く僕に微笑いかけると、「失礼致します」と断りを入れて支配人さんは向かいに腰かけた。その前に、きれいな女性スタッフがベルベット張りの箱を置く。お重式のジュエリーボックスだ。三段のそれをローテーブルに広げれば、濃紺のベルベットの上には眩しいほどに煌めく指環の数々−−−

「……ほとんどマリッジリングだね…?」

「ふふ。僕、このセレクト嬉しいな。…お心遣いありがとうございます」

「恐れ入ります」

 ペアで並ぶ指環を見て首を傾げる樹をよそに、僕と支配人さんは以心伝心で。面白くなかったらしい樹はちょっと口を尖らせた。

 そんな大人げない顧客を、支配人さんは華麗にスルーする。

「事前にカタログもご覧頂いたとのことでしたが、そちらで何かお気に召すものはございましたか」

「はい。ここにも出して頂いてる、これ。僕、学校に行ってる間は着けられないけど、これなら普段使いできると思って」

 捻り模様だったり、控えめにダイヤが入ってたり。男が着けても可笑しくないデザインが並ぶ中、僕が選んだのは、模様も石も何もないちょっと幅広なただのプラチナの輪っか。

 だけど、支配人さんはにっこりと微笑んだ。

「ありがとう存じます。こちらは一七八二年の『デュ・プレ』創業以来の伝統を持つデザインでございます。当時はゴールド、もしくはシルバーでございましたが」

「そうだったんですか。幅と厚みがあるから角張るのに、まろやかでとっても柔らかい感じがきれいですね」

「はい。存在感はありながら日常と融和する、豊かで幸福な結婚生活をイメージしたデザインと伝えられております」

「わあ。姉には『デュ・プレ』を普段使いするってどんな贅沢だって言われたんですけど。元々そういうコンセプトなんですね」

「左様でございます。結婚指環の起源は、一説に魔除けのお守りだと言われております。そのため結婚の際に夫が妻へ贈る宝石箱の鍵を兼ねた指環を誂えることもあったそうで、結婚指環そのものが、一度身につけたら決して外さないという概念を持つものなのです」

 なるほど。魔除けなんだ。

 この時、僕の顔が自分でも判るくらい弛んだのを見て、支配人さんは堪えきれなかったのか小さく吹き出した。

「…申し訳ございません。大変、失礼を致しました」

「いいえ。自分でも凄く顔が弛んでるの判りますから」

「お気に召す品をご提案できて、私も大変嬉しく存じます」

 にこにこ、にこにこ。僕と支配人さんが話してる間、でも、何でだか樹は無言のままだった。

 はた、と。それに気づいて隣を見れば。

「…樹、どうしたの?」

 伊達眼鏡の奥で瞠いた目を金色にした樹が、僕を呆然と見てた。

「えーと…あなたは気に入らなかったかな、この指環……」

 実は、僕は気に入ったんだけど、この指環はデザインがシンプルすぎるせいか他のマリッジリングに比べるとかなりお値ごろなプライスなんだよね。飽くまで「デュ・プレ」の中ではってことだけど。

(…αの沽券に関わるとか……)

 恐る恐る僕が覗き込むと、樹はゆっくり瞬きをしてから、

「…ちょっと、びっくりした」

 って、ほんのり微笑った。

 それから。そっと指環をとると、僕の右手の薬指に嵌める。

「ハル。この指環、こうしたら見覚えがあるんじゃない?」

「え」

 マリッジリングを右手にするの? って思って−−−気がついた。

「お…お義父さんとお義母さんの指環だ…」

「うん。だから、びっくりしたよ」

 僕もびっくりだよ!

 そう。樹のご両親、惣一郎さんとソフィアさんは結婚指環を右手にしてるんだ。

「母さんの国では、エンゲージリングとマリッジリングは同じものなんだ。婚約した時は左手の薬指に。結婚すると右手の薬指に嵌める」

「いいな、それ。僕も、できればファーストリングをずっと着けたいって思ってたんだ。…あなたも、着けてくれる?」

「もちろんだよ。お前が選んでくれた魔除けのお守りなら心強いしね」

 
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