やさしいせかい
□*strong>tough>bold,but not weak*
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ご主人様に抱きしめられながらも僕を見上げて尻尾を振るまりやは、ホントに僕に懐いてた。
「ふふ、嬉しいな」
この子にも、僕は家族と認めてもらえてるなんて。
そう思ったところで、近頃考えてたことがふと頭の隅を過った。
「…ねえ、樹。僕、もしかしてって思うことがあるんだけど」
「何だい?」
ソファを降りれば、まりやは僕の鼻にその鼻先を押しつけてくる。親愛のキスみたいだ。可愛いお転婆さんをわしゃわしゃ撫でながら訊くと、樹は小さく首を傾げた。
「クリスマスミサの時にさ、あなたと僕とではお作法が違っただろ?」
「うん」
聖体拝領の時、クリスチャンの彼は神父さんから小さな丸いパン、つまり聖体を受け取るんだけど。これが洗礼を受けてない異教徒の僕だと、神父さんから神様のご加護を祈ってもらう形で祝福される。
だから。
「もしかして僕が洗礼を受けてないと、あなたは神様の前でお式挙げてもらえないんじゃないの? お義父さんがクリスチャンなのって、お義母さんの信教に合わせたからじゃない?」
「一応仏教徒」がほとんどの日本人は、結婚式となると節操なくチャペルや神社で挙式してもらうけど。本来、揺り籠から墓場まで、人生の節目の儀式は同じ宗教が執り行うはずなんだ。
僕の言葉に樹は大きくぱちくりと瞬いて、それから、ばつが悪そうに苦笑した。
「……うん」
やっぱり。
「でも共通の友人を証人に、親しい人たちを呼んで挙げる人前式だって、俺は素敵だと思うよ?」
「樹」
まりやを挟んで、僕は優しい恋人に向き合った。
「僕を気遣ってくれてありがとう、樹。でもね、僕には信じてる特定の神様はいないんだ。確かに僕の家はお寺の檀家だから家族はみんな仏教徒ってことになってるけど、僕自身が得度して戒名を授かったわけじゃない。…それが、洗礼を受けたあなたとの違いだよ」
そう。得度っていうのは、キリスト教で言うところの洗礼と堅信礼のこと。戒名は法名のことで、洗礼名と堅信名を兼ねてる。けど、普通は得度って出家してお坊さんになることだから、檀家さんで得度してるなんて生前葬を挙げた人か、在家僧侶の人くらいなんじゃないかな。
「あれから、信教が違うってどういうことなのかずっと気にはなってたんだ。でも、ここにきて急に婚約の話が具体的になってきたから、少し考えてみた」
「…ハル……」
樹が手を伸ばして、まりや越しに僕の頬を撫でる。
「あのね、樹。敢えて僕にとっての神様に近いものを挙げるなら、それは生まれてからこれまで家族や友達との関わりで培われてきた僕の中にある良心だ。でも、これってどんな人でも同じだろ? あなたとあなたの家族が神様を良心の拠り所にしてるなら、僕はあなたたちの家族として道徳を同じくしたいと思うよ」
撫でる大きな手をとって、僕は自分から頬を摩り寄せた。
「僕は、あなたの神様に堂々と、樹と結婚して相澤の家族になりますって言いたいんだ」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
顔を真っ赤にして。言葉を探してるみたいに唇をむずむずさせて、目を円くした樹が僕を見つめ返す。
でも、出てきたのは言葉じゃなかった。
「え!? ちょ…どうしたの!? 僕、何かいけないこと言った!?」
瞠いて金色になった目のままはらはらと泣き出した樹は、ぎょっとした僕に弛く首を横に振る。突然のことにまりやも心配になったのか、頻りにご主人様に鼻先を摩りつけた。
「…ハ…ル……自分が、何…を言ったのか、解っ…てる……?」
切れ切れの言葉。込み上げる嗚咽を堪えてるんだろうけど。
(…何って……)
あらためて訊かれて、僕自身、敢えて考えないようにしてた言葉が脳裏に浮かぶ。…これを口に出すのって、ちょっとフクザツなんだよなー……。
(でも)
泣かれちゃったら、答えないわけにはいかないよねぇ…。
「たぶん、解ってると思うよ」
どうにも堪えきれなくて、僕は小さく苦笑いした。
「僕は小笠原の家から、相澤の家へお嫁にいくって言ったんだ」
ふるりと、僕の手の中で樹の手が震える。
「僕は、僕らの関係をただ番の間に交わされる結婚っていう手続きだけで完結したくはないんだよ」
だって、樹は僕を見つけてくれた。
「あなたはカラーを着けた僕を見ても、めずらしいΩとしてじゃなく僕っていう人柄を見てくれた。その真心を育んでくれたのは、他でもないあなたの家族だ。あなたが僕の家族を愛してくれるように、僕にもあなたの家族を愛させて」
その気持ちの表れとして、僕は相澤の家の人間になる−−−嫁ぐんだ。
「…ハル………」
ゆっくりとした仕種で、長い腕がまりやごと僕を抱きしめる。
「……お前は…俺を喜ばせる天才だ…」
「ははは。樹って、意外と自分を誉めないよね。この僕に、嫁にいく覚悟を決めさせるくらい夢中にさせてるのはあなただよ? …まあ僕にだって男のプライドはあるから、こんなこと今しか言わないけど」
「ふふ…そう言われると、俺って凄いね。この上もない伴侶を捕まえちゃったよ……」
腕が弛むまで、少しの沈黙があった。小さく震えてたから、泣いてたのかも知れないけど。
「…ありがとう、ハル」
泣き顔のまま微笑う樹は、それでもやっぱりきれいで。ぽうっと見惚れてる僕に、彼はやんわりと、優しくて恭しいキスをくれた。
「くうん」
ふにっと。鼻先を押しつけてきたまりやを、もちろん僕らは二人がかりで抱きしめたよ。
‡ ‡ ‡
二月以降、僕らの婚約・結婚のための下調べやら根回しやらが樹の手配で急ピッチに進められてきたわけだけど。
そのスケジュールは、
「ハルが卒業したらすぐ挙式と入籍! それ以上待つなんてムリ!! 専門学校の卒業までなんて待てないよ、俺!」
…っていう、彼の大人げなさすぎる発言を元に組まれることになった。
樹自身も通信制とは言え大学生で、僕と同時に卒業を迎えるんだけどね。なにぶんとっくに社会に出て高いステータスを持ってるから僕を養う気満々だ。……同じ男としてはフクザツだよ、やっぱり。でも、何しろ色々と桁違いの人だからさ。そこは歳下で未成年の無職だからってことで完全に譲ったよ。
だから僕らの結婚は二年後の三月に決まり。
それまでにやらなきゃならないことは、まず正式な婚約に纏わるあれこれなんだけど。
「結納とか、僕、絶対にヤダ」
…いや、日本じゃ正式な婚約って言ったら結納を交わすのが普通だってことくらい、さすがに子供の僕でも知ってるよ?
でもさ。
バースカップルは、ただでさえΩが嫁扱いだ。女性ならそれは順当だけど、男の僕が実質はともかく形式まで調えられて女性と同じに扱われるとか、正直精神的にはかなり堪える。
「…じゃあ、俺から指環を贈ることで婚約の成立ってことで、秋彦パッパと話を進めていいかい?」
そう言って樹がこの嫁取りのための慣習を省略してくれたのは、僕の矜持を酌んでくれたからだと思う。
これが、リスベスさんから香水をもらった日の晩のこと。
あの時そんな会話があったから、僕の嫁入り発言に感極まっちゃったんだろうな、樹。
…………お陰で一晩明けた今、僕はもの凄くぐったりしてる。
「…怒ってるかい?」
「…………怒ってない……」
明け方からこれで何度目かなこの会話。
明らかにご機嫌を伺ってる彼の口調に答えた僕の声はすっごく嗄れてた。口の中で、のど飴がカラコロ転がる。
……うん。まあ、つまりそういうこと。
(…成立しないえっちで抱き潰されるとか驚きだよね………)
ぐったりしたまま学校の課題をチマチマこなす僕の隣で、ノートパソコンを開いてやっぱり大学の課題をやってる樹に、内心で溜め息を吐く。
相変わらず樹は丁寧に僕を扱ってくれたけど。あなたホントに過去に男の人と付き合ったことないの!? ってくらいに色々としてくれちゃって、昨晩はもうそれはそれは情熱的だったよ……。
「ごめんよ、ハル。あんまり嬉しかったから、つい……」
「…ん。大丈夫だよ」
「今日の店は車で行けるところだし。見に行った後はゆっくりしよう」
「ん」
そう。今日は午後から出かける予定がある。
前に彼が言った通り、指環を見に行くんだ。
…って言っても、さすがに「イツキ」と宝飾店を回るなんて目立ちすぎるからね。お義父さんの紹介で銀座の「デュ・プレ」にVIPルームを予約してある。
(「デュ・プレ」…)
僕でも知ってるハイブランドだよ。世界五大ジュエラー…。桃ネェなんか呑気に「羨ましい…」とか言ってたけど、前以てもらってたVIP用のカタログなんて、プライス欄見るのに勇気がいるって意味では恐怖写真並みだった。
(…うん)
理由はともかく結納ナシにしてよかった。グッジョブだよ、僕。
でも。
スパダリなαとしてはここが甲斐性の見せどころだろうから、あんまり庶民感覚でいてもいけないんだよね、たぶん…。
(むー…悩ましい……)
目星を着けた指環のことを考える傍ら、僕はどうにかこうにか課題を終わらせた。
そして。
ちょっと光沢のあるインディゴのジャケットに、水色のシャツはボタンを二個はずして。デニムじゃない白のスキニーパンツはでもストレッチが利いてて動きやすい。
「ちょっとお洒落して行こうか」