やさしいせかい

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「おがさわらぁぁああ!」

 ガラッ! ビシッ!! って。

 GW明けの朝一番。ものっ凄い勢いで教室の引き戸が開いたかと思ったら、吉田がすっ飛んできていきなり僕の首に抱きついた。

「ぎゃあ!? ナニ、吉田、ナニ!?」

「来た来た来た来た来た!!」

「だから、ナニ!?」

「通知来た! βだった!!」

 途端、教室のあちこちから「おお〜」って声が上がる。

「へーえ。よかったじゃねーか、吉田」

「まったくな。いつ倒れるかって気が気じゃなかったぞ」

「うぅ〜…みなさん、ご心配おかけしましたぁあ!!」

 マサムネとタカヒロが安堵の吐息まじりに受ければ、吉田は教室を見渡してペッコリと頭を下げた。よかったな〜って、チラホラ拍手と祝福が聞こえる。

「あはは。よかったね、吉田」

「うぅぅ…騒いでごめんな、小笠原ぁ。別にΩがどうこう言うつもりはないけど、やっぱ真逆の性別とか受け入れる自信なくてさ、おれ……」

「なに言ってんの。そんなの当たり前じゃん」

 小学四年生から、各学校では毎年四月早々にある健康診断で、出生時診断じゃ二次性別が確定しなかった生徒を対象にした検体の採取が行われる。

 早ければ五月、遅くとも七月までには日本バース機構から判定通知が本人宛てに届くんだけど、吉田は今まで仮性β−−−つまりバースが確定してなかったんだ。

 そう。新学期初日からこいつが沈み込んでたのはこれが原因だった。

「小笠原の前で何だけど、おれ、Ωの判定食らうのが怖い……」

 あの日、そう言って打ち明ける吉田は気の毒なくらいに悄気返ってた。

 だってαの可能性を考えるには、吉田圭介って奴は成績も運動神経も姿かたちも、あまりにも平凡なんだよ。

 だけど。

 ちょうど壁にかかる、表装された書が目に入る。

 「一陽来復」−−−冬を越えてまた春がくること。辛い時期を乗り越えて幸福な時期がやってくることの喩え。

 都の書席会で高校生の部の銅賞をもらったこの美しい書は、なんと吉田の手になる。

 …課題とは言え、いったいどんな気持ちでこれを書いたんだか。

「なまじ芸術方面に見るものがあると、よけいな心配しちゃうよね」

 僕の場合は寝耳に水でΩ確定の通知がきたから、不安も何も全部あとから襲ってきた。

 でも、ほとんどの人が中学卒業までにバースが確定する中、高校生になってもまだβかΩかがハッキリしないっていうのは、特に男にとってはかなりキツイ情況だったろうな。

「もしΩでも、吉田の為人なら大丈夫だったと思うけど。男は初潮の洗礼で軽くアイデンティティが崩壊するからさ。しんどい思いは、しないで済むならそれに越したことないって。ホント、よかったよ」

「…はは……小笠原、さんきゅー」

 ホントにホッとしたんだろう。はにかむ我らが級長は、ちょっと涙目になってた。

 ところで、この時の僕は椅子に跨がって後ろの席のタカヒロと向かい合ってたんだけど。

「いい話で纏まったんなら早く散れ。お前らウルセーよ」

「ああ、ごめん江口」

 軽く謝った吉田が「じゃあな」って僕らに断りを入れて窓際の席に向かう。僕を睨んだ江口が、ふん、と小さく鼻を鳴らすなりそっぽを向くのはいつものことだ。

「はぁ……ったく、ガキかよ」

 呆れた口振りでマサムネが溜め息を吐く。

「別に害はないんだから放っとけばいいって。そんなことより、今日は僕ら確実に当たるからさ。ここんトコ教えてよ。マサ、古典得意だろ?」

 タカヒロと二人で教科書を指せば、納得しかねる風情のマサムネはそれでも「えいでおわしますまじ」を訳して説明してくれた。周りの空気もちょっと悪くなってたけど、それって別に僕に対してじゃないしね。

 中肉中背、髪を染めてるわけでもないし制服をひどく着崩してるわけでもない。至って普通の生徒の江口は、この春からウチの学校に来た編入生なんだけど。何の因果かΩ嫌いの奴だった。江口と小笠原で出席番号が前後してるもんだから席も前と後ろ、カラーを着けてる僕は初対面からものっ凄くイヤな顔されたよ。

 とは言え、目に見えて避けられてるせいで逆にトラブルもない。飽くまで嫌ってるその態度が「バース・ハラスメント的」なだけだから、こんなの今さら僕には痛くも痒くもなかった。



*strong>tough>bold,
        but not weak*




「−−−んー…まあ、具体的な被害がないならいいけど」

 困ったみたいに眉を下げると、樹は僕の髪を撫でた。

 僕が御苑のマンションを訪ねたのは金曜の放課後。ほとんど毎日電話やらメールやらで連絡はとってるけど、こうして彼と直に会うのは、弁護士の泉谷さんと一緒に学校に来てもらった日以来だ。

 あれだって調整に調整を重ねて作ってくれた時間だったし、基本、樹のスケジュールって課題やスクーリングのための休暇以外は仕事で埋まってる。四月はあの後、イツキと亮介さんとが、国内最大手の自動車メーカー「トナミ」のCFとポスターの撮影で揃ってヨーロッパに行ったりもしたから、「華纏」のスケジュールも組めなかった。

 でも。

 実はあの日、彼は僕にこの部屋のマスターキーをくれたんだ。

 もちろん今日は学校から直行。お留守番のまりやに快く迎えられて晩ごはんを作り、一緒に玄関でお出迎えをしたら、樹はめちゃくちゃ喜んでくれた。

 …で。今はリビングのソファで食後のお茶をしながら、まったり学校のことを話したりしてたんだけど。

「お願いだよ、ハル。友好的な相手じゃないなら、決して軽く見すぎないで。十分に気をつけるんだよ?」

 江口の話では、ちょっと心配させちゃったみたいだ。

「解ってるよ。気になるところがあればちゃんと綿貫先生に報告してるし、他のクラスメートはむしろ僕を気にかけてくれてるんだ。何より、タカヒロもマサムネもいてくれるしね」

「うん。俺、タカとマサには本当に感謝してるよ。……お前は本当に人に恵まれてるね」

 撫でる手で僕の頭を引き寄せ、樹がおでこにキスをくれる。……これが、何て言うか凄く嬉しい。

 いや、恋を自覚してからはずっと嬉し恥ずかしって感じで気持ちが浮き立ってたけどね。僕が開き直ったせいなのか、Ωの性質が馴染んできつつあるからなのか、近頃は気持ちが簡単にふにゃっとなって浮き立つよりむしろ落ち着く。

「ありがと、心配してくれて。今のところホントに何ともないけど、もし困ったことがあればちゃんとタカやマサにも、もちろん先生にも手を借りるし。それでもダメなら必ずあなたに言うよ」

「ふふ。素直でいい子だ」

「あなたが教えてくれたことだよ」

 こつりと額を合わせて、樹が鼻先を摩りつけてくる。それに軽く応えると、やんわりと唇を食まれた。

 ひとつき振りのキス。

 繰り返し啄まれただけで溶けそうになる。お伺いを立てるみたいな控えめなノックに訪いを受け入れれば、僕の舌はあっという間に恋人の熱い愛撫に囚われた。

 深くて、でも決して激しくはない丁寧な接吻けに、どのくらいうっとりしてたんだろう。いつの間にか背中が柔らかなソファの座面に沈んでた。

 弛みきった頬を、カラーの項を。大きくて温かな手が滑るように撫でる。真似して弛く抱いてた樹の項を撫でた。やわやわと波打つ金茶色の髪は意外と硬くて、こんなところにも男らしさを感じる。

 悔しいって、ちょっと思わないでもないけど。

「……逢いたかった…」

 この人に、意地を張る必要なんてない。息を継ぐ間に小さく言えば、唇の上で「俺も」って囁きが返った。

「声だけじゃ、全然足りなかったよ…」

「ん…」

 いっそう深い接吻けに、我ながら恥ずかしいくらい鼻にかかった甘い声がこぼれる。でも、さっきからその鼻先に匂うのはスパイシーな香りだ。

「…むぅ…ヒペリカムの匂い……」

「ごめんよ。まだ落としてないから…でも、お前からは俺の膚の匂いがする」

「だって…あなただけの僕だもの」

 樹のお願いを聞いてくれた、リスベスさんからのプレゼント。樹と僕のフェロモンの匂いを再現した香水は、僕らがお互いを近くに感じるために、今では欠かせないものになってる。

「ふふふ…甘いバニラの匂い…お前はいったい何のお菓子だい?」

 ちゅ。と、キスが降ったのは耳。

「食べて確かめたくなる」

 低い、艶を含んだ声に身の内が小さく震える、けど。

「我慢しちゃうくせに…」

「…拗ねないでおくれよ」

 溜め息まじりにこぼす僕に、樹からも苦笑いがもれる。

「機嫌直して。優しく可愛がってあげるから…」

 お喋りはお終い、とばかりに唇が塞がれた。頬を撫でていた温かな手が、僕の体をなぞって腰まで下りる−−−

「わふ!」

 べろん! って。

 ザラッとした大きな舌に、突然僕と樹は舐められた。

「〜〜〜〜〜〜〜まりや…」

 あたしもちゅーするわ! って感じで大好きをアピールする無邪気なまりやに、樹ががっくり項垂れる。……最近パターンになりつつあるな、この展開…。

 だけど。

「まりやはホント、僕らが纏めて好きだよね」

「当たり前だろ?」

 ソファから降りて苦笑いしながら愛犬を抱きしめる樹が、僕を振り返るなりウィンクを飛ばす。

「ハル。まりやは俺がお前を大事にしてるって、ちゃんと知ってる。可愛がってくれるお前が、俺とだけじゃなく自分とも家族になるってちゃんと知ってるんだ」

 
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