やさしいせかい

□*blinds don't fear the snake*
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「帰国したら和食作ってっていうリクエストもらってて。……ほら、行ってるのが辛い味つけの多い国でしょ」

「ふふふ。相変わらずねぇ、あの子」

「茶碗蒸し食べたいって言ってたけど、ギンナン入れられないのがちょっと悔しいんだよね、僕」

「ギンナン! 美味しいのに!」

「時季的にそろそろ菜の花も出る頃だから彩りに辛子和えとかも考えたけど、食用菊のおひたしにするよ」

「もう、どんな甘えん坊に育っちゃったのかしら!?」

 言葉だけは嘆いて、その甘えん坊を育てたはずの相澤家のマンマは可愛らしく爆笑してる。

「でも。仕事先での会食とかでは、きっと苦手なものもニコニコしながら頑張って食べてるんだと思うんだよね、あの人」

「ふふふ。そういうところはαなのよねぇ」

「だから僕もつい絆されちゃう」

「もう…樹ったら、ホントに可愛い恋人を捕まえたわ。我が子ながら誉めちゃう」

「〜〜〜〜〜〜〜それ、僕も誉められてるけど…」

「今もうすでに番の理想的な関係を築けてるんだもの。自信を持って誉められなさいな」

「り…理想的なんだ……」

 嬉しい。でも照れくさい。

 茹で上がった顔で、僕はそそくさと切り終えた大量の賽の目野菜を鍋で炒め始めた。

「……二人とも、それだけ喋っててよく手も止めず調理の手順も間違えないわね」

「え」

「あら」

 不意に話しかけてきた花梨ちゃんに、ソフィアさんと僕が顔を見合わせる。と、奥寺さんがニコニコしながら呆れ顔の女王様に答えた。

「それが慣れというものなんですよ、花梨さん」

「そうねぇ。体が覚えちゃってるのかしらね?」

 と言うソフィアさんは、ついでにみじん切りにしておいたタマネギを耐熱皿に広げてレンジにかける。

「今日のメインはハンバーグだから、タネを作っちゃったらチョコのデコレーションとケーキの仕上げやるよ、花梨ちゃん」

「焼き上げは旦那様のお帰りに合わせて私が致しますよ」

「ありがとう、奥寺さん。これで樹の仕事振りをのんびりチェックできるわ〜」

「……何なの、この連携…」

「あら。これがΩのシスターフッドよ」

 特に打ち合わせもない僕らの流れるような分業と阿吽の了解にやや引き気味の花梨ちゃんへ、ソフィアさんがウィンクを飛ばす。

 シスターフッドっていうのは、群性動物の雌同士が群の中に構築する相互扶助のシステムだ。主に近い血族で構成されるけど、Ωに当てはめた場合は友人や、奥寺さんみたいな使用人も含まれる。奥寺さんはβだけど、長年相澤家に仕えてるベテランの家政婦だから、ソフィアさんにとってこんなに心得てて頼りになる人はいないだろうね。

「保健の授業でも習うけど、実際に機能してる状態を見る機会はそんなにないかもね。日頃の経験と観察で機能する辺りが、実に母性とか牝性っぽい有機的なシステムかな。僕の家では、普段は僕が母さんと桃ネェを家事で補助してるけど、学校の試験期間とかは僕が助けてもらう方だよ」

 言いながら、僕は鍋にトマト缶と水と固形スープの素を入れて蓋をする。隣の火口で小鍋にバター、砂糖、水、丸っちく切った人参を入れて火にかけ、沸いてきたスープ鍋の火を調節すると平たい笊とさやいんげんを乗せてまた蓋をした。その間に、ソフィアさんはサラダの支度だ。奥様の楽しみを邪魔しないよう奥寺さんは控えてるけど、いつの間にか電気ケトルにお湯を沸かしてお茶の支度を始めてる。うん、さすが!

「…パソコンとテレビを繋いでくるわ」

 きれいな唇を尖らせて、花梨ちゃんが席を立った。レトリバー二頭がその後についていく。

「……傅かれることに慣れてる子だから、人を使うことは知ってても、自分から動くことには慣れてないのよねぇ」

「あはは。こればっかりは本人がその気にならないと『やらされてる感』しかないし。でも今、気がついて自分にできることをやりに行ったから。これが始めの一歩でしょ」

「花梨さんはお小さい頃からお手伝いやら何やらにはあんまりにも興味をお示しにならないんで、ちょっと心配でしたけれど。ようございました」

「きっと、樹がハルに甲斐甲斐しくするのを見て当てられたのね。ハルはそれ以上に樹のために色々と心をかけてくれるから、羨ましくなったんだわ」

「ええぇぇ!?」

 僕らってそんな風に見えてるの!? いや、樹が僕に甘々なのはホントだけどさ! 僕、結構バッサリな対応が多いと思ってたんだけどな!?

「…うわ、恥ずかし………」

「あら。自慢してもいいくらいよ? αのきょうだいが憧れる番だなんて、最高の身内認定だもの」

「ふふふ。樹さんと暖人さんは本当に仲がおよろしくて、旦那様と奥様を見ているようです」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

 ありがとうございます……って。僕は蚊の鳴くような声しか出なかった。

  ‡  ‡  ‡

『ちょっとハル! 俺が一緒に過ごせないバレンタインデーに花梨とお菓子作りってどういうこと!? しかも凄く美味しそうなんだけど!?』

 半べそをかいたみたいな声で樹から電話が入ったのは、「ギィ」のトークイベントが始まる直前だった。

 ……どうも、仕上げたチョコとケーキの写真を撮った花梨ちゃんが、それを樹にメールで送ったらしい。

「えー…だって花梨ちゃんだよ? 態度はともかく、お父さんお母さんにお菓子をプレゼントしたいって殊勝なこと言われて断れると思う? 未来のお義兄ちゃんとしては、ここは義妹に手を差し伸べるべきだよね?」

『う……それはそうだけど! 花梨だけズルイ! 俺もハルと一緒に作りたかったよ、バレンタインのお菓子!』

「だって、あなた仕事でしょ。帰国したら二人で作ろう? サワラの漬け焼き好きだよね? 茶碗蒸しにはギンナン入れないし。菊の花のおひたし、黄色がいい? それとも紫?」

『…黄色……』

「黄色ね。お菓子はやっぱりチョコがいいかな? それとも、ごはんに合わせて和スイーツにする?」

『え…!? ハル、和菓子作れるの!?』

「難しいのはムリだけど、小豆餡とか白玉くらいは普通に作れるよ」

『わお! じゃあ、白玉あんみつがいい! ハル、一緒に白玉あんみつ作ろう!?』

「解った、白玉あんみつね。でも餡子は時間かかるから土曜か日曜じゃないとだよ?」

 桧山さん、土日オフ調整お願い! って声が聞こえた。その向こうに、女の人の盛大な笑い声がする。もう! 笑わないでよ、リスベス! って…リスベスさん、日本語解るんだ!?

 何か色々と恥ずかしい会話を海の向こうに提供しちゃったみたいだけど、これはもう仕方ないよね……。

『…すみません、お電話替わりました、桧山です』

「あ、桧山さん! ごめんなさい、余計な手間かけさせちゃったみたいで!」

 がっくり項垂れたタイミングで「イツキ」のマネージャーさんが電話に出て、僕は居住まいを正した。

『とんでもない。ハルくん、グッジョブです。その前からグズグズしてたんですが、メールを確認した後イツキさん暫く魂が抜けてましたんで』

「えー…」

 たかがお菓子作りでどこまでショック受けてるんだよ……。

「何か子供っぽいワガママ言ってそうですけど、樹のことお願いしますね、桧山さん」

『いいえ。むしろハルくんのお陰で以前よりムラッ気がなくなりましたんで、マネージメントサイドとしては感謝しております。期末の事務所の打ち上げの際にはご招待致しますのでぜひご参加下さい』

 ちょっと、桧山さん! ハルのことナンパしないで!? って、悲鳴じみた叫び声が聞こえた。今ののどこがナンパかな!?

『ハル、中継見ててね! 頑張って仕事済ませて早く帰るからね! 愛してる!!』

 ちゅ! ってリップ音の後、怒濤の電話は切れた。

「………態度はともかく……………」

 ぷくくくく……と。お腹を抱えてリビングのソファに沈んだのはソフィアさんだ。奥寺さんも口許を押さえて下を向いてる。花梨ちゃんだけが、取り澄ました顔で紅茶を飲みながら聞かなかった振りをしてた。…うん。状況の説明としては、我ながらなかなかポイントを押さえてたと思うよ。

 時計の針はあと五分で七時を指す。時差が一時間だから中継先は夕方の六時前。リビングの大きなテレビは花梨ちゃんのノートパソコンと繋がってて、画面には「ギィ」のオフィシャルサイトが映し出されてる。

 ここで中継が始まった。

 店舗内でのイベントってことで、営業は五時でクローズ。いま店内にチラチラ見えてるのは、オフィシャルサイトで事前に行われた抽選に当選した三〇名の招待客。トークショーはこの三〇名のみを相手にしたまさしくプレミアムイベントってわけだ。

 一瞬ざわついた店内に現れたのは小洒落たスーツを着た長身のイケメン。英語でされた挨拶に司会進行役って解ったけどちょっとビックリ。この海外四号店の支配人だって。

「えー、若い」

「どう見てもαね」

 トークも英語でされるらしい。招待客には同時通訳を聞くヘッドセットが渡されてて、ネット中継ではそれが流されるみたい。…まあ、僕らには逆に解らないけど。

“…では、本日ご来場頂きました幸運な皆様、ゲストのご登場です。拍手でお迎え下さい!”

 
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