やさしいせかい
□*hide the idol's true colors!!*
6ページ/7ページ
「高梨さんにとっては完全に他人事でしょう」
「解ってるから、そこで突っ込まないでよ桧山さん」
もうっ。と軽くぶすくれながら返信を打つ。
『トラッドに説得の催促されたけど断ったよ。どうにも解ってもらえないみたいだから、「華纏」次作の撮影は予定通りよろしく。 イツキ』
ぽんっとタップして送信を終えると、ルームミラー越しに桧山さんと目が合った。
「『華纏』の撮影と発表に事務所は一切関与しませんが。スタイリストとしてのイツキさんの評価が高いことから、今のところ社長は善しとしています」
「ふふふ。ハルに関して俺が手を抜くなんてあり得ないからね」
「結構なことです。人情的にもビジネス的にも喜ばしいお相手として、事務所側はあなたがこのまま無事ハルくんを口説き落として、晴れて番になれることを祈っています。……ハルくんに捨てられるような事態はぜひとも避けて下さいね」
「……祝福されてるはずなのに素直に喜べないのはなんでかな…」
がっくり項垂れてぼやけば、今までの中身のない交際歴をお忘れですか、と返された。むぅ…。
まあ、何にせよ。事情を知る側はみんな味方というわけだ。
(もちろん日頃お世話になってる仕事相手を敵認定したいわけじゃないけどねぇ…)
でも、それとこれとは話が別だよ。まったく……初めから顔と名前を伏せてる意味を考えてほしいよね。
金になれば、被写体の伏せた正体を暴いてもいいってわけじゃないだろう?
でも、残念ながら正体を金と名声で買おうっていう考えらしいから、俺も亮介さんも容赦はしないことに決めたんだ。
そして、一月の最終週。
画面を彩る、ゆきやなぎの白、さざんかの紅−−−
「華纏」の新作が亮介さんのサイトにアップされるや、あれだけネットの海を沸かせていたモデル探しの熱は忽然と消失するように終息した。
「へー…ホント、あっという間だね」
びっくり、と。ベッドに腰かけた俺の腕の中でスマートフォンの画面を見ながら、愛しい子が吐息のように呟く。
小笠原家の、ハルの部屋。
今日は、お台場であったバレンタインに向けての提案イベントを終えて夕方からお邪魔してる。
なにぶん俺の仕事が仕事だから、外で会うのはなかなか難しい。むしろハードルが高いはずのお家デートの方が、俺たちには定番だった。
お陰で、仕事から帰ってきたモモがハルだけじゃなくマスター、マダムとも食卓を囲んでた俺を見て、
「あんたをウチのキッチンで見るの、段々違和感なくなってきたわ…」
…って、複雑な顔だったけどすっごく嬉しいことを言ってくれたんだ!
−−−で。今は食事も終えて、恋人の時間。俺たちは「華纏」のモデル探しに沸いてたはずの掲示板やサイトを検索してた。
日頃、ハルはあんまり流行りを気にする方じゃないらしい。でも、さすがに知らないところで自分が話題にされてるとなると話は別みたいだ。
「…あ、ここもダメだ。去日は見られたのに」
なんて言うところを見ると、けっこう気にしてチェックしてたんだろう。
今でも「華纏」「モデル」「誰?」とキーワードを入れればそれこそ驚くほどの数の掲示板やブログがヒットする。けど、新作発表から二日経った現在、それらは軒並み閲覧不可になっていた。
つまり、サービス提供会社が該当するサイトやBBSをロックしたってこと。
…そう。俺たちは撮影の際にハルにカラーを着けてもらって、顔と名前を伏せた少年モデルがΩであると公表したんだ。
亮介さんのサイトのギャラリー、「華纏」最新作の下にはこうある。
※モデル本人の了承のもとに掲載しています。今後モデルについて一切の詮索はご遠慮下さい。
バース・リテラシーΩ性の権利保護に関する基本法協力:
JVO 日本バース機構 …暗にこれ以上の詮索は法に抵触する恐れあり、と匂わせるリンクを張りつけたのは、俺の顧問弁護士による案だ。
この表記を受けて、騒ぎの発端となった芸能情報番組のサイトでも「華纏」を扱った番組アーカイブの何本かが閲覧不可になったらしい。
『トラッドから謝罪一本入りましたー!(笑) これで心置きなく遊べる! ハル、さんきゅうな(^_-)-☆ 高梨』
「俺の方にも、編集長から『無理を言って申し訳なかった』ってメールきたよ」
ハルのスマートフォンに着信したのは、まるで鬼の首を取ったみたいな亮介さんのメールだった。それを覗き込みながら言えば、ハルは下がり眉をいっそう下げて困ったような顔になる。
「…なんか、元の騒ぎより凄いことになってる気がするのは僕だけかな?」
「なに、世間に問題提起したって思えばいいさ」
「ええぇぇ…そういうもの?」
「そういうものだよ」
実際、俺の弁護士が今回の件の扱いについて見解を求めたJVOからは、Ω性への啓発に繋がる事案だって回答があったからね。
「んー。そっか…」
俺の言葉に、ハルは思案に宙を見ながら小首を傾げた。
「でも。クリスマスの正餐で、次の『華纏』でカラーを着けてもらうかもって言われた時には、さすがにちょっとびっくりしたな」
「怖かったかい?」
「僕自身はなんともないよ。ただ、Ωの写真を正面から扱うことで亮介さんが叩かれないかなって心配だったんだ」
「そのためのJVOのリンクさ」
実は今回の件で見解を求めたのを機に、こちらからJVO側に亮介さんへのインタビューを提案したんだ。テーマは「写真家から見たバース・モデルの美」。もちろんボランティアだよ。
完全ではないにせよ、こうして啓発活動に協力する形をとることで、被写体がΩだと解る作品公開への批判は封じることができるからね。
しかも発表の場はプロの写真家のサイト。転載・転用不可の表記はもちろん、全作品にコピーガードがかかって基本的に拡散も不可能なんだから安全度が違う。
「……あなた、そういうこと全部自分で考えて手配したの…?」
背中から抱きしめてる俺を振り返って、ハルが吐息まじりにそう言った。……何かな、その呆れたみたいな顔は。
「サイトのセキュリティが高いのは初めから知ってたよ? 騒ぎの対処については、大体のアイディアは出したかな。足りない部分は弁護士が補完してくれたけどね」
それがどうかした? と訊けば、
「なんか樹って、思わぬところでαっぷりを発揮するよね……」
いや、助かるんだけど。なんて、ちょっと口許を引き攣らせる。
「そう? それなりのステータスを持った大人が本気で遊んでるんだ、このくらい普通だよ」
「普通!?」
僕の思う普通とはかけ離れてるよ!? って。何でここでキレるのかよく解らないけど、俺は宥めるようにハルをぎゅっと抱きしめた。
「今回は亮介さんの顧客が絡んだから信用に気を配らなきゃいけなかったけど。仕事とかお金とかを抜きにして『撮りたいものを撮りたいように撮る』っていう、亮介さんには譲れない部分があったんだよ。……それは、表現者としての心の自由だ」
ハルのまろい頬に、自分の頬を寄せる。
「心の不自由が辛かったりもどかしかったりすることは、お前ならよく知ってるだろう?」
二次性別を理由に、Ω性の人たちは自らの行動を制限してしまいがちだ。それは、一見朗らかなハルにも当てはまる。
Ωだからしちゃいけないことなんて、本当なら何もない。もちろん向き不向きはあるし、αやβに比べて一手間も二手間もかけなきゃならない不便が生じることもあるだろうけど。
本当に諦めなきゃいけないことなんて、そう多くはないはずなんだ。
「俺ね、『こんな機会、滅多にないし』って笑うお前が凄く好きだよ」
「最近はもっぱらあなたがその機会を与えてくれるけどね」
「俺はただ、俺の仕事や友達や、俺が今までどんな風に過ごしてきたかを知ってほしいだけなんだけど」
小さく苦笑するハルに、俺も小さく苦笑を返す。それから、そっと腕を弛めて彼のこめかみにキスをした。
「でも、それがお前の世界を広げるのなら、俺はいつだって手をとって一緒に歩くよ」
「ありがと、樹。…僕も、あなたにとってそんな風になれたらいいんだけど」
「なってるさ! 俺、初めてだったんだ、日本らしい日本のお正月!!」
「………変わったことは何もしてないけどね…?」
「ふふ。でも、俺の知ってる年越しとは全然違うよ」
先達ての年越しは小笠原家にお招き頂いて、大晦日から元旦にかけてしっかり「日本のお正月」を堪能させてもらったんだ。
のんびりまったりしてていいね、日本のお正月。年越しそばも美味しかったし、マダムとモモとハルで作ったお節料理なんて最高だったよ。
「立川では今でも父さんが母さんの習慣に合わせてるから、年越しは主に母さんの友達を呼んで賑やか…って言うか煩いくらいのパーティなんだ。ニューイヤーと同時に庭で花火を打ち上げるから、その時にはご近所さんもお招きするよ」
「あはは。日本のなんちゃってクリスマスと逆転した感じだね」
「うん。クリスマスは家族と過ごす日だからね」
その日に、ハルは立川の俺の実家に来てくれた。…俺がどんなに嬉しかったか解るかな。しかもそこで贈られたのは、俺たち家族でお揃いの聖書のカバーだったんだ。