やさしいせかい
□*hide the idol's true colors!!*
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(…なに喜んでるんだよ、もう………)
付き合い始めて四ヶ月。今夜は御苑の樹のマンションに初めてのお泊まりだ。
……とは言っても。僕はまだ、自分の二次性別を受け入れ切れてない。
もちろん樹のことは好きだよ。それは初めから変わらないし、今はたぶん……いや、確かに彼に…恋…してる…と、思う……。
けど。男としての僕の矜持は、そんな樹に対してもまだ体を開くことを善しとはしていないんだ。
彼とキス以上のことをする自分を想像したことがないわけじゃないよ? むしろ恋人なんだから妄想なんて当たり前だよね? もうめちゃくちゃドキドキするよ。でも、いざ自分が組み敷かれる段を思うと、途端に怖くて萎えるんだ……。
こんな状態で今なにかあったら、やっと再構築した僕のアイデンティティはまた崩れ去る。
樹を信じてないわけじゃない。彼は歳上の恋人らしく僕を大事に扱いながら、それでも少しずつ触れ合いを増やしてゆっくりと恋の作法に僕を馴らしてくれている。
(…あなたに触れたいんだよ)
あなたに触れてほしいんだよ、僕は。
なのに怖いんだ。
(せっかくのお泊まりなのに…)
溜め息を吐きたくなった時、案内の信徒さんに起立を促された。
やがて始まった厳かなはずのミサを、羞恥と煩悩とに逆上せ上がった僕の頭はほとんど覚えてない。時々立ったり座ったり、天上の調べかとも思うパイプオルガンの響きと聖歌隊の歌にハッとしたり。
ただ、前以て言われてた聖体拝領の時だけは正気に戻った。……だから、余計なことを感じたのかも知れない。
拝領の列に並んで神父さんの前に進んだ樹が左手を右手で支えて差し出すと、「キリストの身体」と言われて小さなパンを授かる。“Amen.”と答えた樹はすぐにそれを口に運んだ。
でも信徒じゃない僕はこれを真似しちゃいけない。洗礼を受けてないことを申告してから合掌して軽く頭を下げると、神父さんは僕の頭に手を置いて「神様の祝福がありますように」と祝福してくれた。
……祝福されたのに、胸の底がきゅっと引き絞られたのは、ただの僕の…聞き分けのない子供の我が儘だ。
「−−−ハル? 何かあった?」
聖堂を出てから、僕は持て余した気持ちの遣り場に困ってやたらと樹に引っついた。初めは単純に喜んでた彼も、御苑のマンションに着いて、さあ後は寝るだけって段になってまでピッタリくっついてれば、さすがに僕の様子がいつもと違うことには気づく。
…でも。
「なんにもないよ」
気遣わしげな眼差しにも、他に答えようがなかった。だって、本当に何もなかったんだし。
日付の変わる時間に始まるミサに出たから、元気なまりやももう自分のベッドで寝てる。
静かなリビングのソファで僕に寄り添ってくれてる樹のきれいな眉が少し曇った。
「そんな風には見えないよ?」
うん。そうだよね。
「……馬鹿なこと言っても怒らない?」
「んー…俺が怒るようなことを考えてるってこと?」
「解らない。けど、自分でも馬鹿だなって思うのに、気持ちがついて行かれないんだ」
「話して」
言いながら、樹は向き合うように僕を膝に乗せた。彼の項に腕を回して、僕から軽くキスをする。
「……聖体拝領の時さ」
「うん」
「当たり前だけど、あなたと僕とではお作法が違ったでしょ」
「うん」
「それが悲しかった」
「…ハル……」
紅茶色の目が大きく瞠いて、金色になった。
「解ってるよ? 頭ではちゃんと解ってるんだ。あなたの神様は自分を異教徒に押しつけなかっただけ。僕のあるかないかの信仰にちゃんと配慮してくれただけだ」
だけど。
「それでも、あなたの神様の前で僕はあなたと同じには扱われない、何かが大きく違うんだって思って……寂しかった…」
自分で思ってた以上にショックだったみたいだ。言葉にしたら、情けないことにポロリと涙がこぼれた。
「ごめんなさい…馬鹿なこと言ってるって、解ってるんだけど……」
「謝らないで…謝ることじゃないよ、ハル」
樹の大きな掌が僕の頬を包んで、親指の腹がそっと涙を拭ってくれる。
「…ああ……どうしよう、嬉しい………」
吐息のように呟いて、樹はそうっと、それはそれは恭しく僕の唇にキスをした。
「お前が泣いてるのにごめんよ、ハル。…俺はね、今まで俺がどんな風にクリスマスを過ごしてきたか、ただ知ってほしくてミサに誘ったんだ。それこそ、たくさん来てた他のカップルみたいに、お前にはただのデートだと思ってもらってかまわなかったし、そのつもりだった」
こつり、と。額を合わせた樹が、まるで祈るみたいに目を伏せる。
「なのにお前ときたら……お願いだよ、謝らないで。信教の違いを寂しいって感じてしまうほど、お前は俺に寄り添ってくれてる。寄り添いたいと思ってくれてるんだから」
そして、そっと瞼を開けた目が、しっかりと僕の目を捉えて柔らかく眇められた。
「ありがとう。俺…いま凄く嬉しいよ」
喜色の浮かぶきれいな色の瞳に嘘はない。そのことが嬉しくて、ホッとして、僕はぎゅっと樹に抱きついた。
「ん…よかった…」
応えるみたいに抱きしめ返してくれた樹の腕が、不意に大きく動く。と、僕を横抱きに抱え直した。
「昼には立川でクリスマスの正餐だからね。そろそろ休もう」
「…え。う…あ…い、樹……?」
「何もしないよ。でも、抱きしめて眠ることは許してくれるだろう?」
そのまま有無を言わさず自分の寝室に運んだ僕をベッドに下ろして、樹はダウンライト以外の灯りをすべて消した。僕を抱えるようにして上掛けの中に入ると、ふと小さく笑う。
「…ごめん、キスはしたい」
「ぶはっ。それ今さらじゃない?」
「んー…そうかな?」
悪戯に笑ってウィンクを飛ばす樹に首を傾げれば、彼は柔らかく僕の唇を啄む。幾度も、幾度も。お互いに繰り返せば、軽い接吻けもやがて思考を蕩けさせてうっとりと吐息の熱を上げ−−−
「…んんっ」
不意に、樹の唇が長く僕の唇を塞いだ。
(へ!? な、なに…!?)
息を求めた口内に滑らかな温かいものが割り入って、僕の体が意図せず跳ねる。唐突な訪いは、まるで懇願するみたいに縮こまった僕の舌を優しく撫でていらえを求めた。
でも、息が続かない。
胸を軽く叩くと、名残惜しげに唇が離れる。
「…怖かった……?」
「ちが…息…できな……」
「ははっ。息は鼻でするんだよ」
恐る恐る訊いたくせに。荒れた呼吸の僕を笑って、樹は僕の鼻の頭を指で軽く突っついた。
「怖くないなら、大人のキスを続けてもいい?」
お…大人のキス……。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
追い立てるんじゃなく、許しを乞うような優しい愛撫−−−そう優しい、その蕩けるような感触が口内に甦って、僕は頭の天辺まで茹で上がった。
「ダメかい?」
ちょっと眉を下げた樹に、慌てて首を横に振る。
「……お…大人のキス、教えて…?」
「…って、ハル……」
何て言うかどうにも恥ずかしくて、僕は遠回しにキスをねだった。そうしたら、なんでだか樹まで照れたらしい。彼の白い頬が、ダウンライトの薄明かりでもハッキリ判るくらいに赤く染まった。
「…お前……どこでそんな誘惑の仕方を覚えてくるの………」
「ええええぇぇぇぇ………」
単にあなたより前に僕には恋人がいなかったってだけのことだよね!?
なんでそうなるのって。僕の下がり眉が余計に下がった情けない顔に、樹が小さく苦笑する。と、もう一度、吐息がかかるほどに顔を近づけた。
「お前が怖くないように、優しく教えてあげるよ……」
艶めいた宣言は、僕の唇の奥に消えた。
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