やさしいせかい
□*hide the idol's true colors!!*
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ミサの間は何曲も讃美歌を歌うみたいだ。聖堂の扉は閉まってるけど、時々音楽がもれ聞こえてきた。
“寒くない?”
キャメルのコートにカシミアのストール。変装になってるのか解らないセルスクェアの伊達眼鏡−−−夜目のせいなのか、はたまた教会っていう場所柄のせいなのか。一緒に次のミサを待ってる人たちの目には、どうやら樹はただのイケメン外国人に映ってるらしい。いつもはゆるやかに顔にかかってる前髪をオールバックにして、ちょっとお堅い感じなのもいいカムフラージュになってるのかも知れないけど。
“大丈夫。お腹と背中にカイロ貼ってるから”
“え、二つも?”
“筋肉質で体温の高いあなたと違って、僕は冷え性だから冬の外出は念入りなんだよ”
“わお…”
…なんて感嘆も、ちょっと普段と違う。人出のある場所で留まってるから、僕らはさらなるカムフラージュのために英語で話してた。
“ふふ…お前が英会話できてよかったよ”
聖堂の中のミサが進んでいくにつれ、外で待つ人が増えていく。そんな周りを見渡して、樹が小さく笑った。
何しろ僕の家は有栖川記念公園のすぐ近くだから、店のお得意様には定期的にセッティングに伺う大使館の他に、そこに勤める個々の外交官や近隣にある外資系企業の駐在員、そういう人たちの家族なんかもいる。きっと花を贈ったり飾ったりが当たり前なんだろうね、ウチの求人広告には「英会話必須」って書くくらい個人のお得意様は頻繁に来店してくれるんだ。お陰で、僕や桃ネェも他の勉強はともかく英会話だけは小さいうちからしっかり習わされて身についてるよ。
“………僕も、まさかこんな風に役に立つとは思ってなかったな…”
何しろ鬼ごっこの時とは関係性が違う。
超有名モデルが、詰め詰めの人混みの中で今はまだ秘密の恋人と大っぴらにナイショ話、なんて。ここが日本である以上、例え小声でも日本語じゃできないからね。まさに「芸は身を助く」−−−“Learn a trade, for the time will come when you shall need it.”だ。
しかも。
今の今まで、歩いてきた時のまま僕らはポケットの中で手を繋いでたはずなのに。その手がほどけたかと思ったら、僕は当たり前みたいに樹の長い腕に背中から抱きしめられちゃったんだよ! これじゃ会話の内容で誤魔化すとか絶対にムリだし!
“ふふふ。ハルはホントに上手だよ。でも、今は俺っていう恋人といるんだから。こういう時は寒いって答えなきゃ”
“…ナニ言ってるの。てゆーか、ナニやってるの。ダメだってば……”
“どうして? 今日は急なお客様があったじゃないか。いちゃいちゃし足りないよ”
ちゅ、と僕の髪にキスが降ってきて、すぐ近くの人たちがちょっと息を呑むのが解った。
“ハグと親愛のキスだけだよ。……お願い、拒まないで”
“〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜”
……“Please”って、何かなこの破壊力! こんな会話、日本語でしてたら周りの人が砂糖吐くし!? 耳慣れた言葉で聞いたら声で樹の正体バレちゃうかも知れないし、僕ホントに英語喋れてよかったと思うよ!
すっかり茹で上がって大人しくなった僕に機嫌をよくしたらしい樹は、遠慮なく僕の髪に頬を寄せる。そこで、また聖堂から音楽が聞こえてきた。
“閉祭の歌だ。もうちょっとでミサの参列者が出てくるよ”
その言葉通り、待つほどもなく扉が開いてわらわらと参列者が出てくる。
案内に従って入れ替わるように中に入れば、そこは奥行きも幅も高さもあるやたらと広い空間で。祈りの場を意識してなのか、照明はかなり控えめだった。
それでも目立つ人は目立つんだね。
祭礼ってことで正装を意識しすぎたのか盛装になっちゃってるご婦人とか、逆にダメージジーンズで気軽過ぎるお兄さんとか。
適度な間隔で着席する信徒席だと、外で待ってた時には気づかなかったようなことも目についた。
“冷えるけど、ストールだけは外そうか”
この場の礼儀は、クリスチャンの樹に倣うのが無難だ。今日の僕の服も彼が選んでくれたし。何の疑問もなく“はい”って返事をしかけて、でも聞こえてきた声に僕は思わず動きを止めた。
−−−ねぇ、あの人みて。
−−−わ。外国人だね、格好いい。
(…しまった)
目立つ人がここにもいたよ!
“ハル、どうした?”
“…あ、や、その……今日の僕の服、カラー見えるんだけど。僕が目立ったら、一緒にいるあなたも注目されて身バレしちゃわないかな……”
ただでさえ、今は例の花冠の件でイツキは世間で話題になってる。身バレしたらこの場を騒がせることにもなりかねないし、何よりフリーのαである彼が明らかにフリーと判るカラー着用のΩを連れてるとなったら格好のゴシップネタだ。
“…大丈夫だよ”
僕の言葉に一瞬きょとんとした樹が、眼鏡の奥で気遣わしげに紅茶色の目を眇めた。
“不安にさせてごめんよ、ハル”
言いながら、その手を伸ばして僕のストールをとる。露になった首はカラーをしてたけど、織り糸そのものが最先端の防刃繊維でできたこの防具は軽くて通気性がいいから、途端に熱が逃げて僕は膚を撫でた冷気に小さく身震いした。
“怖い?”
“ううん、ヒヤッとして。カラーって、全然あったかくないんだよ”
“わお、そうなんだ。俺が生まれた時には母さんはもうしてなかったから知らなかったよ”
そりゃそうだよね。例外はあるらしいけど、番ができたらカラーなんてしないのが普通だ。
肩を竦めた樹は畳んだストールを僕の膝に置くと、両の掌でそっと首筋を包んでくれた。
“俺の仕事のことで、お前には色々考えさせちゃってるね。夏に一度外してくれたことがあったけど、俺と一緒の時でも、お前にはできるだけカラーをしててほしいんだ”
うん、アクシデントがあったからね。それに、そもそも僕がカラーをするのはすでに日常で、却ってしない方が落ち着かないからそこに否はないよ。
“あの時にもお前はゴシップを気にかけてたけど。実は、むしろカラーをしてる方がメディアには取り沙汰されにくいんだ”
“……は?”
え、なんで? って思ったのが、ハッキリ顔に出たらしい。樹が小さく吹き出した。
“Ωの権利が法的に手厚く保護されてるのは知ってるだろう? どのくらいかって言うと、特にプライバシーの侵害や精神的苦痛をめぐって訴訟になった場合は、まず被告に勝ち目はないんだよ。ネット上で写真や個人情報が拡散しようものなら、プロバイダーやサービス提供会社も罰則の対象になる”
“え、じゃあ…”
“うん。芸能情報番組や写真週刊誌にとって、Ω性の人物に対する取材は一種のタブーなんだ”
……ヒート休暇が欠席や欠勤の扱いにならないとか、学校では必ずその間の補習授業をしてもらえるとかは当然知ってたけど。
“さすがにそこまでは知らなかったなー…”
“公的な規制の上に、さらにメディアの自主規制がかかるから事案にもニュースにもなりにくいしね”
言いながら、樹は掌を滑らせて今度は僕の頬を包んだ。
“人の口に戸は立てられないけど、お前は安全を優先して。俺といることで、Ωであることをマイナスに考えないで”
額にかかる僕の髪に、ちゅ、と可愛くキスが落ちる。
“万一なにかあっても、俺が必ず守るよ。顧問弁護士にも対策は練らせてるから、お前は心配しないで。俺に全部任せて?”
“うん、ありがと……”
てゆーか。
“……顧問弁護士?”
“うん? 事務所にはマネージメントを頼んでるけど、仕事柄肖像権とかギャランティとか色々トラブルの種はあるからね。他にも会計士とか、俺個人として専門家を揃えて事務所とも密に連絡を取らせてるんだ”
“……………………そうなんだ…”
実績は国内屈指、超有名モデルのセレブリティ。
いや、知ってたよ? 知ってたけどさ。
(…僕、もしかしなくても、とんでもない人と付き合ってる………?)
…なんて。ちょっと唖然とした僕に小首を傾げた樹が、この時ふと何かを思いついたみたいに眼鏡の奥で目を瞠いた。
“…い…トト?”
樹、と言いかけて呼び直す。「トト」っていうのは、彼のお母さん方の親戚が呼ぶ樹の愛称だ。
身バレ防止策がちょっと怪しくなったけど、でも「よくできました」とばかりに樹はパッと頬を綻ばせた。
“ふふ。ちょっと思いついたことがあってね。明日聞いてくれるかい?”
“うん? 明日でいいの?”
“もちろん。だって今夜は、初めて一緒に過ごす夜だろう?”
“〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ”
無粋なことは考えたくないよって。僕の頬を捉えたままで陽気にウィンクを飛ばされたけど。
(…い…樹のばかぁ! 緊張してきちゃったじゃないかー!!)
−−−きゃー。赤くなってる、なに言われたのー!?
−−−あの外人さん絶対αだよね!
−−−契約前のバースカップルって初めて見たーっ。
−−−イヴにラブラブとか羨ましいっ……!
“ふふふ。俺たちのこと、羨ましいって”
ガッチガチに固まった僕をよそに、樹はご機嫌でもう一度僕の髪にキスを落とす。と、小さな聖書と聖歌集を膝の上に用意した。