やさしいせかい

□*傷を越えてきたお前が、俺に与えてくれたもの*
4ページ/9ページ

 

「ところでイツキくん。さっき記者さんたちに何言ってたの?」

 イツキが入るなり奴と親しげに挨拶を交わしていた祥が、俺の手からが堺に渡ったペーパーバッグに気づいて中を覗き込みながらそう訊いた。

「ん? 近況報告だよ。JVOの広告がオンエアされてから、よく順調ですねって声がかかるんだ」

「ああ、見たよー。ハルくんの顔が見えそうで見えないって、あれカメラワーク巧いねえ」

「………何の話だ?」

 耳を疑うような内容に、自然と眉が寄る。敢えて訊けば、「ああ、そうか」と軽く目を瞠いて祥が笑った。

「お前、このところずっと忙しかったから、ろくにテレビも見てないんだろう。イツキくんとハルくん、日本バース機構のPRフィルムに出てるんだよ」

「………………………………」

 ……なんだと…?

「…正気か、貴様?」

「ん? もちろん、至って正気だよ」

 きょとんと目を円くして首を傾げるイツキの様に苛立ちが込み上げる。

「暖人は貴様の番だろう。望んでカメラの前に立つΩならともかく、奴は違う。敢えて晒すような真似をする意味が解らん」

「んー…言いたいことは解るよ? でも俺、ハルを守りたいとは思うけど、閉じ込めたいとは思わないんだよね」

「っ……」

 閉じ込める。

 その言葉に思わず怯んだ時だ。

「コーヒーを淹れました。召し上がりませんか?」

 測ったように桧山女史の声がかかって、そこで漸く、部屋に満ちる豊かな香りを感じた。

「正直、バース機構から企画書がきた時は、俺、どうしようかと思ったよ」

 ありがとう、と。桧山女史からカップを受け取ったイツキは、ゆったりとソファに背を預けたまま足を組んだ。倣うわけじゃないが、俺も気を落ち着けるべく深く凭れて、どことなく甘く感じるモカの香りを静かに胸に吸い込む。

「だって確実に俺のせいだし」

「ぶはっ…何やらかしたの、イツキくん?」

 俺の隣にきた祥が、イツキの言い種に吹き出した。すると、イツキは無駄にエレガントな仕種で溜め息を吐く。

「バース課に婚約の報告した時、担当官に馴れ初めとか色々訊かれてうっかり惚気ちゃったんだよね、俺。…で、届いた企画書はバッチリ反映された内容でさ」

「馬鹿か、貴様……」

「…イ…イツキくん、浮かれすぎ……」

 コーヒーのカップを危ういところでローテーブルに置いた祥が体を折ってソファに転げ、俺は額に手を当てた。暖人…お前、本当にこの男でいいのか……。

「でも。同じ年頃のΩの気持ちを代弁できるならって、最終的にOKを出したのはハルだよ?」

「ああ…うん、あれは…おれにも覚えがあるなあ…」

「でしょ? 結構な反響みたいでさ。やってよかったって、ハルにも達成感があるみたい。これもいい経験だよ。もちろん、あの子が身バレしないように制作段階から撮影に至るまで凄い口出ししたけどね、俺」

 ソファに転げたままどこか懐かしそうに呟いた祥に、イツキが屈託のない笑顔で答える。

「明らかにやらない方がいいことなら俺だって止めるよ。でも、あの子がやりたいと思ったことがどこまでやれるものなのか、そのラインを一緒に探して手助けするのは、俺にとっては手間じゃない」

「特に今回の依頼は公共広告で社会貢献の一環ですし、モデルとしてのイツキさんのイメージアップにも繋がる物件でした」

 唐突に、だがイツキの話を淀みなく引き継いだのは桧山女史だ。

「顔を映さないことが必須条件でしたが。ハルくんの全体的な容姿と肉声での二人の会話シーンを公開することで、ファンやマスコミに対する『見るなのタブー』を避けるのは、戦略的にも有効な攻めの防衛だと考えます。マネージメント側として、協力を惜しむべきものではありませんでした」

「…なるほど」

 小柄な、どちらかと言えば可憐な印象の桧山女史が眼鏡の奥の目をギラリとさせて、呟く俺の後ろに控えた堺を見据える。

 マネージメント側は何をしていた。頭を使え。提案をしろ。タレントを守り、なおかつ商品価値を高めるのが所属事務所の仕事だろう−−−同じ職務に就く者としての苛立ちが見てとれた。

 …背ばかり高くてあまり気の強い方じゃない堺だが、案の定彼女の鋭い眼光に息を呑んだのが解る。

 しかし、だ。

「桧山さん、堺くんのことあんまり睨まないでやってよ。どうせ快のことだから、『自分で何とかする』とか言って、全部断っちゃったんだろうから」

 いつの間にか身を起こしていた祥が、苦笑しながら肩を竦めた。

「…………」

「わーお、図星なんだ。カイ、お前どこまで自分本位なの」

 自分の力で成し遂げる−−−その思いで行動した結果が、この評価か。

「目的のために誰かの手を借りることは恥じゃないよ?」

 
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ