やさしいせかい

□*looking for the idol*
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(何がどうしてこうなったかな……)

 ごった返す関帝廟通りに背を向けて橋を渡り、代官坂から丘の上へ登る。ご機嫌な樹に手を引かれて歩きながら、僕はなんだかジワジワする自分のおでこと頬っぺたに内心で首を傾げてた。

 キスされるとか、たぶん赤ちゃんの時以来だ。何しろ十二歳でΩ判定を受けた僕はそれからずっとカラーを着けてきた。お陰で見た目も気持ちも男のままなのに、周りの−−−特に女の子たちに、僕は男のカテゴリーから外されるという憂き目を見てる。

 もちろん女の子とお付き合いなんてしたことないよ。この先も予定はないから魔法使い決定かも知れない。だって、初めて告白してくれた人は男の人でその上αだし。

(絶対この人、自分が突っ込む側だと思ってるよねー…)

 半歩前を歩く樹のきれいな横顔を見て、身も蓋もないことを考える。……自分で考えといて顔が熱くなる辺りが僕も子供だ。

「…ん? どうかしたかい?」

 僕の視線に気づいてか、樹が軽く振り向いた。キャスケットから覗く金茶色の髪は天然の色でホントにきれいだ。筋肉質で僕より体温が高いのに、白いおでこがひんやりした大理石を思わせてとっても涼しげに見える。

「んーいや…樹はやっぱりきれいだなと思って」

「わお。その赤いほっぺは、俺に見惚れてたってこと?」

「…まあ、そんなとこ」

 下世話なこと考えてたなんて言えないけど、嘘じゃない。

「ふふ、嬉しいな。ハルは俺の顔も好きなんだ」

「きれいな人とか物とか、嫌いな人はいないんじゃない?」

 もちろん人それぞれ好みの差はあるけどさ。

「じゃあ、俺の顔のどこが一番好き?」

「んー…」

 ギリシャ彫刻みたいに彫りの深い目鼻立ちもきれいだし、冷たい印象になりがちの薄い唇も血の色を透かした赤味が鮮やかでむしろ情熱的だけど。

「…やっぱり目かな」

「目?」

「うん。紅茶色なのに光の射し加減で金色に見えて、まるで琥珀みたいだ」

 外人墓地の白い墓碑群を右手に見ながら、僕らは人の流れに乗ってのんびりと歩いてた。樹がその歩みをふと止める。と、僕の顔を覗き込んでちょっとだけサングラスを下げた。……うわー。イケメンが悪戯な顔の上目遣いとか、何これあざといっ。

 でも、

「あ、ほら…って、自分の目だから見えないね」

 強い陽射しに、今まさに樹の瞳は上等の琥珀みたいに煌めいてるのに。何だか凄く残念だと思ったら、金色の琥珀が長い睫毛にふわっとけぶった。

「見えるよ」

「え?」

「ハルの目に映ってる。……でも、今の目は琥珀じゃなくて蜂蜜かな」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

 蕩けるみたいな微笑みに、僕の顔がまた熱を持つ。悪戯な顔はどこ行ったんだよって心の中で悪態をついたら、お見通しだったのかすぐに口許でニマッと笑うなり、樹は僕の頬っぺたにキスをした。

 わお、と聞こえた小さな感嘆を振り返れば、そばを通りすぎた外国人のカップルだ。微笑ましげなその人たちに、樹が狼狽えるでもなくパチンとウィンクを返す。

「俺たちのこと、ステディだと思ってくれたみたいだね」

「まあ、手ぇ繋いでキスしてたら思うよね……」

「ハルは…イヤかい?」

 外堀を埋められた感がハンパない。溜め息を吐く真っ赤な顔の僕を連れてまた歩き出しながら、樹にちょっと不安そうな声で訊かれた。

「イヤって言うか…複雑、かな」

 だって。

「僕、男だし。恋ってずっと女の子とするものだと思ってたから。けど初恋もまだ知らないうちにΩ判定くらって、女の子たちは僕を男として見なくなっちゃったんだ。そうなると、僕も女の子をドライな目で見るようになったしね」

 だから、僕は恋を知らない。どんな気持ちかもよく解らない。想像はできなくないけど、実感はきっと得られない。

 繋いだ樹の手に、少しだけ力がこもる。

「それは、寂しいことだと思わないのかい?」

「味気ないとは思うよ。でも無い物ねだりしても仕方ないでしょ?」

「…ホントにドライだね」

「んー…僕、ちょうど一年くらい前に初めてヒート起こして初潮を迎えたんだけどさ」

 がっくりと前に落ちた樹の頭が跳ね上がった。振り向いた白い頬が染まってるのは振った話題のせいだろうね。

「ヒートが明けてぐったり寝てたら、今度は初潮でシーツが血の海なんだよ。あの瞬間、もう色々と諦めたよね」

 だってさんざん欲情して吐き出して、ティシュー何箱使ったのって状態から一転してサニタリーナプキンのお世話になるんだよ?

「それまでは、友達がみんな男らしく背が伸びてガッシリしていくのが凄く羨ましくて妬ましかったんだ。僕だって男なのにって」

 だけど、僕にそんな成長期はこない。それを思い知った。

「軽くアイデンティティが崩壊しかけたけどね。手に入らないものをほしがったって意味がないって知ったんだ。現状を受け入れる方が建設的だよ。……だからって、簡単に折り合いがつくわけじゃないんだけど」

 墓地を過ぎて、ちょうど谷に張り出してるバルコニーみたいな場所だった。僕らの歩みはそこで止まってて、大勢の観光客がそばを通りすぎて行く。

 樹はサングラスをしてても呆然としてるのが解った。誰しもバース教育は受けてるから知識としては知ってたはずだけど、α男性には絶対にないことだからびっくりさせちゃったかな。でも僕が特別なわけじゃなくて、初潮のショックは二次性徴期にΩ判定を受けた男が必ず直面する洗礼みたいなものだ。

「樹は、僕と恋人になったら何がしたい?」

「……え…と、キス…」

「だけじゃないよね?」

「うっ…はい……」

「うん。正直でよろしい」

 健全な成人男性が恋人とキス止まりの関係なんてムリだよね。そのくらい僕にだって解るよ。

「でもね。あなたに限らず、僕はまだボトムとして誰かを体の中に迎えられるほど自分の二次性別を受け入れられてはいないんだ」

「…………………………………ハル…」

「…って。ちょっと樹、大丈夫!?」

 ばつが悪そうにおろおろしてた樹が、見る間に真っ青になったから僕の方が慌てた。

「…ハル……ああ…ハル、俺……」

 空いた手で青白い頬に触れれば、繋いでる手がぎゅっと強く握られる。何かに堪えるみたいに、きれいに手入れされた樹の眉はきつく寄っていた。

「俺…お前を傷つけた………?」

 …ああ、そこか。

「ごめん、樹。ちょっと赤裸々すぎてショックだったよね。僕は大丈夫だよ。あなたは浮かれてただけで悪気があったわけじゃないし。今さらその程度じゃ僕は傷つかないよ」

「…うん。俺、浮かれてたよね……」

「恋ってそういうもの?」

「そういうものだよ。その人を好きだって思うだけで嬉しくて幸せだ。でも深く心に刻まれる分、ただ甘くて楽しいだけじゃなくて−−−傷つくことに、似てるかも知れない。それは、ハルが教えてくれたことだよ」

 ………そう言えば、胸が締めつけられるほどって言ってたっけ。自分がそんな風に誰かの心を揺り動かしたなんて言われると、なんて言うかどうにも照れくさくなってくるけど。

 肩を落とした樹は、途方に暮れた迷子みたいだった。どうしよう……本格的に傷つけちゃったかも知れない。

「あのね、樹」

 どうしたらいいかなって考えて、僕は樹の頬に添えてた手を彼の項に回して引き寄せた。驚いて離れようとするのを、ちょっと強引に引き止める。と、樹は腫れ物にさわるみたいにおずおずと空いてた手を僕の背に回した。

「僕はあなたに知っておいてほしいことや忘れないでいてほしいことが幾つかあるんだ。…まず、僕はあなたのことが好きでむやみに傷つけたいわけじゃないってこと」

「…うん」

「僕が言う好きは、あなたを信じてるってことだよ」

 そう、信じてる。それが一番僕の気持ちに近い言葉だと思う。

 背に添えられた樹の手が、ちょっとだけ僕を引き寄せた。それから、

「…ハルって小悪魔だよね」

「へ!?」

 弱りきったような、どこか恨めしげな呟きに思わず身を離そうとしたけど阻止される。

「悪い男だよ、ハルは。恋を知らないって言っておきながら、俺を夢中にさせることばっかり言うなんて」

「えええぇぇぇ…」

 それ、僕のせいなのかなぁ…。激しく疑問なんだけど。

「さっきも言ったけど。それはあなたが僕の人柄を好きって言ってくれるからでしょ? カラーを見ても、あなたは初めから当たり前みたいに僕をただの花屋の店員として扱ってくれたよ。それがどんなに嬉しいことか、あなたにはもう解るよね?」

 何しろ飛び込みの一見さんや道行く人は、僕を見るとその後はちらちらカラーばかりを気にしてる。中には好奇心丸出しで色々質問してくる人だっているくらいだ。もういい加減に慣れたけど、もちろん愉快なわけじゃない。

 それに比べたら、浮かれて僕に恋を囁いちゃうこの人の迂闊さなんて誠意の塊みたいなものだよ。

「…ハル。ごめんよ、ハル」

 樹は、今度ははっきり解るほど力を込めて僕を抱きしめた。

「俺の母はΩだけど女性だし、父もα男性だから、ハルみたいな葛藤はなかったんだと思う。一番身近なΩが母だったから、Ωは二次性を受け入れてるのが普通なんだと心のどこかで思ってた。俺はハルがΩだから好きになったわけじゃないけど……母の母国は同性婚のできる国だから、母の友人にもダブル・ハズバンドやダブル・ワイフがいたし、好きになったハルが同性でも、俺はストレートなんだけどなって意外に思いこそすれ恋愛そのものに抵抗はなくて。………でも俺、セックスでは当たり前のように自分をトップでしか考えてなかったんだ」

 
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