やさしいせかい
□*looking for the idol*
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平日の、夕方と言うには少し早い時間だったけれど、店の前にはそれなりの人通りがあった。道行く人は俺を振り返ったし、店内にいる他の客もちらちらと視線を寄越してる。街中には結構ポスターも貼られてるしCMのこともあるから、てっきりハルも俺を知ってるものと思ってたんだけど。
自意識過剰だったかなと、ちょっと反省した時だ。出来上がった花籠を受け取ったハルが、それを俺に差し出した。
キラキラした目で。
作業カウンターの向こうを見れば、アレンジメントをしてくれた女性店員の背中から緊張が伝わってくる。
…つまり、そういうこと。
「ありがとう、ステキなアレンジだ」
目に鮮やかなオレンジ色をベースにした花籠と、街中の商店では滅多にない新鮮な気遣いに自然と頬が弛む。と、ハルの幼げな顔がぱあっと輝いた。でも、何を言いたいものか閉じた唇がむずむずしてる。
……え、何だコレ。
(可愛い…)
仕事柄、男女問わずきれいな人も可愛い人も見慣れてるはずなのに。
きゅう、と。弛く心臓を掴まれたみたいに息が詰まった。…それが、嫌じゃない。
「お気に召してよかったです。ご用命ありがとうございました」
満面の笑みで、でも裏腹のとても落ち着いた声で。「お買い上げ」って言わない辺りに彼と店のプライドを感じた気もして、なんだか嬉しくなった。
「機会があったら、またよろしくね」
なくても作って通うようになったのは、この時の浮き立つような気持ちと邪気のないハルの笑顔が忘れられなかったからだ。
とは言え、基本俺のスケジュールは埋まっているから二ヶ月の間に足を運べたのはほんの数回で、せいぜいハルと店の人たちが俺の来店に慣れてくれる程度。
もちろん、ハルがオーナー夫妻の息子で同業他社で修行中のお姉さんがいることも、彼自身は平日の放課後と日曜に店を手伝っていることだって聞き出せた。オーナー一家を筆頭に相変わらず騒ぎ立てずファンサービスを求めない店の人たちの気遣いや、だからこそできるちょっとしたお喋りが俺を和ませてくれたけど。
…俺は、それだけじゃ満足できなかった。
だから。
「−−−敬語はなしにしてくれないかな」
作業カウンター越しに小声でそう切り出したのが、つい十日前のこと。
「できれば相澤様じゃなくて、樹って名前で呼んでくれたら嬉しいんだけど」
「へ!? や、それはっ…」
俺の頼んだテーブルブーケを作りながら、ハルはぎょっと目を剥いた。
グラビアの仕事を一件済ませてから訪ねたのは夕方。すでに学生の夏休みは始まっていて外はまだ明るかったけど、店には他に客はいない。それもあって、他の二人の店員は陳列棚や在庫の確認でカウンターを離れていた。
助けてくれる人はいないと悟ったらしい。目を泳がせていたハルは下がり眉をさらに下げて、それでも俺と視線を合わせる。と、ゆるりと首を横に振った。
「お客様に対して、馴れ馴れしい態度はとれません。子供の僕は気が弛みがちだから、特に注意してる点でもあります。店に立つ以上、そのことで店の品位を落とすわけにはいかないんです」
出逢った日のことを思い出す。キラキラした目で俺を見つめて、でも話しかけたいのを我慢するみたいに唇をむずむずさせていたハル−−−歳なりの素直な好奇心を堪えて、健気に彼自身と店のプライドを守っていたのか。
そしてそのプライドに、俺の心地好いプライベートは守られている。
(…ああ、もう)
ホントに可愛い。それに、とっても男前だ。
「うん、美しい心がけだよね。お陰で、ここでブーケを作ってもらう時間は本当に楽しいよ。…でも」
そう、でも。
「それじゃあ、プライベートの君と仲好くなるにはどうしたらいい?」
君との接点はお店しかない。個人の連絡先もむろん知らない。でも、花屋とお客の関係だけじゃイヤなんだ。
「…なん、で……?」
畳みかける俺にハルは困惑しきった表情だ。俺は、小さく吹き出した。
「そんなの決まってる。俺が君を、一目で気に入っちゃったからさ」
ぱちん、とウィンクしてみせれば、えええぇぇぇ!? なんて声を殺した悲鳴が上がる。
「ぼ…僕、ただの高校生ですけどっ……!」
「モデルをしてたら、普通の高校生を好きになっちゃいけないのかい?」
「すっ…!?」
「うん。好きだよ」
声に出したら、その言葉はストンと素直に胸の中に落ちてきた。
容姿端麗で頭脳明晰、身体能力にも恵まれている。自慢でもなんでもなく、俺はそんな典型的で理想的なαの一人だ。だから俺の周りには、放っておいても人が集まる。もちろん厄介な人には関わらないけど、特に望むまでもなく交遊関係はすぐに手に入った。…これまでは。
ハルみたいに、躊躇う子なんて初めてだよ。好きでもなければ、こんな風に自分から関わりを求めたりなんかしない。それで困らせてるってことは解ってるけど、踏み込まなければ前には進めないだろう?
だけど。
「…そ…それは…僕が……」
真っ赤になったハルが、戸惑いがちに視線を落とした。ブーケを作っていた右手が、隠すように首筋を撫でる。そこにあるのは、フリーのΩの証−−−カラーだ。
「違う」
無意識だろう、それはちょっと怯えたような仕種で……αに対してΩが持つ認識を垣間見た気がして、トクリと心臓が跳ねた。
世に「優秀種」と持て囃されながらその実劣性遺伝のαの因子は、ほぼΩのパートナーなしには後世に残すことができない。
それゆえに、と言うべきか。恥ずかしいことに、αの中にはΩ性の特色ばかりを求めて相手の人柄を蔑ろにする者もいる。
「違うよ、ハル」
ゆっくりと。怖がらせないように、俺はハルのその手をそっと握った。驚いて顔を上げた彼に、微笑って弛く首を振る。
「Ωだからじゃない。…ハルだからだ」
黒目がちの大きな目が瞠かれ、小さく息を呑むのが解った。
握った手を引いて、俺は自分の手よりも一回り小さな掌に頬を寄せた。ハルはすっかり混乱して目が泳ぎまくってる。
花屋の店先に立つ小笠原暖人と、ただの高校生の小笠原暖人。どうすべきなのか、どうしたいのか−−−どうすればいいのか、ぐるぐる考えているんだろう。
「ねえ。花屋とお客として知り合ったのはきっかけだよ? きっかけを手放したら、きっと、誰とも仲好くなんかなれない」
小さな手を解放して、俺はレジスター脇に手を伸ばすとそこに据えてある店の名刺を二枚抜き取った。
「だから、まずは連絡先を交換しよう? それから、一緒に遊びに行こうよ」
一枚に自分のスマートフォンの番号とアドレスを書き込んで、ペンと一緒に差し出す。
「プライベートの相澤樹は、課題とスクーリングと遊びの時間をやりくりしてる、ただの通信制大学の学生さ」
「……学生…」
「うん。ハルと大して変わらない」
言いながら手許に残っていた名刺を滑らせれば、ハルは赤い顔のまままろい頬を綻ばせて小さく苦笑した。
「…しょうがないなあ、もう」
父さんに叱られちゃうかな、なんて呟きに、ちょっと申し訳ない気もしたけど。
こうして俺は、ハルの連絡先を手に入れて、デートの約束を取りつけたんだ。
そして。
このあと漸く仕上げられたテーブルブーケは、白いポンポンマムの集まりの上を、ワイヤープランツが幾重にも交差した爽やかな彩りの可愛らしい花束だった。
「鳥籠みたいだね。と言うより巣籠もり? とっても家庭的な感じで…色合いも、ブライダルブーケみたいだ」
「え…」
「なんだかプロポーズみたいで嬉しいな。…ねえ、ハル。いっそこれを機会に俺と付き合ってよ」
「えええぇぇぇーっ!?」
さすがにこの悲鳴は聞きつけられて、俺は戻ってきた女性店員の一人に、にこやかな笑顔で窘められた。
‡ ‡ ‡
「あはは。実況板が立ってる」
山下公園を後にした俺たちは、観光客でごった返す中華街を歩いた。ちょっと怪しげなアジアン雑貨が並ぶ店を冷やかしたり、甘栗の試食をしながら写真を撮って、エビチリが食べたいと言うハルのリクエストで入ったのは、関帝廟近くの小さな店。テーブルとテーブルの間に立つ衝立が、辛うじて客のプライバシーを守ってる。
さっそく、ハルが身バレしないように山下公園での写真を加工してアップしたら、俺のアカウントにはすでにこの鬼ごっこを歓迎するたくさんのコメントが寄せられていた。中には、掲示板のリンク付きで目撃情報を求めるコメントまである。
「うわー。逃げ切れるかな、これ」
俺のスマートフォンを覗き込んで目を円くするハルは、でもワクワクした風情でとても楽しそうだ。
花屋とお客の垣根を取っ払うと、ハルは実に前向きに俺との距離を詰めてくれた。メールやメッセージもまめにくれたし、やり取りの中でちょっとした冗談のつもりでこの公開鬼ごっこを提案した時も、『いいんじゃない?』なんてあっさり返信がきて却って俺が驚かされた。
「……ん?」
運ばれてきたエビチリ定食の盛りのよさに二人で歓声を上げてから、いただきます、と手を合わせてそれぞれプリプリのエビを頬張る。美味しい料理に笑みを交わして−−−ハルが小さく首を傾げた。
「僕の顔に何かついてる?」
「いや…」
どうやら、ちょっと見つめすぎたらしい。
「楽しんでくれてるみたいで、嬉しいなと思って」
「なに、心配してたの?」