JVO 日本バース機構

□お役所ブロマンス
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「一昨日は、ほんっとに申し訳ありませんでした!」

 居酒屋の座敷。注文をとった店員が襖を閉めるなり、高低二つの男の頭が揃って下がる。ゴチッと音がしたのは、低い方の頭が勢い余って座卓の天板に打ちつけたからだ。

「いだ〜〜〜〜〜〜〜〜っ」

「…バカか、お前は………」

 隣から呆れた同期の溜め息がこぼれても痛みのあまり反論できない五代に、二神の方は穏やかに苦笑いを浮かべたが。

「まったく…そうじゃないだろう。バディのΩが痛んでるんだ、そこは労ってやれ」

「はあ…」

 三崎がすかさず指摘する。が、一ノ瀬は見るからにピンときていない。メガネをかけた見た目通りに真面目な男だが、いささか気配りに欠ける辺りが補佐官としては難点だった。場数のなさゆえではあるが、二十五歳と決して若すぎはしない後輩に、三崎の如何にもαらしい精悍な美貌が渋くなる。

「はあ、じゃない。お前、ホントにバース心理学の単位とったのか? 知識は使わなきゃただのゴミだ。使って知恵に昇華しろ。そんなことだから、結果的にとは言えバディに怪我をさせるんだぞ」

「ああっ…三崎さん、これはおれがビビリだからでっ…」

 慌ててフォローに入った五代の両の掌にはべったりと防水絆創膏が貼られていて、見るからに痛々しい有り様だ。

「お前な…Ωがビビリなのは当たり前だろう。ちょっと慶さん、言ってやって下さいよ」

「んー…そうだね。ここで一ノ瀬を庇っちゃうのは、むしろ一ノ瀬のためにならないんだよ、五代」

 三十七歳。この場の最年長……には凡そ見えない若々しい顔で二神が優しく微かに苦笑すれば、こちらもまだまだ学生に見える五代は子供のようにしゅんとした。



 五代と一ノ瀬が勤める渋谷区のバース課に事件の一報が入ったのは、二日前の午後二時半頃だった。

 区内の都立高校で、Ω性の男子生徒が水泳の授業中にクラスメートの男子生徒から、着ていたラッシュガードを剥ぎ取られそうになったというのだ。

 Ωには男女ともに、公共のプール施設や海水浴場でのラッシュガード着用が義務づけられている。

 これは、Ωが初潮を迎えてその二次性別が顕現すると、やがて人前で膚を晒すことに本能的な恐怖を感じるようになるためだ。故に強引にこれを剥ぎ取るのはむろんのこと、脱ぐように強要することも強制猥褻の罪に問われる。

 …が。この手の犯罪は、バースが関わっていても警察に通報するのが本来である。

 通報してきた生活指導の担当教諭によれば、まずは被害生徒からの指示とのことだったが。

『…実は、加害生徒のバース検診結果が七月に入っても通知されていないとのことなんですが』

 ここで渋谷区バース課一同は色めき立った。

 すぐに加害生徒の氏名とIDを検索すれば−−−現在、バース登録義務違反の疑いで警察への通報準備を進めている案件の捜査対象だ。

 対象はΩ。

 五月にJVOが書留で郵送した確定通知に対し、渋谷区から登録完了のリターンがなかった−−−この連絡を受け、六月にバース課がやはり書留で行政処分の警告を兼ねた督促状を郵送した。これにも反応がなかったことから、登録の回避企図の疑いが持ち上がり、今に至る。

「Ωである被害生徒がバース課への通報を指示したことから、初ヒートの予兆があったのかも知れん。被害者からの寛大な配慮をムダにするわけにゃいかん。警察の捕物になる前に勧告、登録させるぞ。…五代、一ノ瀬、お前らの担当Ωだ。被害生徒の担当官に応援かけて、現場行け」

 課長の指示に了解を返した五代は、しかし被害生徒のデータを確認して固まった。

「…い、一ノ瀬……」

「何だ」

「被害者の子、なんだけど…」

「ああ」

「モ…モデルのイツキの婚約者だよ…!!」

「はあ!?」

 思わずの態で五代の端末を覗き込み、一ノ瀬が「げっ…」と行儀悪く呻く。

 何しろアジア圏に広くファンを持ち、国内ではCM、ポスター、雑誌等々とにかくその姿を目にしない日がないという絶大な人気を誇るファッションモデルだ。

 つい先日の婚約発表記者会見が挙手指名制の質疑応答だったのにも関わらず、見た者聞いた者に惚気まくられた印象と疲労感とを残したのも新しすぎる記憶である。

 そんなイツキの婚約者に強制猥褻−−−

「…訴訟になんなきゃいいが……」

「いや…なるよ、絶対…」

 最悪の事態でないとは言え、ことは性犯罪だ。報道では被害者の詳細が伏せられるものの、親告すれば確実に立件されてより広く知られてしまうため刑事罰を求めるかどうかは判らない。

 しかし、国選弁護人が保証された刑事訴訟とは違い、民事訴訟では自前で弁護人を用意しなければならないことから、これと併せて懲らしめ的に多額の慰謝料を請求することでその代わりとする例は多い。

 しかも、被害者がΩのこの手の訴訟で勝てる被告人などまずいない。

 …となれば。

 加害生徒がΩである以上、担当官の五代と補佐官の一ノ瀬はまず間違いなく様々な手続きに巻き込まれる。

「……と…とにかく、準備しようか…」

「だな…」

 −−−ところが、だ。

「危害を加えようっていうんじゃないのよ!」

 厄介なのは加害生徒でもイツキでも、ましてや被害生徒やその保護者でもなかった。

「イツキさん、息子の不始末をお詫びします。でも、あなたはΩに理解のある人だわ…お願いです、あなたの婚約者に言って下さい。同じΩなら、判定のショックは理解してもらえると思うんです。どうか親告するなんてひどいこと、言わないでほしいって……」

 加害生徒の、母親だ。

 バースの確定通知とその後の督促状の受け取りは加害生徒本人で、両親にも隠していた。

 Ωは守られるだけの優遇された弱い存在−−−通知を確認したその瞬間に、自分がその見下していたはずの存在だと突きつけられたのだ。受け入れがたい気持ちは解らないでもない、が。

 被害生徒が日頃から恐れげもなくカラーを着用していること、朗らかでハッキリと主張もでき、友人たちから対等に扱われること、αと婚約もしてすべてが順調なこと、保護されることを選んで弱い存在だと認めているにも関わらず、自立を選んだ自分より堂々として見えること、それらすべてが赦せなかった、と。

 だから恥をかかせてやろうと思った、という軽い気持ちが恐ろしい。

 強制猥褻の現行犯との説明は、しかしバース登録義務違反より衝撃的だったようだ。

 刑事罰は後者の方が遥かに重いのだが、青ざめた母親はやにわに席を立つなり、なんと保健室でイツキとともにアフターケア中だった被害生徒に突撃をかましたのである。

 立ち会っていた体育教諭ともども慌てて追いかけたが、飛びかからんばかりの母親にしがみついている養護教諭以外に女性がおらず、力ずくでの排除を躊躇ってしまった。

 その場を収めたのは、駆けつけた被害生徒の父親とイツキ、そして被害生徒本人という前代未聞の大失態……。

 さらに、最終的に登録義務違反が深刻な重罪であると母親を説諭したのは、イツキの担当官である応援の三崎。

 その間、五代はパニックこそ起こさなかったものの、般若と化した母親に完全に気圧されて、一ノ瀬の背に半分隠れたような状態だった。

 ずっと握りしめていた両の掌を開いたのは、あらためての説明と、未だ登録を承諾しない加害生徒の説得のために母親を保健室から連れ出し、元いた部屋に戻ってからだ。



「−−−一昨日のケースはさ。比較的早い段階で被害生徒の保護者を連れた大輔が合流したわけだから、一ノ瀬はお前があのお母さんを説諭できるよう回復させるべきだったわけ。Ω担当補佐官の仕事の第一は、βとしてΩである担当官の職務遂行を佐けることだよ。代行するのは二の次だ。でも今回の一ノ瀬は、保健室ではそのどちらもしてないだろ。ボーッと成り行きを見てただけ。状況を案件の当事者と応援の大輔に丸投げしておきながら、担当官を放置…Ωを解ってないし、大輔の指摘に反省がない時点で解ろうともしてない」

 穏やかな微笑みを浮かべながら淀みなくそこまで言った二神が、一ノ瀬に目をやった。

「より難しいΩ担当補佐官を志望したなら、机上のテストでとった点数を実践しないとね。Ωっていうとαとの関係性が注目されがちだけど、ぶっちゃけαがいなくてもΩは生きていける。むしろ、大多数を占めるβからの信用と助け合いを得られない方が深刻だ。日頃からのちょっとした声かけがΩにとっての安心と信頼に繋がる。信頼に足る補佐官がそばにいれば、あの程度の修羅場もどきで説諭すらできなくなる状態にまではならないよ。……ぼくらは、そのためのメントレして担当官になったんだ」

「その点は、今回応援動員で補佐官が随行していない状態の慶さんが、暴力的に突き飛ばされてなおパニックを起こしていなかったことで解るだろう」

「……はい…」

「まあ、ぼくが動けなかった理由はあの時点で一ノ瀬には解らなかったから例としては適当じゃないけど」

 五代との関係性は決して悪いものではないだけに、二神から笑顔で「信頼に足りない」と評価された一ノ瀬の返事は固い。が、ここで反感に至らないのは、三崎の言う通り「Ωがビビリなのは当たり前」が大前提だからだ。

 それを、忘れていた。

 やや愕然とする後輩に、二神が小さく苦笑した。

「それに、ぼくや五代は訓練のお陰でΩとしては例外的に鋼メンタルだからね。あの場で例に出すなら、やっぱり被害生徒だよ」

 
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