やさしいひとびと

□◆星降る夜に◆
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◆星降る夜に◆


 ピッと音がして、オクデラさんがお母さんに挨拶すると大きな部屋を出ていった。カリンが帰ってきたんだわ。
 部屋にはマントルピースっていう石の穴があるの。その前に敷かれた柔らかな布の上がわたしの定位置。
(…それにしても)
 まだ夏の名残の時季だっていうのに、外はすっかり真っ暗な夜。年々帰りが遅くなるけれど、さすがにこうも遅いと少し心配なの。人間は硬い爪も強い牙もないもの。…まあ、カリンはいつもお出かけする時クルマに乗るから、マリヤには「ママは心配し過ぎよ」って苦笑いされるんだけれど。
(しょうがないでしょ)
 だってわたし、もうおばあちゃんだもの。歳をとると心配性になるのよ。
(人はゆっくり歳をとるものねぇ)
 いつの間にか追い越しちゃったわ。これでも、このお家に来た頃わたしはまだ小さな仔犬だったのよ。あの頃はカリンが帰ってくるとオクデラさんを追い抜いてお出迎えに行っていたけれど、今は長い階段を降りるのも億劫。こうしてマントルピースの前でカリンが来てくれるのを待っていることが多くなったわ。
 わたしがのんびり待っていると、小さくカリンの声が聞こえた。
 ―――タカ、タカ! これ見て!
 あらあら、仔犬みたいにはしゃいでどうしたのかしら。
 あ。タカっていうのはカリンのお婿さんね。とても大きな男の人で、でもとても優しい人なのよ。わたしのことも、大きな手でいつも優しく撫でてくれるわ。
 その手でそっと、でもしっかりとカリンを抱きしめているのを見ると、いつもホッとするの。
 カリンは強い子だけれど、時どき弱くなることがあるから。
 それが、女の子なのに何故だか男の子の匂いも持っているせいだっていうことは、何となくわかる。
(気にしない、なんて、きっと無理なんでしょうね)
 一緒に生まれた仔犬の兄弟たちだって、一頭だけ毛色が違ったり体が小さかったりすれば邪険にされることがある。外で会うたくさんの人の中には、変わった匂いのカリンを嫌がる人もいるでしょう。だって、女の子なのか男の子なのか判らないんだもの。正体の判らないものを嫌うのはどんな生き物も同じよ。
(それに…)
 少し切ない気持ちになった時、気配が近づいてきた。いつもなら寝そべったまま待っているんだけど、何だか無性にカリンのそばにいたくなって立ち上がる。
「あら、今日はお出迎えしてくれるのね。ただいま、らける」
 ありがとうって。わたしを抱きしめてキスして撫でまわす。もうずっと前から変わらないわ。この子はわたしのことを好きでいてくれるの。だからわたしもカリンが大好き。
「あらあらあらあら」
 お母さんにただいまの挨拶をしたカリンがそのままスマホっていう板を渡すと、お母さんはニコニコして今度はその板をわたしに見せる。
「らける、見て。ほら、あなたの玄孫よ」
 ……やしゃご?
 ひぃふうみぃ…板の中では、生まれたばかりでぷりぷりした八頭の仔犬が、お乳を飲もうと一生懸命に母犬のお腹に群がっていた。
「ふふふ。あでらの仔共の仔共の仔共よ」
「わふ!」
 あらあらまあまあ、びっくりだわ。わたし、いつの間にかそんなにお祖母ちゃんになっていたのねぇ。カリンの言うアデラはマリヤのお姉ちゃん。カリンのお友達に引き取られていった仔。その仔がもう大きいお祖母ちゃんだなんて。
 しみじみと仔犬たちを見て、やっぱり無性にカリンのそばにいたくなった。
「…どうした、らける?」
 カリンの足許に寄って摩りつくと、それまで黙ってわたしたちを見守っていたタカが腰を落としてわたしを撫でた。
「花梨は今から晩めしだから、俺と遊ぼう」
 …ああ、この人は本当によく気のつく人ね。ちょっと的外れだけれど。
「ふふ、嬉しいわね。すっかり落ち着いた大人になっちゃって、近頃はあんまり甘えてくれなかったから。お夕飯が終わったらたっぷり遊びましょう」
 そういうことじゃないのよ、カリン…。種族が違うと、なかなか気持ちが伝わらなくてもどかしいわ。
 でも、わたしはちゃんと躾の身についた犬だからカリンのお夕飯を邪魔したりはしない。ただ、この日からついついカリンの後を追ってお家の中ならどこへでもついて回るようになったの。そしてカリンが寛いでいたら、その膝に顎をのせて愛しいこの子のお腹に鼻先を埋めたわ。
 そのたびに、切なくなってしまう。
 カリンがタカをお婿さんに迎えてから、もうずいぶんと経つ。でも、まだ子供の気配はないの。
 カリンとは逆に、男の子なのに何故だか女の子の匂いを持っているハルには二人も子供がいるんだけれど。
「くぅん…」
 その日も、お茶を楽しんでいるカリンの膝に顎をのせて、寂しい気持ちになった。でも、相変わらずカリンはわたしが甘えていると思ったみたいね。嬉しそうに微笑んで、優しく撫でてくれた。
 外はもうずいぶんと寒くなっていて、マントルピースの中には火を閉じ込めた黒い箱が置かれている。わたしの定位置のすぐ横には、去日、いつもの冬のようにキラキラした飾りをつけた木が置かれたわ。
「ふふふ。もうすぐクリスマスよ。またまりやも来るし、もちろんあなたの大好きなサクも潤も来るわ。今年はあなたにもプレゼントがあるから楽しみにしていてね」
「喜んでくれるとは思うが、驚くだろうな」
 カリンが言えば、タカがくつくつと喉で笑った。…わたし、驚かされるの? いったいどんなプレゼントかしら。どんなものでも、あなたたちがくれる物なら何でも嬉しいのよ、わたし。
(でも、あなたたちが幸せなら特にプレゼントなんて要らないの)
 もちろん、今のあなたたちが幸せなのは解っているけれど。仲の好い番の間になかなか新しい家族が増えないと、どうしても悲しい気持ちになってしまうのよ。
「くぅ…」
 どうか許してね。笑顔で撫でてくれるカリンとタカに、気持ちの浮き立たないわたしはそんな風に謝った。
 でも、それは二人に失礼だったかも知れないわ。
「メリークリスマス、潤! らける! まりや!」
 イツキとハルと子供たち、マサとジュン、そしてまりやが来た日。いつもの冬ならこの日はゆっくり寛いでいるのに、イツキとマサは着いた早々カリンと一緒にどこかへ出かけて行ったの。
 そして、新しい匂いを三つ連れて帰ってきた。
 三つの大きなカバン。黒い布でできた窓から透けて見えるのは、心細そうな仔犬たち。
(あらあらまあまあ)
 目を円くしているジュンの足許で、思わずマリヤと顔を見合わせてしまったわ。お父さんとお母さん、ハルとタカがそんなわたしたち見てくすくす笑っている。
(……まま?)
 カバンの一つに鼻先を寄せると、まだまだ赤ちゃんの男の子の仔犬が首を傾げた。
(いいえ。わたしはあなたたちの大きい大きいお祖母ちゃんよ)
(なら、わたしは大きい叔母ちゃんね)
 アデラの匂いに似てるわって。マリヤがカバンに鼻先をくっつける。と、女の子の仔犬も窓に鼻をくっつけた。
「まりや、その仔はえすてるっていうんだよ」
 そうっと近づいてきたサクがそう言った。
 エステル。ちょっと長い名前ね。
「マサさん…サプライズが過ぎない?」
 確かにぼく大きいわんちゃん飼いたいって言い続けてたけどって。ジュンが恐る恐るマサの足許に置かれたカバンを覗き込む。慎重に外を窺っていた女の子の仔犬が、その途端、真っ黒な目をキラキラさせて窓に前足をかけた。
「まあ、なんだ。お義父さんもお義母さんも賛成してくれたしな。佐原さんも息子さん家のマラミュートで慣れてるって言ってくれたし」
「いつの間に……」
 呆れたみたいな声だったけれど、ジュンは仔犬の前足に指を合わせて嬉しそうに笑っている。
「もう名前は決まってる?」
「あー…めいってのはどうだ? 生まれた時、明けの明星がきれいだったらしい。一字とって『明』で『めい』」
「えすてるも金星って意味なんだ」
 まあ。明け星なのね、なんて素敵。ぱちん、とウィンクするイツキの言葉に、ジュンも「いいね、おそろいなのも可愛い」って頷いた。
「らける、この仔はゆーるよ」
 わたしを撫でながら、カリンが男の子の仔犬の名前を教えてくれた。
(ユール?)
 ……って。
「花梨さん。ユールって、ノルウェー語でクリスマスのことじゃはかった?」
 そう。今日のことよね?
 同じことを思ったらしいジュンが訊けば、カリンはマサを見ながら悪戯な顔で笑う。
「ええ、そうよ。実はね、この仔たちが生まれた日って、一説には主の降誕日かも知れない日なんですって。だから我が家にやって来た今日を記念したの」
「ぶはっ。え、なに? ネタ元マサなの? 相変わらず見かけによらない物知りっぷりだよね」
 アオを抱っこしたハルが吹き出した。
「俺はベツレヘムの星がマジメに研究されてるって話をしただけだっつーの」
「ところで誰説だ?」
「ヨハネス・ケプラー」
「うわ、歴史的大天文学者きた」
 タカの質問にマサが流れるように答えると、驚いたのかハルの声が少し大きくなる。……知っている人なのかしら?
「あうーあー」
 和気藹々と。笑い合う大人たちをよそに、抱っこされたアオがわたしたちに手を伸ばした。マリヤが立ち上がって、伸ばされた小さな手に鼻先を向ける。
「マンマ。アオちゃんもえすてるにごあいさつしたいって」
「そうだね。…ほら、アオ。えすてるだよ」
 しゃがみ込んだハルがアオの手をエステルのいるカバンの窓にそうっと押し当てた。決して放さないのは、きっと窓を叩かせないためね。
「えすてる、アオちゃんもよろしくね」
 エステルがおっかなびっくりアオの手に鼻先をつけると、サクが弟を紹介した。いいお兄ちゃんだわ。
 こうして家族に迎えるために、どうやらカリンとタカ、イツキとサクとマサも、何度か仔犬たちに会いに行っていたみたい。
「潤。友達の家である程度は躾けてあるけど、ゴールデンレトリバーの仔犬はやんちゃだから頑張ってね」
「はい、プレ子育てのつもりで頑張ります」
「まあ、お前一人で世話するわけじゃねぇからあんま気負うな」
「ふふふふふ。マサはいいお父さんになれるわね」
 お母さんが微笑むと、マサは照れたみたいに頭をかいた。
「らける、まりや。わたしたちもお世話するけど、あなたたちも協力してね」
 わたしを撫でながら、カリンが言う。
(あらぁ、ご縁のないまま子育てするとは思わなかったわぁ)
(わたしも、この歳でまた赤ちゃんのお世話をすることになるとは思っていなかったわね)
 あっけらかんと笑うマリヤに、わたしも思わず笑ってしまった。
「頼りにしてるぞ、らける」
「わふ」
 任せてちょうだい。いいお返事をすると、タカの大きな手が優しくわたしの頭を撫でてくれた。
 その手でカリンの肩を抱くと、タカが大きな体をいっそう屈めてユールを覗き込む。
「よろしくな、ゆーる」
「わう」
 はじめましてじゃないからか、ユールはいいお返事をして窓に前足をかけた。仔犬は大きな男の人を怖がることが多いけれど、ユールはすっかりタカに慣れているみたいね。
(嬉しいわね)
 小さな仔犬たちが、わたしの大好きな人たちを受け入れてくれていることも。その仔たちが、わたしの繋いだ命であることも。みんなが―――カリンとタカが、その仔たちをわたしに引き合わせてくれたことも。
 だって、生き物だもの。繋いだ命は、喜びそのものだわ。
 わたしは大人しくいい仔にしているけれど、さっきから尻尾だけは堪えきれずに大きく揺れていた。そんなわたしを見て、カリンは嬉しそうに微笑んでいる。
 それが嬉しくていっそう摩り寄れば、鼻先を掠めたカリンの二つの匂い。
(…もしかして)
 真逆の匂いの方が、強い性質なのかしら。
 だとしたら、カリンは子供ができにくいのかも。
(それでも、わたしの繋いだ命を祝って愛してくれるのね)
 妬むでなく、腐るでもなく、ましてや諦めるのでもなく。
 ただ、あるがままを受け入れているんだわ。
(とても強くて優しい子)
 もちろん、寂しく思うこともあるでしょうけれど。
 摩りつくわたしを見て、タカが優しく微笑んだかと思うとカリンの髪に頬ずりをした。…そうね。カリンにはタカがいるわね。カリンを一番に愛してくれる、頼もしい番が。
 それだけじゃない。
 お父さんお母さん、イツキとハルと子供たち、マサとジュン、オクデラさんもカンザキさんもいる。
 わたしもマリヤも、早く歳をとってしまうけれど。この群は大きいから、きっと誰も独りぼっちになることはないわね。
 みんながご馳走を食べる間、わたしたちは仔犬たちがカバンの外に出られるようにわたしの部屋へ移った。今夜はめずらしくマサとジュンも泊まっていくらしいから、わたしもマリヤも仔犬たちと過ごせるわ。
 初めはおっかなびっくりでカバンを出てきた仔犬たちも、日が暮れて星が瞬き始める頃にはすっかり遊び疲れてわたしとマリヤのところへやって来た。わたしたちのお腹にお尻をつけたと思うと、あっという間に寝落ちてしまう。
(そりゃ疲れるわよねー)
(初めての場所、初めて会う人たちもいたんだもの)
 でも、新しい家族はあなたたちを本当に愛してくれる人たちよ。
 今日は、家族の日だってカリンが言っていたわ。そんな日に、カリンとタカは新しい家族、それもわたしの繋いだ命を連れてきてくれた。なんて素敵な贈り物かしらね。
 窓の外を見れば、冬らしい降りそうなほどの星空。
 すっかり寝入ったユールの背中を鼻先で撫でて、わたしも幸せな気持ちで眠りについた。




END

20240218


※ らけるの言う「番」はバース用語ではなく、動物視点の伴侶の意味です。

 


 

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