やさしいひとびと

□◆小間使いは見た◆
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「マァシャアッラァァァァアアアア!」

 族長の娘って言っても所詮は半遊牧の極小氏族、あたしなんかただの田舎娘なんだけど。

 それでも町に住んでるからちゃんと義務教育は受けたし、何なら卒業まで高校に通わせてもらったってところはやっぱりステータスだった。

 何より、「身元の確かさ」って点ではこれ以上ない後ろ盾だ。

 その冬は避寒で砂漠から帰ってきてた父さんが、何だかいつもよりバタバタしてるな、とは思ってた。けど、族長だもの。あちこち挨拶やら寄り合いやら、町に帰ってくれば普段会えない人たちを訪ねたり招いたりは当たり前。

 世俗主義のこのイスマイリアでも一応ベドウィンの我が家じゃ古い習慣が勝つこともあって、女衆は料理の支度をしたらお客の前には出ない。そもそもあたしは勤め人で出勤してたから、家にお客が来てることも知らなかった。

 しかもそのお客が勤め先の社長とか。ただの事務員が社長の予定なんか知る由もないでしょ。

 だから、仕事から帰ってきて広間に呼ばれた時は驚いた。だって社長がいたし。それだけじゃなく、格上の氏族の族長とか何人もいたんだもの。

 しかも、

「おお、お前にいい働き口が決まったぞ。喜べ、王宮だ!」

 ……で、叫んじゃったあたしは悪くないわよね?

 まあ、それが一年半ばかり前。そして王宮に来てみてビックリ。何とあたしは瑠璃宮勤めになったのよ!

 第一王太子アイン・マァ殿下の宮館!

 ちなみに王宮内廷本館の翡翠宮はちょっと前に改装工事に入ったばっかりだから、今やここが実質的な「王のハリム」!

 …………え。殿下のご不在中とは言え辺境の極小氏族の娘が大出世なんだけど、ホントにいいの !? って当初は思ったんだけど。

(………でも、瑠璃宮の小間使いってみんなここ一、二年の新参者ばっかりだしね)

 あたしだけじゃないんでちょっと安心した。……そりゃあこの間に礼儀作法はビシバシ仕込まれたわよ、ええ。

 そして、アイン・マァ殿下が先ごろ日本からお迎えになった番様とご一緒に王太子宮から瑠璃宮へいらっしゃったのは、戴冠式も間近に迫った予行の日。

 何せ田舎者だから王都ワーハ・ヤシュムに上ったのはお勤めが決まってからだし、直に殿下のお姿を拝見するのはこれが初めてだった。もちろん不躾にジロジロ見るわけにはいかなかったけど、さすがはアルファ、テレビや写真で美形なのは知ってたのにビックリするくらいにお美しい、まさに美丈夫だった。

 そして、番様。

 オメガ男性が華奢で可憐だってのは知識として知ってたわよ? でもさ、男だし限度ってもんがあると思うじゃない? ところがジャラビーヤをお召しになってたこともあって、花鈿を置いた東洋風のメイクの奥様は美少女以外の何物でもなくて、マジで天女かと思ったわ。しかもあたしと同い歳って……。

(はー…この方ならお似合いになるわよねぇ)

 と思い浮かべたのは、ご夫妻の御召物が仕舞われたお衣装部屋に先日運び込まれた日本の伝統的なガウン……ガウンよね?

 緋色に花や鳥や幾何学模様が刺繍された御召は生地も刺繍も全部が絹っていうとんでもない高級品。奥様のご母堂様の花嫁衣装だったとかでとにかく豪奢で美麗なお衣装だった。

 普通に男って判るような人が着たら絶対に似合わないけど、奥様ならまったく問題ないわ。

 ……よその地域の人が聞いたら不思議に思うかも知れないけど。アラブじゃオメガ性の人は男でも女と看做されてるから、あたしも全然違和感なく華やかに装われた奥様を受け入れてた。

 だから、

「え、賊 !?」

 予行が始まって暫く。殿下ご夫妻がいらっしゃった礼拝堂が賊に襲撃されたと聞いて、瑠璃宮は騒然となった。

(ちょっと、近衛は何やってんのよー !?)

 この時、あたしたち小間使いは何にも出来なかった。中には悲鳴を上げたと思った途端にショックでぶっ倒れちゃった人たちもいたくらいで、どうにか正気を保ってた幾人かで女中頭様のお言いつけに従うのがやっとだったわよ。

 ―――どうしよう、どうしよう……。

 ご夫妻はご無事、とだけ知らされたけど、それってどの程度なの? 同じ王宮内だっていうのに、詳しいことがなかなか伝わってこない。どうにか正気を保ってたあたしたちも不安でおかしくなりそうだった。

 だって。

 イスマイリアは中東でも一、ニの治安を誇る、比較的平和な国だ。だからこそ「ペルシャ湾の珠玉」「中東の翡翠」って呼ばれるくらいに豊かな国になった。

 そりゃあ、最近だって第二王太子殿下の不祥事があったし、過去にはゴシップ誌が無責任に書き立てた黒い噂もあったわよ? でも紛争と縁の遠い時代が長かったから、王宮内でテロ事件だなんて信じられなくてパニックに陥る人が続出したわけだ。

 ―――わたしたちでこれなのに……。

 奥様は大丈夫なの……? って、小間使いみんなで青くなった顔を見合わせた。

 奥様はオメガでいらっしゃる。オメガと言えば、臆病な性質だっていうのは周知の事実だ。危険な目にあえば萎縮して悲鳴さえ上げられなくなるらしい。だからこそアラブ地域では「守られるべき者」として一次性の区別なく押し並べて女の扱いを受けている。

 しかも、奥様は日本の出身だった。親日国イスマイリアの国民なら、日本がそれこそ世界でも一、二の安全な国だって誰でも知ってる。そんな国からいらした奥様が、恐ろしい目にあわれて大丈夫だとは思えなかった。

(どうしよう……)

 奥様に何かあったら。せっかく唯一と結ばれたアイン・マァ殿下も平静でいられるわけがない。

 王室は過去に不幸が続いた。だからこそ、番様をお迎えになられた殿下にはこれからたくさん幸せになって頂きたいのに。

 使用人溜まりで待機してた小間使いは、みんないい歳してベソをかきながらご夫妻のお帰りを待ってた。ようやくのお出迎えでエントランスホールに並んだ時もまだ涙は収まらなくて、そんなあたしたちに目を円くなさったのが奥様だ。でも、あたしたちも驚いた。

 王太子殿下に寄り添われながら、でも奥様はご自分のお御足でしっかりと立っていらしたんだもの。

「皆には心配をかけましたね。でも、この通り殿下もわたくしも何ともありません。侍女たちがすぐに避難させてくれましたし、賊はすぐに近衛兵が捕り押さえてくれました」

 もう、泣かなくていいんですよって。そば近くまでいらして、あたしたちに優しく声をかけて下さった。……オメガでいらっしゃるのに、ベータのあたしたちよりずっとしっかりなさってることは、衝撃的ですらあったわ。

 しかも。

(そんな……)

 後から聞いた賊の正体に、あたしは同僚たちと震え上がった。だって、人の好さで知られてる侍医の先生って……あのアシュラフ様お気に入りで、ずっと前から王宮にいた先生だなんて……。

 だから、あたしみたいな身元が確かなだけの田舎娘が瑠璃宮の小間使いに採用されたんだ。王宮内に、テロリストがいるかも知れなかったから。

(………じゃあ…)

 過去の黒い噂は、とまで考えてブンブン頭を振る。

 気を、強く持たなきゃ。少なくとも今の瑠璃宮にテロリストはいない。家礼のハサン様は当たり前として、聖杯番のナウファル様もアクバル様もご幼少の砌からアイン・マァ殿下にお仕えになってる。アクバル様に至っては乳兄弟でいらっしゃるし。

 なにより。危険があるかも知れない王室にオメガの御身で嫁いでいらした奥様は、どれだけご自分を奮い立たせていらっしゃることか。

 実はこの事件の後、瑠璃宮の小間使いが何人か辞めちゃったのよ。急遽、王太子宮の奥様付きの小間使いがその穴を埋める形で異動になったんだけど。

「え !? じゃあ、あのあと退行なさってしまわれたんですか !?」

「ええ。使用人の不安を煽るようなお振る舞いは極力お避けになる方よ。ましてや物慣れない感じのあなたたちの前だもの、特に気丈にお振る舞いになったのね」

 何てこと……! あたしたちがベソをかいてたから、奥様に途轍もなくお気を遣わせちゃったんだわ!

(なんて…)

 なんて強くて優しい方なの。

「………決めた」

 ポソッと呟いたら、「わたしも」って同僚が言った。チラリと見遣ったら、あたしを見て頷いてた。

 あたしの王宮勤めが決まった時、歳の近い異母姉妹や従姉妹たちには散々やっかまれた。たかが小間使いとは言っても王宮勤めなら箔がつくし、条件のいい縁談も見込めるものね。かく言うあたしだって、まったく期待してなかったわけじゃない。

 だけど、そんな浮っついた考えじゃこの瑠璃宮の小間使いは勤まらないって解った。

 そもそも小間使いだから、お守りするなんて大きなことは言えないけど。でも、誠心誠意、お仕えする。真心をかけて頂いたんだもの、真心でお返ししないなんて砂漠の女の名が廃るわ!

「あら、いい顔つきだこと」

 そんなあたしたちを見て、王太子宮から来た先輩は感心したように口許で笑った。

  *  *  *

 
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