やさしいひとびと

□◆コーヒーブレイク◆
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 控えめにかかるクラシック、深い色合いの木調インテリア。最奥に置いたクリスマスツリーはシンプルに色のない豆電球だけ。

 祖父さんの代からやってる自家焙煎とネルドリップが自慢のこの店は、佇まいに見合った年嵩のお客が多かったんだが。ここ何年かは比較的若い、それも女性客が多くなってる。

 それもそのはず。

 新宿御苑付近はちょっとしたレアスポットなんだわ。

 何の、と言われれば。

(……お)

 通りに面した窓際のお客がそわそわと落ち着きをなくしたのを感じて、俺も外を見遣った。スノーパウダーで飾った窓の向こう、昼下がりの師走の空は残念なことに薄曇りで寒々しいが、道行く人の中にその外国人親子を見つけてホッコリした気分になる。

 ……いや、訂正しよう。揃いの金茶色の髪と白皙の美貌は西洋人にしか見えないが、彼らは日本国籍を持つ日本人だ。しかもとびきり有名な。

 そっくりの小さな息子と手を繋ぎ、賢そうなゴールデンレトリバーを散歩させているのは、世界を股にかけるスーパーモデルのイツキ。

 何を隠そう、ご近所さんである。

(もう十年近くになるかぁ)

 その間こちとら独身のままだが、イケメンアルファはご覧の通り結婚して天使みたいなめちゃくちゃ可愛い子供のパパになった。……羨ましいな、おい。

 窓際でガン見しないよう、それでも聖像画みたいな親子を視界に収めてた何人かのお客がうっとりと吐息をこぼして脱力したのは、その親子の姿が完全に店の前を通り過ぎちまってからだった。

 ―――はぁ……ラッキー。

 ―――でも残念。H∧Lさん一緒じゃなかった……。

(……確かに)

 お客の嘆息に、ドリップしながら内心で頷く。実はだいぶ前に気づいたんだが、十二月になるとイツキは仕事をセーブするらしく姿を見かけることが多くなるんだ。一人の時ももちろんあるが、一家のことも多い。番の奥さんと息子ちゃんを挟んで歩く様子は、ホント幸せそのもので見てるこっちまで顔が弛む。

 ちなみに奥さん単独か、奥さんと息子ちゃんの場合はもれなくスーツ姿も凛々しいアルファのSP(と思われるイケメン)が半歩後ろを警護してて、見てるこっちはちょっと気が引き締まるんだが。

 まあ何しろイツキの奥さんと言えば、こっちも結構な有名人だ。写真家の高梨亮介と企画した「華纏」シリーズのフラワーデザイナーでモデル。逆プロポーズって言われてる「アンドロギュヌスの抱擁」が有名だけど、俺的には「feast〜ハレ」が印象に残ってる。てか、あれは衝撃的な美しさだった。オメガとは言え男の子がベールつけてて違和感ないどころか、そこらの花嫁が裸足で逃げ出すんじゃねーかと思ったくらいだ。

 ……素の本人は、愛嬌はあっても決して美少年じゃないのにな。

 そんな元美()少年も今じゃ一児のママでプロのフラワーデザイナーなんだが。

(すっかり足が遠のいちまったよなぁ……)

 前は時々、夫夫でこの店にも来てくれてたんだわ。けど、もうずいぶんとご無沙汰だった。

 カウンターのお客にブレンドを出しながら、さり気なく我が城を見渡す。元々の客層からしてお察しの通り、この店は昔ながらの喫茶店だ。子供連れが入るには落ち着きがあり過ぎる。メニューもコーヒー中心。ソフトドリンクの類と言えばクリームソーダとオレンジジュースくらいでそう多くないし、フードもトーストとベーコンエッグにサラダのモーニングセットの他はナポリタンとペペロンチーノ。スイーツはパンケーキ。……お袋と二人でやってるから、およそ流行りのカフェみたいにはいかん。

(まあ、パンケーキはコーヒーと同じくらい自慢だけどな)

 イツキの奥さん―――H∧Lくんも喜んで食ってくれたさ。最後に来てくれたのは……

(……そうか。息子ちゃんがお胎にいた時か)

 二年? 三年? いや、マジでずいぶん経つな。その時は、

「ハルのパンケーキも美味しいけど、マダムのパンケーキって魔法でも使ってるのかと思うよね」

「年季が違うでしょ。極められし職人技だよ。あー…コーヒー飲みたいっ。これは紅茶よりコーヒー! 絶対ピッタリだよ、この味!」

 夫夫揃って大絶賛してくれたんだよなー。

(けど)

 妊夫さんだったから、コーヒーは我慢してたんだよな。妊娠中のカフェイン摂取はよろしくないもんな……。

(……………やっぱ、アレやるかなぁ)

 あれからずっと考えてはいたんだよ、新メニュー。美味く淹れられるように研究もした。

 ―――すみませーん。ブレンドおかわりお願いしますー。

 窓際のお客に笑顔で応えながら、もう一度店内を見渡す。今日が日曜ってこともあるが、大して広くもない店は前からの常連さんと最近増えたお客で満席だ。だからって、小さな店が本格的に新メニューを出すってのは結構な度胸が要る。……コストかかるからな。

(どうすっかなぁ)

 追加注文のブレンドをドリップしながら、迷いに迷う俺は胸の裡に溜め息をこぼした。

 そんな日が、何日か続いたんだが。

 よく晴れたその日は定休日の水曜だった。けど、まったく自由な日でもなく。お袋のパンケーキを再現すべく、朝から修練のために店でひたすら生地とフライパンを相手に戦ってたわけだ。……それもまあ、昼までが限界だった。主に腹が。

 本屋にでも行くか、と。パンケーキでくちくなった腹を抱えて店の勝手口から通りへ足を向け、思わず立ち止まる。

 俺のいる小路の先、表通りを天使と一緒にH∧Lくんがふさふさのレトリバーのリードを持って横切ったんだわ。もちろんイケメンSPも。

 いや、さすがにそれだけじゃ足は止まらん。普通にのんびり歩くさ、見慣れた光景なんだから。

 暫し後、通りへ出て三人と一頭の後ろ姿を見送る。いつものようにグルっと御苑の周りを一周してくるんだろう。いってらっしゃい、なんて胸の裡で声をかけて―――その時には、俺は新メニュー導入を決意してた。……準備はあらかた出来てたしな。

 そして、

『Soy cafe 始めました。黒豆を自家焙煎。ノンカフェインの大豆コーヒー。ホットもアイスもお楽しみ頂けます』

 店前にチョークボードを置いたのはクリスマス目前だった。

 まあ、そう簡単にH∧Lくんの目に留まるとは思ってない。けど、近ごろ増えた女性客が注文してくれたら御の字だ。女の人にいいらしいからな、大豆。

 そんなことを思ってたら、案の定、イブイブの土曜にはイツキ一家ウォッチングで何度か足を運んでくれてるお客が注文してくれた。この人たち、そろそろ常連だな。

 ―――え、意外。普通に美味しい。

 ―――アイスのクリームフロートもイケる。

 今日は何日かぶりに晴れて陽射しが暖かい。窓際の常連さんはめずらしく窓の外そっちのけでソイカフェを楽しんでくれてた。

 だから、気がつかなかったんだろう。

 カラン、とドアベルが鳴って来客を告げた。

「あの…ご無沙汰してます。子供連れでもいいですか?」

 ひょっこり顔を覗かせたH∧Lくんに、窓際さんたちがぎょっとして固まった。

「やあ、久し振り。悪いわけないでしょ。パンケーキに合う新しいメニュー出来たんだ、試してよ。アレルギーないなら、坊やでも飲めるよ」

「うわー、嬉しい。マダムのパンケーキ、食べたかったんだぁ」

「パンケーキ? マンマのもおいしいよ?」

「あはは。ありがと、サク。でも、ここのマダムのパンケーキには魔法がかかってるんだよ」

 まほー ⁉ って叫んで、咄嗟に口をふさぐ息子ちゃんがマジ天使だな。さしづめお袋は魔法使いのおばあちゃんか。

 その魔法使いのおばあちゃんに奥のテーブルへ案内されて、息子ちゃんは目をキラキラさせてた。SPさんも入って来て、母子の向かいに座る。

「朝比奈も食べて。ホンットに美味しいから」

「では、せっかくですのでご相伴に与ります」

 え、いいのか? 護衛だろ? って思ったんだが。後で訊いたら護衛も兼ねた執事さんなんだそうだ。

「こんな背の高い人がお店で突っ立ってるとかお邪魔にしかならないでしょ? なんで、取り敢えず席には着かせることにしてます。それに注文しないのもお店に失礼だし、執事は気を張る仕事だからちょっとした福利厚生ですよ」

 ……なんていいご主人様なんだ、H∧Lくん。

 ご注文はベリーいっぱい特製シロップたっぷりのパンケーキにソイカフェ。息子ちゃんにはミルクを入れてカフェラテに。

 まずはスマホで写真を撮ってから、ふわっふわのパンケーキを一口。三人とも、目が円くなる。そして、

「〜〜〜〜〜〜〜久々の味っ」

「……まほーだぁ……………」

「軽い食感なのに、何とも味わい深いですね…」

 それぞれ呟いたかと思えば、まるで示し合わせたかのようにカップを口に運んだ。

「…うん。やっぱりコーヒーに合う」

「はじめてだけど、さっくんもコーヒーすきになったよ!」

「美味しいですね。でも朔実さん、お家のコーヒーはまだ召し上がれませんよ?」

「えー」

 不満げに口を尖らす天使とか可愛すぎなんだが。固まってた窓際さんたちが、振り返るのを我慢しながら母子と執事の様子を窺って静かに悶えてる。

 H∧Lくんは、息子ちゃんと執事さんのやり取りを可笑しそうに眺めながらパンケーキをしっかり食ってた。かと思うと、ニンマリ笑う。

「せっかくマスターが魔法のパンケーキに合う魔法のコーヒーを作ってくれたからね。コーヒーのお豆、買って帰ろう。マンマも今は、このコーヒーしか飲めないし」

 やったぁ! と喜ぶ天使のご利益は商売繁盛か? 思わず拳を握り込んで小さく小さくガッツポーズをとる。

「ミルで細挽きにして、お茶パックで抽してね。それとも挽いとく?」

「じゃあ、取り敢えず百グラム挽いて下さい」

「まいどあり」

 この後、窓際さんたちが挙って挽いた焙煎黒豆を買って帰ってくれた。……これって推し活ってヤツか? 天使のご利益、余波も凄いな。
 
「ごちそうさま。今度はトトと来ますね」

「さっくんも! マスター、さっくんもくるよ!」

「ありがとう。今後ともご贔屓に」

「マダムも、またね!」

 黒豆コーヒーを受け取った息子ちゃんが、お袋とハイタッチする。その手を繋ぎ、執事さんが開けたドアへ向かう間際。会釈したH∧Lくんのボディバッグで、ピンクの円いタグが揺れた。

 マタニティマーク。

 そう。

 あの定休日、俺が思わず立ち止まったのは、H∧Lくんが久々にそのタグをつけてたからだ。

「寒いから、大事にしてね」

 笑顔で店を出る母子に、俺は軽く手を振った。

 ―――この日の夕方、ベリーいっぱい特製シロップたっぷりのパンケーキの写真がイツキのSNSにアップされた。と知ったのは、後日やって来た窓際の常連さんがスマホを見せて教えてくれたからなんだが。

『ハニーとジュニアと執事に抜け駆けされた! 俺も一緒に食べたかったよ、マダムのパンケーキ! マスター、今度行くからね! ハニーのための新メニュー、素敵なクリスマスプレゼントをありがとう!』

 ………バレてら。

 窓際さんたちにパンケーキとソイカフェを出しながら、俺はますますお袋の味を継承すべく修行せねばと心に誓った。




END

20221129

  



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