やさしいひとびと
□◆襲〜KASANE〜◆
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◆襲〜KASANE〜◆
「いらっしゃいませ!」
カラン…と涼しげに鳴ったドアベルを振り返り、元気よく挨拶したわたしはバーガーショップの新人社員だ。
バーガーショップって言っても、某有名なM○とかF○とかじゃない。厳選された食材と手間ひまかけて調理された「一品料理」としてのバーガーとサンドをお客様にご提供する、いわゆる高級バーガーの店である。
もちろん、ご注文のためにカウンターに並んで頂くようなことはしない。お召し上がりの確認をとって、お席にご案内する。お冷やと一緒にカトラリーとお手拭き、お子様用の紙エプロンをお出ししてから、急かさないように一旦おそばを離れた。
「……………」
世の中は夏休みが始まっていて、外は眩しいくらいに晴れていた。お昼時だけど、普通にバーガー一つが千円越えちゃうお店だから混み合ってはいない。天井で回る大きなファンが冷房の風を程よくかき混ぜて、店内はとっても快適だ。
なのに。
「…こら、ちゃんと息しなさい」
「ぶはっ…」
ニコニコ笑顔のまま固まってたわたしは、先輩にポンと背中を叩かれて軽く噎せた。ドッドッドッと心臓が跳ね回って、今さらながらに汗が吹き出る。
「び…ビックリした………」
「初めはみんなそうよ。叫ばなかっただけアンタは上出来だから安心しなさい」
でも息するのは忘れるな、死ぬから。と言われて素直に頷く。リアル尊死とかシャレにならない。
(だって)
ご案内したばかりのお客様をチラリと見る。
幼稚園くらいの坊やをお連れになったバースのご夫夫だ。黒髪の奥様は小柄で華奢でお可愛らしいけど、項に白くくっきりと見える契約痕が何とも艶かしい。メニューを見て目をキラキラさせてる坊やは旦那様そっくりだった。その隣で、それはそれは優しく微笑んでいる西洋人…らしき旦那様にはありすぎるくらい見覚えがある。
(生イツキとか、マジか……!)
この日本で知らない人はいないってくらい超有名なαのスーパーモデル。ゆるやかにウェーブした金茶色の髪と、同じ色の睫毛にけぶる紅茶色の瞳がその美貌と相俟ってヨーロッパの王子様を思わせるけど、ご本人が日本国籍のハーフだってことはわりと知られてたし、わたしも知ってる。
てか、ファンだし。
うん、何なら結婚も出産も予定がないのに彼が表紙の結婚情報誌とか、巧いこと奥様と坊やの顔が写らないように撮られた家族写真が表紙の育児雑誌まで買っちゃうくらいにはご一家のファンだ。「華纏」シリーズを拝見するためだけに、未だに高梨さんのサイトを覗きに行ってますよ。もちろん一番のお気に入りは、あの公開プロポーズって言われてる奥様H∧Lさんと写った「アンドロキュヌスの抱擁」です、ええ。
そんな箱推ししてるご一家が目の前に。
(え。職場が天国だった?)
新宿御苑前店バンザイ。
「お願いします」
イツキさんの低く落ち着いた声がかかったのは、脳内が一頻りお祭り騒ぎをしたあとだ。サッと営業スマイルの仮面をかぶって伺えば、坊やがちょっと拗ねてる。…くっ、可愛い。どうやらママにお子様サイズのバーガーを指定されたかららしい。わあ…うん、大人と同じの食べたいよね。でも、ウチのバーガー、大人でも食べるの大変なんだよ、こだわりバンズがふっくらしてるから。
(だからナイフとフォークをご用意してるんだけど、坊やにはまだ解んないよねー)
お子様サイズでも結構な大きさあるから、見てのお楽しみだよ? てか、見て驚いてね!
内心お子様サイズバーガーをガンガンに推しながらご注文を承った。サイドメニューに緑黄色野菜のスムージーとフレンチフライ塩なしのご注文とか、ママの優しさを感じるよね! 味つけはテーブル備えつけのケチャップとグレイビーソース各種でどうぞー!!
「鼻の穴ふくらましてんじゃないわよ」
「えええぇぇぇぇ…だって尊いです……」
「団欒の邪魔はしないように」
「当然です。推しのプライベートは絶対守ります」
オーダーをキッチンに回して、新たなお客様をご案内する。目敏くご一家に気づいたみたいだから遠く離れたお席に着いて頂いた。他のスタッフも、順次ご一家から遠い席へとお客様をご案内してる。よし、間違ってない。戻ったわたしに、先輩がご一家用のスムージーの載ったトレイを寄越しながら立ててくれた親指が誇らしい。
「わあ」
そのスムージーのストローから可愛いアヒル口を離して、坊やがパパと同じ紅茶色の瞳を大きく瞠いたのは目の前にバーガーを置いた時だった。
「パッパとマンマのもおっきいけど、さっくんのもおっきいねー」
でしょ? お子様サイズなのに一般的なハンバーガーより厚みがあるんだよ!
とは言えお子様用だ、ちゃんとバーガー袋に入れてプレートでお出しする。レギュラーサイズのバーガーはしっかりピックが刺してあるからバーガー袋は添えるだけ。ディップ用の梅皿とフレンチフライのバスケットをお出しすれば、山盛りのポテトに坊やの目はまたもやキラキラした。うんうん、ポテト美味しいよねー。バーガーも美味しいよ? 熱いので気をつけてお召し上がり下さいね。
「ふふふ。サク、何気にハンバーガーは初めてだよね」
「わお、そうだったの? ああ、でもマンマも沢渡さんも料理上手だから外食の機会そのものが少ないか」
(坊やの初バーガー頂きましたーーー! 当店のご利用ありがとうございますーーー!!)
ごゆっくりどうぞ、と下がった背後の会話に脳内のわたしがコロンビアポーズで叫んだけど仕方ないよね!? てか、近くを通った他のスタッフなんかグッと手を握り込んでたし! わたしだけじゃないと思う!!
「上手に食べられるかな?」
お持ち帰りのお客様に対応する間にも、ご一家の団欒は小さく聞こえた。
「てってでもって、たべるんでしょ?」
パパに訊かれて「しってるよ」とばかりに答えてる坊やの声がちょっと自慢げだ。可愛い。天使か? 天使だな。
「そうだね。じゃあ、お行儀よく食べられる持ち方を教えてあげる」
(…え)
いや、そんなのあるんですか? てか、ご提供してる側が言うのも何ですが、手で持ってガブッてする時点でお行儀よく食べるのはムリな食べ物ですよ、バーガーは。
この時、店内の空気が一瞬固まったのはたぶん気のせいじゃない。イツキさんの声が聞こえてた人はお客様もスタッフも、みんなご一家の方に意識を集中してたと思う。
「まず、こうやって持つ」
チラリと目をやれば、イツキさんは袋のままバーガーの天地をクルリとひっくり返した。
(は?)
なんで?
「なんで?」
坊やもきょとんとしてパパを見る。と、イツキさんはニッコリ笑って坊やの柔らかそうな唇をちょん、と触った。
「サクのお口は開ける時、上と下、どっちに動く?」
(あ…)
さすがに解った。
坊やはパクパク口を開け閉めして「した、だね?」と小首を傾げたけど、パパが持ってるハンバーガーを見て気づいたらしい。
「おくち、おっきくあけても、うえむかなくていいんだね!」
正解!
(顎引いて食べられる分、品よく見えるんですね!)
いやー、これは目から鱗だったわ。アハ体験。
途端に店内の空気が弛むのが解った。何かもうみんなスッキリしたんじゃない、これ。
ほんの束の間、止めてしまっていた手を動かしてお持ち帰りバーガーをショップバッグに詰める。お客様にお渡しする時、お互いに顔を見合わせて何だかほっこり微笑み合った。
「パッパすごいねー。さっくん、ぜんぜん、きがつかなかったよ?」
かすかに聞こえる超有名バースファミリーの団欒がBGMとなった店内は、いつも以上に和やかだ。
「ふふ、ありがとう。でも、凄いのはマンマの方さ。だってこれ、昔マンマとデートして肉まん食べた時に教えてもらったんだ」
「えー、マンマすごーい」
「いやいや、大したことじゃないけどね?」
でも、ありがとって。旦那様と坊やのふれあいを微笑ましげに眺めてる態だったH∧Lさんの声は、どこかはにかんだみたいに苦笑いだった。
(……うわ)
いい。何かうまく言えないけど…いい。
(胸の奥がホカホカする)
だってさ。一つの気づきをパートナーとシェアしたら、坊やにまで伝わったんだよ? これってきっと、この先々で坊やからまた他の人に伝わるよね? お友達とか、恋人とか、お子さんとか―――その全部にアハ体験した思い出が紐づけられて、情景が重なっていくってさ。
(ささやかなのに、凄いよね)
一つの思い出の向こうに、別の誰かの思い出が透かして見えるとか―――
(…うわー、結婚したくなってきた)
今日のこの出来事を、わたしも誰かと繋げて重ねて残したい。
何てことないはずの出来事なのにあらぬ方向に感動しちゃって、立ち止まりそうになる足を意識して動かす。他のテーブルにプレートをお出しする間にも、ご一家は楽しそうにこの話題で盛り上がってた。
この持ち方はシュークリーム食べる時にもいいよ。サクはエクレアの方が好きだから、シュークリームはあんまり食べないけどね。さっくんもシュークリームたべる! じゃあ、今日のおやつに沢渡さんと三人で作ろうか。え、待って、俺は? パッパと、あさひなさんは、たべるかかりね。いや、パッパも混ぜて?
必死だな、イツキさん。でも世界的に活躍されてるスーパーモデルだから、なかなかお休みも取れないんだろう。庇護欲の強いαが番とお子さんを置いて飛び回ってるんだから、たまのお休みに楽しいことがあるなら参加したいのは当たり前だよね。
(それにしても、手作りシュークリームとか)
さすがH∧Lさん、お料理男子。フラワーアーティストってお仕事もだけど、相変わらず女子力高い…。
(今日は絶対イツキさんのアカウント、チェックしないと)
きっと坊やと作ったシュークリームの幸せ写真がアップされるよね!
それを楽しみに仕事頑張る! と意気込んだ時だった。
「トト。そろそろいいんじゃない?」
H∧Lさんの声に、思わず振り返る。
「ふふ、そうだね。じゃあ、サク。いただきますして食べようか」
「はい。いただきます」
ぺちっと手を合わせて挨拶した坊やに、イツキさんが袋の端を折って逆さまのバーガーを持たせた。小さなお口を大きく開けて、でも顎を引いたきれいな所作でガブッと噛りついた坊やはニコニコだ。
(………そっか…)
おいし〜。と初バーガーに舌鼓を打つ坊やを見て、ご夫夫の意図に気がついた。
お腹をすかせてるはずの坊やに話を振って、盛り上げて―――ぐずらせず泣かさずで出来立てのバーガーを冷ましてたのか。
(〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ご夫夫そろってスパダリか!?)
もちろん、終業後に先輩を含めたホールスタッフ一同で萌えまくったのは言うまでもないよね!
そして、チェックしたイツキさんのアカウントに全員で撃沈した。
『ジュニア、初めてチャレンジ』
というキャプションがついてアップされてたのは、いつの間に撮ったのか山盛りポテトを背景に並ぶお子様サイズバーガーとレギュラーサイズのバーガーで。
『今日はハニーと一緒に、行きつけのバーガーショップへ初めてジュニアを連れて行ったよ。 俺たち家族が落ち着いて食事できるよう、色々と気遣ってくれたスタッフのみなさん、ありがとう! また食べに行くからよろしくね!』
もう好きぃぃぃぃぃっ!!
「……先輩。あのご一家見て結婚に憧れない女っているんでしょうか!?」
「いないかも知れないけど、現実を見なさい。あのご夫夫は二人とも男前のイクメンだから幸せなのよ。例えあんたが頑張ったって、あのレベルの男がいなきゃ実現しない幸せだからね」
「はうぅぅぅぅ……」
はたして。今日のこの感動を共有して、わたしと一緒に次の世代へと思い出を繋いでくれる人が現れる日は来るんだろうか。
END
20210816