IVO 国際バース機構

□アインとレン
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*episode-0 tefsir al-ahlam*


 ペルシャ湾の珠玉。灼熱の国イスマイリアの四月と聞けば、どれほどの暑気に悩まされるものかと構える観光客も多かろう。

 …が、勘違いしてはいけない。

 暦の上では四月だが、北半球的に見れば季節は真冬。

 観光が重大な産業であるイスマイリアの王都ワーハ・ヤシュムの中心街では、西暦による新年を迎えるに当たって特別に店々の夜通しの営業が許され、東部の海浜公園ではフランス、アメリカ、日本の有名ファイアーワークスによる花火イベントが開催されるなど、夜も更けたというのに戸外には人があふれている。

 頭髪を露にした者、シュマーグやヒジャブで覆った者、帽子をかぶる者。人々の装いは様々ながら、しかし一様に冬着なのは、砂漠地帯を抱える国の夜が冷え込むためだ。

 ワーハ・ヤシュムは海辺の都市であるため内陸部ほど昼夜の気温差はないが、それでも時刻は深更である。

 その深夜のあるかないかの風に、街からカウントダウンが運ばれてくる。

 …五、四、三、二、一、Happy new year!!

「新年おめでとう、レン」

「おめでとうございます、アイン。それから、ありがとうございます、おれに合わせて下さって」

 かちん、と打ち合わされたシャンパングラスの中身は実のところジンジャーエールなのだが。戒律でアルコールがNGのアインと完全に下戸の自分の乾杯には、この「なんちゃってシャンパン」で十分だろうと思う。

 要はお祝いの雰囲気を楽しめればいいのだ。

 お互いにグラスに口をつけると、蓮は長身の夫を見上げながら少女と見紛う可憐なかんばせをおっとりと綻ばせた。柔らかで鮮やかな若草色のヒジャブの中で、この九ヶ月ほどの間にずいぶんと伸びた髪がさらりと揺れる。と、未だ十八というのに大人びたアインの精悍な美貌が蕩けるように甘く微笑んだ。

「相変わらず慎ましい人だ。あなたが私に合わせてくれたことの重さを思えば、こんなことは些末にすぎるだろうに」

 確かに。とは言え、信仰に関わることとなると、一切異文化の風俗を受け付けない人もいる。この辺りに寛容なのは、イスマイリアが古来世俗主義のお国柄だからかも知れない。

「ここは寒い。中へ入ろう」

 宮殿の広大な敷地の向こう、街や海岸の賑わいをいささか名残惜しく振り返りつつ、蓮はアインに促されるままバルコニーから豪奢で暖かな寝室へと戻った。

 途端、ヒジャブと外套のアバヤを暑苦しく思う。グラスを置くなりヒジャブをはずして前を開ければ、すかさずビーズ刺繍も美しいその外套を妻の肩から取り去ったアインが控えていた腹心のアクバルに渡す。それから彼自身もイスマイリア独特の白と緑のシュマーグをはずし、金刺繍に金房のついた外套、ビシュトゥを蓮の手伝いで脱ぎ去った。

 現れた夫の広い背中に、蓮はうっとり吐息した。

 白い長衣はシンプルだが、それだけに均整のとれたαらしく逞しいアインの体躯を引き立てて、いっそう美しく見せてくれる。

 身長と言えば一六〇センチに届くかどうか。肩も腰も細く身幅もない。Ωにしてもひ弱く、こうして色鮮やかなドレスを着てしまえばおよそ二十歳の男になど見えぬ自分とは大違いだ。

「……あなたはまたそんな顔をして」

「ふふふ。だって、本当にお美しいから…」

 つい送ってしまう熱視線に、アインが黒瞳を眇めて気恥ずかしげに苦笑する。と、そっと蓮の頬をその浅黒い大きな手で包んだ。

「レン、あなたに美しいと誉められるのは嬉しいけれど。あなたこそもっと自分の美しさを受け入れてくれないと…少し心配だ」

 言いながら、チラリと視線をはずす。その先を横目に追えば、そこには訝しげな顔をする、アインの最も信頼する乳兄弟にして腹心の従者。

「私よりアクバルの方が、何倍も男らしくて屈強だから」

「え、アクバル!?」

 いや、確かに武人然としててアクバルは格好いいけど! 内心でそこには頷きつつも、蓮は夫の手の中でブンブンと首を横に振った。

「おれ、浮気なんてしません…!」

 アインしか見ていないのに、何がどうしてそうなったのか。自分は何か疑わしい言動をしたろうか−−−

「レン、違うよ」

 コツッと額が合って、グルグルし始めた思考が止まる。

「ごめんよ。冗談のつもりだったんだけど、ちょっと意地悪だったね」

「冗談、ですか…」

「うん…でも、あなたはいつも、少し羨ましそうにしてるから」

 羨ましいのは事実だ。

 蓮は出生時診断でバースが確定した、いわゆる「先天性」と呼ばれるΩだった。それゆえに、二次性徴期に診断が確定した「後天性」のΩ男性よりも早く自らの二次性を受け入れられたと思っている。

 しかし、それでも「可憐だ」と誉めそやされる一方で、その華奢で愛らしい容姿も含めて「女男」と、Ωである身をあげつらうように揶揄され続けてきたことは、決して小さくはない心の傷であった。

 せめて今少し、母でなく父に似ていたら。あと幾分か、男らしい体つきであったなら……そんな風には、言われなかったのだろうか。

 そう思わなくもなかったが。

(それならそれで、却ってΩを受け入れるのに苦労したのかな…)

 だから。

「羨ましいのは本当です…でも、今はアインが誉めて下さるから、これでいいと思っています。ちょっとひ弱いですけれど」

「レン…あなたはひ弱いんじゃない。たおやかなんだ」

 
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