やさしいせかい
□*looking for the idol*
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およそ昼前とは思えない、灼けつくような陽射しから逃げるみたいに木陰へ入る。
「ハルー!」
振り向いた瞬間をパチリ。
カシャ! と鳴ったシャッター音に、下がり気味の眉が困ったようにいっそう下がる。
「もー。樹ってばまた撮ってる」
「そりゃあ、撮るさ。だって、そういう遊びだからね」
スマートフォンを目線からはずし、サングラスを下げてウィンクすれば、ハルは「そうだけどさ」と呆れた顔で小さく息を吐いた。滑らかなまろい頬とふっくりした小さな唇が、男の子と解っていてもやっぱり可愛い。
そう、ハルは可愛い。日本人で、まだ十六っていう歳のせいもあるだろうけど、小柄で華奢になりがちなΩの例にもれず印象はとっても可憐だ。隣にいるのが日諾ハーフで背の高いαの俺だからなおさらそう思う。
変装して、オシャレして。ちょっとしたアソビのために、俺とハルは観光客で賑わう夏休みの横浜に来てる。
変装…と言っても、バックフロントにかぶったキャスケットに目立つ金茶色の髪を隠して、円いサングラスをかけただけなんだけど。どうやら外国人観光客に見えるらしくて、これが意外と成功してた。駅ビルの百貨店でも乗って来た地下鉄の車内でも、俺−−−「イツキ」がイメージモデルに起用された香水ブランド「ギィ」のポスターが貼られ、車内モニターでは繰り返しCMが流れてたのに、誰にも気づかれなかったのが凄く愉快だ。
…代わりに、ハルが注目を浴びていた。
黒のソフトハットに白のボートネックシャツ、七分丈の黒いスラックス。繊細な白い首には革紐を編んだ細いチョーカー。
たったこれだけのシンプルな装いだけど、何しろ俺の見立てだからね。お店の子らしく接客で鍛えた、彼の美しい立ち姿を凄くよく引き立ててる。今だって陽射しを避けて木陰を行く観光客が、通りすがりにチラチラ視線を投げてくるくらいだ。…まだ、俺の正体はバレていないと思うから、この視線の大半はハルを見てるんじゃないかな。
「ふふ。自慢したくなるよね。この子、俺の王子様なんだよーって」
今いるのは山下公園。大きなクスノキを背にして待ってたハルに、ワゴンで買ってきたフレッシュジュースを差し出す。と、受けとりながら黒目がちのつぶらな瞳をぎょっと瞠いた。
「え、やめてよ。樹の正体バレる上にその発言とか、僕、日本中の女の人にコロサレル。何ならΩの男の人たちにだって敵認定されちゃうよ」
「イツキ」の人気舐めないでよね! って下がり眉を吊り上げて怒らせるけど、ハルは特に俺のファンじゃないんだよね。なのにこの力説…解せぬ。
「だいたい僕ら付き合ってないでしょ」
「だからこれを機に付き合ってって言ってるよ、俺」
「…そこが解んないんだよ。僕みたいなどこにでもいる垢抜けない子供のどこがいいの。あなたならどんな美男美女でも選り取りみどりなのに」
ちゅう、とストローでジュースを啜って、吊り上げた眉をまた下げる。入れ替わりに、俺の眉が跳ね上がった。
「ハルはきれいだし可愛いよ。俺の審美眼、疑うの?」
「僕に関してだけは」
「ハッキリ言うね。でも、みんなハルが気になるみたいで君を見てるよ?」
「それはあなたが服を見立ててくれたからだよ」
「うん。だけど、どんな服もそれを着る人に素地がなかったら見られたもんじゃない。それに、佇まいっていう、容姿とは別の美しさだって重要だ」
「うわ。佇まいとか、ぼーっとしたただの高校生の僕からは一番遠いでしょ!?」
「………何て言ったら納得してくれるんだか…」
お前の言う、日本中の女の子を虜にしてる「イツキ」本人が、こんなにもハッキリ他の誰でもなく目の前にいる小笠原暖人その人がいいって言ってるのに!
肩を竦めて溜め息を吐けば、軽やかに笑ったハルが「あのね」と可愛らしく小首を傾げた。
「僕、樹のこと嫌いなわけじゃないよ? 初めて出会ったαが明るくてフレンドリーなあなたでよかったって、心底思ってる」
「俺といるのは…イヤじゃない?」
「イヤなわけないでしょ。樹といるのは楽しいし、できればずっと仲好くしたい。僕、あなたのこととっても好きだよ。…でも。それが恋かどうかは、ハッキリ言って疑問」
「……なるほど」
つまりハル的には、今はブロマンス(?)なわけだ。
サングラスを下げて、ぱちん、とウィンクする。
「俄然、燃えてきたよ。絶対、恋に落としてみせるから。目の前の難題をクリアせずにはいられないαの本能に火をつけたんだ、覚悟してよね」
「えー…」
俺の宣戦布告に、ハルがイヤそうに呻く。…なに、それ。可愛くないなぁ。
「まあ、それはともかくとして」
軽く腰を屈めてそっと顔を近づければ、「なに?」とばかりにハルは目で問いかけてきた。
そんな隙を、俺が逃すはずもない。
ちゅ。
「…ミッション通り、今日のデートを楽しもうか、相棒」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
まろい頬にキスを贈れば、そこは途端に赤く色づいた。
「…な…なんでキス…!?」
「ん? こういう時するだろ? 家族とか、ごく親しい友人とか」
「ぼ…僕の家族は全員日本人だからしないよっ」
もう! と憤慨するけど、その声は凄く小さく殺してる。……そんな気遣いしたら、本気で怒ってないってバレちゃうのにね。
可愛い照れ隠しを喉で笑って、俺はハルの小さな手をとった。
「さあ、行くよ。そろそろ移動して、次の写真アップしなきゃ」
『今日はこの子とデート。どこに行くと思う? 見つけられた人はコメントよろしく。あ、プライベートの仲好しだから、写真はNGだよ』
今朝、ハルに顔が判らないようポーズをとらせて全身のコーディネートを撮ったのが、御苑にある自宅マンションの近く。もちろん、写真の位置情報から逃げるために、SNSの俺のアカウントにアップしたのは電車に乗ってから。
俺たちは今、不特定多数の俺のファンとの鬼ごっこの真っ最中だった。
*looking for the idol*
ハルと出逢ったのは、本当にほんの偶然だった。
二ヶ月ほど前の、梅雨の晴れ間。地下鉄の出口を上がり、ふと目についたチョークボードに誘われて、俺は広い通りの向こうに渡った。
『フローリスト・オガサワラ』
有栖川記念公園へ抜ける辻の一つにちょこんと立つそれは、蔦の枠組みにアイビーや芍薬で飾られた花屋の看板。
書き込まれた矢印に辻の奥へと招かれて行くと、そこにハルがいた。
そしてこの時、間口の広い立派な店先で鉢物に水遣りをする彼に、俺の目は釘づけになったんだ。
立ち仕事を意識しているらしく、姿勢はとても美しかった。なのに、柔らかそうな黒髪は特に意匠を凝らされたわけでもない切りっぱなしで、下がり気味の眉も手入れの気配がない。けれどもそこが、小柄なことを除いてもまだ少年と判るまろい頬と相俟ってなんだか微笑ましい。
アルバイトにしても若いな、と思ったのは確かだけど。
何より黒いエプロンの下にざっくりと着たシャツの襟から覗く、一見コルセットかと思うほど幅の広いソレに驚いた。
(…Ωだ)
自治体を通してバース機構から交付されるΩのための防具「カラー」。実際に着けているΩに会うのは…と言うより、街中で偶然Ωと遭遇したのは二十年の人生でこれが初めてだった。
(ホントにいるんだな)
いや、いるのは知っている。同じモデルの中にはΩ性を持つ人もいて、ごく稀に一緒に仕事をすることがあった。何なら、ちまたでバンバン流れてる「ギィ」の新作CMで相方として一緒にイメージモデルをしてる人もΩ女性だ。
でも、これは感受性豊かなΩ性の人たちが表現の世界に進出する例が多いからで、普段の生活でΩに出会える確率なんてはたしてどれだけあるんだろうか。しかもΩ性のモデルは仕事柄もあって現場でカラーはしていない。もしかしたら、美意識のあまりプライベートでも着けてないんじゃないかな。
わずかに止めた足をゆっくり店先まで進める。と、水遣りで俯き加減だったハルが顔を上げた。
「…あ。いらっしゃいま−−−」
びっくりしたらしい。黒目がちの大きな目がさらに瞠いて絶句されたから、一目で正体はバレただろう。…そもそも、俺は隠す気なんか端からなくてサングラスすらかけてなかったし。
さて、このあとはどんな反応をするか。少しばかり愉しみになって、にっこりと微笑ってみせたのはご愛嬌だ。
「お見舞いの花がほしいんだけど、どんなのがいいか見繕ってくれる?」
「…………………………あ、はいっ」
どれだけ驚いたんだってくらい間があってから、ハルは我に返った。
「お、お見舞い先の方はお怪我でしょうか…ご病気だと、あまり香りの強いお花はお薦めできないんですが」
「じゃあ、その心配は要らないかな。足を骨折してしまったんだ」
「そうですか…早く回復されるといいですね」
心配そうに下がり気味の眉を寄せて、見舞いの言葉をくれる。それから予算を訊き、病院では花瓶に活け直す手間を省けるようバスケットがお薦めだとアドバイスをくれて、彼は選んだ花々を他の店員に預けるとアレンジメントを頼んで会計をしてくれた。………………至って、普通の対応だった。
(あれ…バレてない?)