やさしいせかい

□*strong>tough>bold,but not weak*
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 時間にして三〇分ほどのショーのバックステージは、まさに戦場さながらの慌ただしさだ。

 …まあ、だからこそ終わった後の解放感は一入なんだけどね。

「お疲れ、イツキ」

「お疲れ様です、宮藤さん。今日は呼んで頂いてありがとうございました」

 「M.Kudo」の春夏コレクション。三本歩いて、最後はデザイナーの宮藤ミキタカさんの隣でレヴェランス。国内ではやっぱり一〇〇を超えるブランドが参加する東都コレクションが有名だけど、ウィメンズの中間期に当たる六月から七月はメンズの春夏が本番を迎えて大小のランウェイが続く。俺もこの足かけ二ヶ月に歩くステージは国内で九。それが終われば今年の国内でのランウェイは十月の東都を残すのみ、後は海外だ。

「来てもらった僕が言うのもなんだけど、相変わらず忙しそうだね。この春夏は何本歩くの?」

「海外も入れると、春夏全体では三十二です」

「そりゃ凄い。本当に引っ張り凧だね」

 ますますの活躍を期待してるよ。そう激励をくれて、宮藤さんは離れていった。

 このやり取りさえ済めば、アフターパーティは八割方終わったも同じだ。

 時計の針は夜の十時を回ってる。正直、帰りたい。と言うか、この場を離れて電話がしたい……ハルに。

(今日で一年なのに…)

 ハルと出会ってから。

 なのに、今朝メールを入れたっきり声も聞いてない。

 しかも、今日は木曜日だ。

(神取さんのことだから心配はいらないはずだけど…)

 プロデューサーやらディレクターやら主だったスタッフに愛想よく挨拶しながら、その実俺はまったく気もそぞろだった。

 ……そして、こんな時ほど用もない連中に囲まれる。

「ハイ、イツキ。近ごろ付き合い悪いじゃない」

「これでも学生だからね。課題をこなす時間をとらなきゃ。ホントは今日も早く帰りたいんだ。明日の午前中は朝寝じゃなくて課題に使いたい。午後はまたリハだし」

「ふうん? せっかく呑める歳になったのに、その途端付き合い悪くなったと思ったけど…仕事も大学もタイトなんだね」

「まあね。他にもやりたいことはあるし。それに、今は知らない人の集まる場所は避けてるんだ」

「ああ…」

 俺を取り囲んだモデル仲間の口から揃って溜め息まじりの得心がこぼれた。

「…バレンタインは悪夢だったな、お前」

「その後、オメガフォビアになったりはしてないかい?」

 付き合いが悪いって言い方は、むしろ気遣いだったらしい。何しろ、直後から暫くはみんな腫れ物に触るような素振りだったからね。用がないとか思ってごめんよ。

「お気遣いありがとう。特に問題はないよ」

「ならいいが。何せ、人前で媚薬を盛られたようなもんだからな」

「いわゆるカウンタードラッグでしか対抗できないって言うんだから、ヒートの時のΩのフェロモンはそこらの媚薬より質が悪いんじゃない?」

「ああ…お願いだよ、あの一件のせいで誤解しないで。ほとんどのΩ性の人たちは、あんなこと考えてもいないんだ。…Ωだからってだけで、どうか彼ら彼女らを悪く思わないでほしい」

 マスメディア上で犯罪の一部始終が公開された形だ、ショッキングなんてもんじゃない。ましてや女性に言い寄られるのがめずらしくない連中にとっては、よりゾッとする光景だったろう。

「問題は飽くまで主人格の理性と品性だ。あの女優は自分のΩを悪用したにすぎない」

「まあ、確かにその通りだが…」

 ピロンピロンと、二回。この時、俺のスマートフォンが軽い着信音を鳴らした。

「あ、ごめんよ」

 断りを入れて急いで画面をタップする。それが意外だったのか、みんなちょっと目が円い。…仕方ないだろう? 二回のコールはハルからのメールなんだから!

「…ふふ」

 ショーの労いと、今日の出来事。嬉しいことがあったって、無機質なデジタルの文字なのに踊って見える。それから、

『今日で一年だねー』

 …って。去日の電話では特に何も言ってなかったけど、ちゃんと覚えててくれたらしい。

 嬉しくて、思わず笑いがこぼれた。

「…なんてカオしてんだ、お前」

「デレッデレのイツキって…初めて見るよねぇ」

「しかも電話じゃなくメッセでとか…」

「イツキにカノジョって、久し振りじゃない?」

「また歳上?」

「ふふふ。四つ下」

 ええぇぇ!? って、びっくりするのも無理はないか。

 これまで付き合った女の子は仕事を通じて知り合ったから、ほとんどが同じ年頃か俺より少し歳上だった。

「四つ下って…高校生?」

「何もできないだろ…」

「そうでもないよ。学校のことがあるから、俺が一線を越えないようにはしてるけど……項を約束をした、Ωだからね」

「わお…」

「なるほどー…って、ソレ……」

 パカッと目と口が大きく開いたみんなに、口の前で人差し指を立ててみせる。

「婚約したんだ。来週、指環ができる」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

 一斉に手で口を塞ぐ辺り、みんな凄く良心的だよね。

「…っぶね。叫ぶとこだった……」

「ホント…」

「バースカップルかぁ。理想的だけど、やっぱβの子じゃダメだった?」

「そういうわけじゃないよ。本当に偶然だったんだけど、たまたま好きになった子がΩだったってだけ」

「へーえ…」

 そんなこともあるんだって。呆けたみたいに感心される。と、みんな揃ってニヤリと悪戯な顔で笑った。…まあ、そうだよね。

「どんな子?」

「可愛いよ」

「そりゃ、そうだろうけどさ」

「Ωらしく小さくて華奢で、でも立ち姿がとても美しいんだ。朗らかで礼儀正しい子だよ」

「ほうほう、それから?」

「手先が器用で料理も上手だね」

「胃袋掴まれたクチ?」

「いや。手料理を食べさせてもらう前にプロポーズしちゃったから、俺」

「どんだけだよっ」

「君の惚れた欲目をさっ引いたとしてもいい子なのは解るけどさ。今までの子とどこが違う? 何が決め手?」

「ふふふふ。俺に格好つけさせてくれないところだよ」

「…………………………は?」

 イケメンが揃いも揃って間抜けな顔で俺を見る。

「…って、お前αだろ」

「不満はないわけ?」

「αは格好つけてなんぼじゃない」

 確かにね!

 でも。

「ふふふ。あの子はα性のイツキっていうモデルには目もくれず、ただの相澤樹っていう人柄をとても大切にしてくれるんだ。その上でαとしての俺のプライドや、モデルとしてのステータスに敬意を払ってくれる」

「…へえ………」

「てか、その子ホントに高校生?」

「もちろん。先月十七歳になったばっかりだよ」

「なにそのハイスペック女子高生…」

「ふふふ」

 女の子じゃないけどね。身バレ防止のためにも、そこは敢えて訂正せずにおく。

「とても毅然としていて、とても優しい子だよ。少しも素振りは見せないけど、Ωとして生きると決めてからたくさん思い悩むことがあったと思う。俺がオメガフォビアにならずに済んだのは、母とあの子がいてくれたからだ」

「人柄を大切にしてくれる、か…」

「確かにαとかΩって言われると、どうしたってバースに注目しちゃうよね」

「うわー、ごめんイツキ。俺、すっごい下世話なこと訊こうとしてた」

「んー…そこは十七歳の子が相手ってことで勘弁してよ」

「でも、可愛い?」

「すっごく初心で素直で堪らない」

 ひゅー! って盛り上がったところで、俺は手に持ったままのスマートフォンを振ってみせた。

「返信してもいい?」

「お前、ホントにどんだけだ!」

 嫌味でない明るい爆笑で、みんなは祝福してくれた。

 −−−けど。

『〜〜〜〜〜〜〜あなたはナニを言ってくれちゃってるのさ……』

 翌日。次のステージのリハーサルから帰って電話をかければ、ハルはアフターパーティの話に電波の向こうで撃沈した。

「ん? 俺、嘘は言ってないよ?」

『だからって床事情なんか明かさなくていいから…』

「えー。初心で素直だって言っただけだよ。ベッドでのお前がどんなに可愛いおねだりするかなんて言ってない」

『当たり前だろ…そんなの言われたら堪んないよ……』

 恥ずか死ぬ……って、消え入りそうな声。…んんん?

「…ハル、なんかちょっとテンション低い? 何かあった?」

 いつもなら、同じことを言っても叱り飛ばす勢いなのにそれがない。でも、返ってきたのは『何もないよ』の一言。

『ただ、一昨日の晩辺りからヒート始まって、今ちょうどピークだからちょっと怠いんだよね…』

「…ええぇぇ……」

『…って。なんで残念そうなの?』

「だって俺、今まで一度もヒート期間のハルに会ったことない……」

『会えても、あんまり調子よくないよ?』

「そういう時こそ優しく構ってやりたいんじゃないか」

『……抑制剤飲んでても、あなたといるとむやみに甘えたくなりそうだから何もしないでいられる自信ないんだけど、僕』

「〜〜〜〜〜〜〜〜ハル…!」

 なんて可愛いこと言ってくれるんだ、お前は!!

 …でも、残念ながらそう単純には喜べない。

 
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