やさしいせかい
□*それが、まだ恋を知らなかった頃の僕の戸惑い*
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*それが、まだ恋を知らなかった頃の僕の戸惑い*
「あー…専門組って楽だわー…」
補習に集まる大学受験組を横目に眺めて、マサムネがしみじみ呟いた。うん、まったく同感だよ。
一学期の期末テストも返ってきて、あとは終業式を待ち潰すだけの暑い日。僕らお気楽な専門学校組はまったりと昇降口から外へ出た。
「おう、ハル。帰り、ガ○ガ○くん買ってこーぜ」
「あー。僕、新味は却下」
「お前は昔から手堅いよな」
「一回冒険して悪夢見たからね…」
今でも思う。コンポタ味よ、僕のお小遣いを返せ。
「あ、あのっ……!」
タカヒロのお陰で、口の中に何とも言えない味が甦った時だ。
補習のない帰宅部員が粗方はけた狭い前庭。ポロシャツにスラックス−−−他校の制服を着たひょろっと背の高い男子が、門柱の陰から飛び出してきた。
‡ ‡ ‡
校門から流れ出てくる生徒が、明らかに制服の違うおれを物凄く怪訝な顔で見ては駅の方へ向かって行く。
いや、確かに他所の学校で誰かを出待ちとかするもんじゃないとは思うけど。
(……でも)
一言だけ。ホントに一言だけ伝えたいと思ったんだ。
どこかのマンションらしい明るいリビングで、可愛いゴールデンレトリバーと戯れてるイケメンの外国人−−−テレビで流れてた公共広告。なんと、あのモデルの「イツキ」が出てて思わずガッツリ見入っちゃったんだけど。
驚いた。
日本とノルウェーのハーフだっていうイツキは、まるでギリシャ彫刻みたいに彫りの深い美丈夫で、たぶん日本のモデル業界じゃ若手の筆頭に挙げられるんじゃないかってくらい絶大な人気を誇ってる。
アジア圏じゃけっこう人気の国内香水ブランド「ギィ」がヨーロッパで注目され始めたのも、向こうへの売り込みを意識してCMにイツキを起用してからだって話だ。
今年で二十二歳。メディアで見るイツキは大人の雰囲気を醸しながら、でもその品を損なわない若々しい男の色気が駄々もれた、誰もが認めるアッパークラスのαで。日本中の女性を虜にしてる凛々しくてエレガントな格好いい男ってイメージが一般的だと思う。
それが。
(……マジ?)
この人、こんな顔するんだ。
(かわいい………)
って言うか、甘い。
おれは目を疑った。イツキの茶色っぽい瞳は、光の射し加減でよく琥珀とかブランデーに例えられるけど、そんなもんじゃない。なにこれ、ハチミツか?
画面の中に、マグカップを二つ持って現れたその人を見る目が、ただただ愛おしいって謳ってる。
小柄な人だ。艶やかで、柔らかそうな黒髪。陶器人形みたいに滑らかな膚。少年らしい、華奢で繊細な首筋。そこを守る、錠のついたカラー−−−
決定的に顔が解るシーンは一つもなかった。
(けど、おれ)
この人、知ってる。
……いや、知り合いとかじゃなく。名前だって知らないし。
でも。今の高校に入学して、通学路で見かけてから早二年。もちろん見かけない日もあったけど、それでもずっとおれはその人を見てきた。
「−−−…ル。帰り、ガ○ガ○くん買ってこーぜ」
「あー。僕、新味は却下」
(っ……)
ふと聞こえた会話にハッとする。
(き…きた!)
聞き覚えのある声。そして、微かに香るΩのフェロモン。おれは凭れてた門柱から背中を起こした。
「お前は昔から手堅いよな」
「一回冒険して悪夢見たからね…」
「あ、あのっ……!」
パッと門内を向いて飛び出せば、げんなりした顔だったその人が黒目がちの大きな目をぱちくりと瞬く。
(うわ、ちっちゃ! 可愛いっ…)
いや、前から知ってたけど! 至近距離でしっかり見たらなおさら!
背の高い二人の友達に挟まれたその人をまっすぐ見て、おれは大きく息をした。
そして、
「イツキさんの、ご婚約者の方ですよね…!?」
途端、凄まじい殺気が吹きつける………って、え…?
「ぁあ? 何だ、てめえ」
ギロリとメンチ切られてハンズアップしたおれの行動は間違ってない、はず……!
一瞬の間に、おれの正面にはワンレンボブの前髪を後ろで一括りにしたお友達その1が立ってた。
(い…いやいやいやいやいやいや……!)
ビビるな、おれ!
(そうだ、おれは知ってる!)
お友達1はヤンキーにしか見えないけど、婚約者さんと一緒にいる時はすっごいいい顔で笑ういい人だ!
「すすすすすすみません…不躾でした…危害を加える者ではありませんんんん……!!」