空ハ青ク澄ンデ

□第二十九話
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歌が聞こえた。
同時に喧しい音が聞こえた。

「う……ッ」

酷い目覚めだ。目を開くと、銃が此方に向けられていた。そして、真上に大分貧血の進んだ顔が見えた。

「よりによって今起きなくてもいいじゃないですか……。嗚呼、また血を見る事になる」

優しい囁きが聞こえた。他人には悪魔の様に冷酷で、俺には優しい声。
即座にギュッと頭を抱えられて白い布に押し付けられる。

「重力を操る、異能力者だ……!」

掠れる様な声が聞こえた。先刻までの長い夢を思い出す。
否、あれは夢ではない。自覚した瞬間に体が跳ねた。

「夜宵?如何しました?」
「ッ」

吐きそうになっている事を自覚し、ぐるぐると回る頭が鬱陶しいと感じつつ手を押し退ける。
重力に従って倒れ、落ちた床で胃液を吐いた。

「ごほっ、ごほっ」
「夜宵、」

ドストエフスキーの冷たい手が俺の背中を擦る。熱い様な、温(ぬる)い様な液体が口元を汚す。

「此処には貴方の敵は有りませんよ」
「ち、がう……」

息を荒げ、腹を抱えながら。俺はドストエフスキーの方を掠れた視界で見上げた。
力が入らない。とんでもない記憶を一気に流された。趣味の合わない映画を幾つも見せられた気分だ。

「酷い、記憶だ……。然(しか)も、アンタ迄居るのかよ……。中也、さん」

聞こえて来る叫び声。夢の中でも聞いた様な気がする。
先ずは体調を戻さなくてはならない。俺の格好は、最後に天空カジノへ忍び込んだ時の物だった。
此処はドストエフスキーが送られたと云う監獄に違いない。だが、其れまでの経緯が分からない。
腹から数回息を大きく吐き出す。

「夜宵、聞こえているのなら此処に手を置いて。《独歩吟客》で水を呼び出しなさい」

ドストエフスキーが何か云っているのが聞こえる。固い物に手が触れて、収まらない息で復唱した。

「『ど、っぽ、ぎん』」

聞こえた所まで云えたが、後が分からない。頭が熱い。気持ち悪い。

「『独歩吟客』」

涼やかな声が俺の思考を手伝う。俺は鸚鵡(おうむ)返しに繰り返した。

「『独歩、ぎんかく……』」
「『コップの水』」
「『コップの水』」

云い終えると、力が抜けた。未だ躰が吐き出そうとする。何も入っていないのに、もう出せる物は無いのに。
すると口に水が流れ込んで来た。ゆっくりと。

「……は、」

飲み切れない水が口の端から伝い落ちる。鼻につく酸の匂いが少し薄らいだ。
其れからまた背中が擦られる。

「落ち着きましたか?」

今度ははっきりと、ドストエフスキーの姿が見えた。そして、何時の間にか俺の目の前に立っている中原中也の姿も。
……異形と呼ぶべき姿だ、是は。何故。

「説明、してくれ。ドストエフスキー。何故、俺は此処に居るんだ?」

俺が然う問うと、ドストエフスキーは俺を立ち上がらせた。肩を貸し、ゆっくりと歩き始める。

「まあ、歩きながら話しましょう。貴方は置いて行かれた様なので」
「……うん……、ゴーゴリが居ない時点で察してはいた……」

俺を気遣う様に中原中也は少し先で待っている。ふと見た時、中原中也が顔を指差した。
如何やらゴーゴリは鬘を取っても、テープは取らなかったらしい。

「如何したんです?」
「《猟犬》対策。少しでもフィッツジェラルドの娘に見えるよう、仮装(コスプレ)してたからな」

ベリッと音を立てて剥がす。そして一つの事に気付いた。様子が怪訝(おか)しい此の人の、たった一つの矛盾に。

「で?早く話せよ、何が起こってる?」
「端的に云えば、貴方とぼくで起こした賭けと同じですね。太宰君とぼくで、互いの生死を賭けた脱出遊戯(ゲーム)の最中です」

趣味悪と呟きながら、俺は少し考えた。ならば何故、中原中也は人外の様な見た目なのか。何故こうも唸り声をあげるのか。

「此の人の、此の有様は何だ。外で何が起こっている?俺が天空カジノに居た時にはこんな事は起きていなかった」
「彼は吸血種です。《吸血公主》ブラム・ストーカー。彼の異能力により、世界中の主要人物達が吸血種となりました」
「何、てこと、」

思わず絶句した。《共喰い(あれ)》以上の惨劇を平気で行えるとは。
唯、其れも魔人だから。俺が恐れた理由を其処に持つ、此の魔人だからだと思えば納得は出来た。

「其れも、《天人五衰》の一人か……?」
「ええ、そうです」
「《天人五衰》は、一体何を考えている……?武装探偵社への壮大な嫌がらせとしか思えないのだが」

俺が然う呟くと、ドストエフスキーはキョトンとした。目を丸くして、唯でさえ少し幼い顔をもう少し幼くしたかのような表情を見せた。

「吸血種は各国の軍部、主要部にまで及んでいます。是に対して世界各国を合わせた人類軍と云う物まで発足されています。なのに、嫌がらせですか?」
「嫌がらせだろう……。正義も悪も、引っ繰り返せば遣っている事は同じ事。道理も義理も無視してしまえば、過程は同じではないのかと証明しようとしている。そんな嫌がらせにしか思えん」
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