空ハ青ク澄ンデ

□第二十九話
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俺が然う云うと、ドストエフスキーは心底面白そうに笑った。

「嫌がらせ……、だとすれば本当に壮大ですね」
「違う、のか?」
「否(いいえ)。貴方が然う思うのなら、其れが答えです」

是とも否とも云わなかった。其れは誤魔化す為の返事であり、俺の精神を守ろうとしての嘘。
本当の目的は、一体何だと云うのか。

「却説(さて)、一寸(ちょっと)疲れました」

不意に然う云われ、思わず噴き出した。思えば、俺に手を貸すのが可笑しい。
貧血男と呼ばれる程に貧弱な此の男だ。

「俺を支えるなんて、珍しい事するからだ」
「おや。共喰いの時も、ぼくは貴方を寝かせたりしましたけどね」
「嗚呼……、そんな事も有ったな。色々有り過ぎて、忘れてた」

ドストエフスキーは中原中也を呼んだ。そして、俺を彼に預けた。
彼は大人しく俺を支えて歩き出す。然し、是では賭けが公平(フェア)ではない。俺と云う荷物が付く。

「善いよ、中也さん。大丈夫」

有難うと声を掛けて、手に持っている小説に向かって声を出す。

「『華麗なるフィッツジェラルド』」

フィッツジェラルドの所有物たる俺に、財産は無い。だから今迄はどれだけ此の異能力を使おうとも意味は無かった。消費出来る財産が無いのだから。

だが、今の俺には"財産"が少しだけ有る。社長が俺へ購い与えた服は、フィッツジェラルドの金から出された物では無かった。後で請求するとか聞いた様な気もするが、現時点では確認出来ていない。
所有者以外から俺へ与えられた物は、フィッツジェラルドの財産とは呼べない。俺個人の財産だ。
だから、其の服を消費した。

「嗚呼、元に戻った気がする」
「知らぬ間に、財など持っていたのですか」
「否(いや)。所有物が財産を持つ訳無いだろう?」

然う云って誤魔化しながら、俺は内心突っ込んだ。購った時社長「大した額ではない、気にするな」って云ってましたが?
絶対嘘だな?是。如何(どう)足掻いても立つのもやっとだった俺が通常段階(レベル)で動ける様になる程度って其れなりな額があるって事だぞ。
二着消費した筈だけど、二着で是なら全部だったら如何なるんだよ。怖ッ。

「相変わらず、誤魔化すのが下手ですね」

ドストエフスキーは然う云って笑った。あの時よりはマシな嘘だったと思ったんだがな。
俺は其れに応える様に笑った。

「嘘が必要だったか?」
「いいえ。別に」

ドストエフスキーは俺の手を引いた。嘗て、俺を連れ回した時の様に。
中原中也は向かう先の敵を倒しているらしい。らしいと云うのは、必ず事が終わるまで扉の影に隠されて、終わった後に極力現場を見せない様に手を引かれているからだ。倒している所は見ていない。音は凄いが。

「夜宵、辛くなったら直ぐに云って下さい。一旦休憩しますし、一寸(ちょっと)休んだ程度で支障は無いので」
「足手纏いになる心算はねェよ。是は俺の賭けじゃないんでね」

然う云ったら、ドストエフスキーは溜息を吐いて首を振った。

「唯でさえ、貴方を血の海の中に連れ出しているのです。足手纏いでなく、巻き込んでしまっている事に文句を云われても何も云えませんよ」
「嗚呼、何だ其の事か」

平気そうな俺の声に、ドストエフスキーが困惑したような表情を向けた。まあ、あの最悪な記憶は俺にしか伝わらない。
救われる者と救われなかった者が逆転した世界の、たった一人による願いの為に歪んだ道筋。其れこそ、誰の死よりも最悪だと思った。

「吐いたのに?」
「あれ程最悪な記憶は無い。地獄でさえも生温い」

俺の言葉に、ドストエフスキーは目を見開いた。キョトンと純粋に驚いたかのように。

「どんな記憶ならそんな事に……?」
「却説(さて)」

どんな記憶だろうと、ドストエフスキーに話す心算は無かった。そんな地獄であろうとも、彼奴(アイツ)は生きている。
ドストエフスキーに話したならば如何(どう)にかして顛末を変えてしまうかもしれない。既にそんな事をしでかしている最中らしいし。
其れは困る。数多の犠牲を払って漸(ようや)く返された存在が居る。
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