だからどうした

□27 あらゆるパターン
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どきどきわくわくな同棲を一週間後に控えた今日この頃、智樹さんが溜息をよく吐くようになった。はじめは気のせいかと思っていたけど意識してみると明らかに回数が多い。しかも割と深めの溜息だ。

漠然としていた同棲生活が現実味を帯びてきて気がかりなことが増えたのか。あの騒動の晩にこれでもかというほど好き好き言ったのにまだ不安が残っているのか。

あまりにも深刻そうだからどうしたのか聞いてみたけど智樹さんはなんでもないと言うばかり。

結局、溜息の理由はわからないまま三日が経った。




それは荷物の確認作業中に見つけた、聞き覚えのある名前だった。


「ん? 豊島秀?」


届け先の住所もなんだか見覚えのあるもので。同姓同名とか俺の記憶違いとか、あらゆるパターンを考えていたけどいざ荷物を届けに来れば見知った顔に出迎えられ、俺の考えは悉く打ち砕かれた。


「やあ、吉井君。久しぶり」

「……お、お久しぶりです」


得意の営業スマイルも今は表情筋が引き攣って頬がひくひくする。

あの日以来の再会で、この人とはどういうテンションで接すればいいのかいまだにわからない。

それだけじゃなく俺の精一杯の告白現場を覗き見されたんだ。気まずさを感じるのはしょうがないことだと思う。加えて俺はこの人が少し苦手なんだ。

だからと言って仕事を放りだすわけにはいかず、サインを求める。

しかし何故、豊島さん宛ての荷物が智樹さんの店に届くのか。気になって聞いてみると、働かせてくれないなら昼間でいいからこの店を貸してくれ、と智樹さんを口説き落として喫茶店を開くことになったらしい。荷物はそのためのものだそうだ。

なるほど。智樹さんの溜息の理由はこれだったのかもしれない。


「あんまり智樹さんを困らせないでくださいよ」


サインをもらった伝票を受け取りながら、軽く睨んでみる。しかしやっぱり豊島さんにダメージは通らないようで、「おー怖い怖い」と笑いながら返された。


「……じゃ、俺はもう行きますね」

「柊、奥で掃除してるけど呼ばなくていいの?」

「結構です。失礼します」


きっちり頭を下げて、豊島さんに背を向ける。

背後で「本当に怖いなぁ」と、微塵も恐怖を感じてない暢気な声が聞こえてきたけど、反応すれば余計に豊島さんを喜ばせることになるので華麗にスルーして仕事に戻った。

きっと豊島さんはいちいち人をからかわないと死んでしまう病気なんだろう。可哀想な人だ。


夜、仕事帰りに智樹さんの店に立ち寄って喫茶店のことを聞くと、智樹さんは辟易した様子で「あいつのしつこさは筋金入りなんだよ」とどこか遠くを見ながらぼやいた。それから数十年分の鬱憤を吐き出すように豊島さんへの愚痴が続く。

俺は静かにそれに耳を傾ける。

いろんな不満を抱きながら今も付き合いを続けてるということは、智樹さんにとって豊島さんは大事な存在なんだろう。豊島さんもまた然り、智樹さんを大事に思ってる。智樹さんの恋愛不信をどうにかしてほしいと俺に頼んでくるくらいに心配もしてる。

だからどうした、って話なんだけど、ただ純粋に羨ましいだけ。

複雑な感情を抱きながらも二人の関係を微笑ましく思っていると智樹さんが「吉井君、俺の話聞いてる?」と拗ねてしまった。

悔しいけど豊島さんが絡むと俺の知らない智樹さんが出てくるんだよな。

本当に、羨ましくて悔しい。


「聞いてるよ。委員の仕事を手伝ってくれって頼まれて手伝いに行ったら豊島さんが委員の仕事を忘れて帰ってたって話でしょ」

「そう、それで豊島の代わりに俺が仕事をしてやったんだけど、次の日、お詫びに飯おごってやるって言うからついていったら今度は財布を忘れてて結局俺がおごる羽目になったんだよ。ほんと、奴にかかわるとろくなことにならない」


そう言って智樹さんは心底嫌そうに溜息を吐きつつも、その表情はどこか楽しげだった。

閉店後、肩を並べて夜の帰り道を歩いていると、溜まっていたものを吐き出して冷静になったのか智樹さんが「今日は愚痴ばっかりでごめん」と謝ってきた。


「俺は気にしてないよ。っていうかむしろもっと聞きたいくらいなんだけど」


俺のそんな発言に智樹さんは怪訝な顔をした。いや、確かに今のは自分でもおかしな発言だったと思う。正しくは、愚痴を言ってる智樹さんを見たい、だ。でもわざわざ訂正するようなことでもないから何も言わずにいると、智樹さんは酔っ払いの戯言だと思ったようで特に何も触れてこなかった。

そこで会話が途切れて、ふと視線を右斜め下へ向かわせれば俺の右手が智樹さんの左手を求めてゆらゆら揺れていた。

どうしよう。手を繋いでもいいかな。

人に会う可能性はあの時より断然低い。今なら繋ぎ放題だ。でもあの時は智樹さんが弱っていたから、智樹さんの方から手を繋いでくれたから。……なんて考えて及び腰になるのは俺の悪いところだ。

手を繋ぎたい。手を繋ぐ理由にこれ以上のものはないだろ。

と自身を奮い立たせて智樹さんの左手を攫う。

俺の手が熱いせいか少し冷たく感じた智樹さんの左手は、俺の右手を優しく握り返してくれた。


「ふへっ」


思わずだらしない声が漏れる。

その声に籠っていた感情は容易に想像がついたのか、智樹さんが「変な声で笑うなよ」と照れた様子で呟いた。

本当にこの人は俺の心臓を打ち抜くのが的確だ。

調子に乗って、勢いと酔いに任せて指を絡ませてみる。でも今度は何も反応がない。さすがに調子に乗りすぎたかと焦って隣を見れば、揺れる髪の隙間から赤く染まった耳が見え隠れしていて。

再びだらしない声が漏れる。

それから分かれ道が来るまで智樹さんが口を開くことはなかった。おかげで手の感触ばかりに気を取られてなんだか俺まで照れ臭くなった。




そうしてまた日が経って。待ちに待ったどきどきわくわくな同棲生活が始まろうとしていた。

今日の仕事を終わらせて智樹さんのところに行けば「いらっしゃい」が「おかえり」に変わる。そんなめでたい日にどうして豊島さんに遭遇しなくてはならないのか。

昼休憩に立ち寄った公園のベンチでのんびりしていたら前から見知った顔が近づいてきて、俺の見間違いとかそっくりさんだとかあらゆるパターンを考えていたけどいざ目の前に来た男を見ればそれは紛うことなき豊島さんで、俺の考えは悉く打ち砕かれたわけだ。


「こんにちは、吉井君。休憩中?」

「……そうですこんにちは。豊島さんは何してるんですか?」

「食後の散歩」


できることなら俺はこんにちはしたくなかった。

豊島さんはそんな俺の気も知らずに隣に腰を下ろして会話を続ける。


「この前……吉井君が荷物を届けに来てくれた日があったろ」

「ありましたね」

「それから柊と何かあった?」

「……何か、とはなんですか」

「いや、その日から妙に柊の機嫌がいいから逆に怖くって」


智樹さんの機嫌がよくて怖がる人なんてたぶんこの世界に豊島さんただ一人だろうな。なんて思いながら「あなたの愚痴を聞いてあげたくらいです」と素直に答える。


「ほう、あいつは俺の愚痴を吉井君にこぼしてるのか。よかった。柊とは上手くやってるみたいだな」

「……どういうことですか」

「柊はもともと愚痴をこぼすような奴じゃないんだ。好きにな人には特に、な。しかしそんな柊が吉井君に愚痴をこぼしました、それは何故でしょうか。答え、吉井君を信用しているから」


説明されてもいまいち理解できずに、首をかしげる。でも肝心なところでおふざけを入れたりする豊島さんも悪いと思う。

すると豊島さんはひと笑いして、わかりやすいように噛み砕いて教えてくれた。


「心を許してるって言った方がわかりやすいかな。どんな姿を見せても吉井君は自分を好きでいてくれる。そう信じてるんだよ、柊は」

「そ、そうなんですか」

「ああ、これは凄いことだ。本当に恋愛不信を治してくれるなんて、吉井君には礼を言わないといけないな」

「……別に豊島さんのためにそうしたわけじゃないです」

「ははっ、わかってるよ。でもありがとう」


豊島さんは続けて「休憩の邪魔してごめんな」と言って去っていった。

相変わらず何を考えてるのかよくわからなかったけど、豊島さんに対する苦手意識が少しだけ薄れた。ような気がした。
 
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