だからどうした

□26 地獄へのカウントダウン
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智樹さんが戻ってくるまで少しでも片づけを進めておこうと押入れにしまってあるものを次々引っ張り出していく。奥のほうなんて特に片付けないから、入れっぱなしで存在を忘れていたものがいろいろ出てきた。

その中でも一つ、気になる段ボールが出てきた。

幅は35センチ、長さは20センチ、深さは15センチほど。仕事でもよく取り扱う大きさだ。しかし見た目に反して結構な重量だ。

中身は漫画っぽいな、と一種の職業病みたいなものを発症しながら段ボールを床に置く。

でも中身が漫画だとしてもこんな風に段ボールに入れて押入れの奥に封印するみたいに片付けた記憶はない。一体この段ボールの中には何が入ってるんだ。

べりべりとガムテープを剥がして、いざその中身を確認してみる。


「……」


開けた途端に目に飛び込んできたのは可愛らしい女の子があられもない姿で表紙を飾る漫画だった。

これはあれだ、一人暮らしを始めて間もない頃に心優しい悪友が一人の夜は寂しかろうと持ち込んでくれやがった代物だ。ゴミの日に捨てようと思って忘れていたことを、今この瞬間に思い出した。

こんなものを智樹さんに見られるわけにはいかない。いや、俺が望んで手に入れたものじゃないんだから素直にそう言えばいいだけなんだけど、とにかく見られたくない。絶対に。

智樹さんが戻ってくるまでに再び封印をしようとガムテープを手に取った。瞬間、ドアの開く音が耳に届いた。不幸中の幸い、ここは玄関から死角になっている。

まだ間に合う。諦めるな俺。

地獄へのカウントダウンのような足音が無慈悲に近づいてくる中で、閉めた蓋が浮いてこないよう腕で抑えつつガムテープを伸ばし、一気に貼り付けた。直後に足音が俺の背後でぴたりと止まる。

今までにないくらいの素早いガムテープ捌きに我ながら感心した。


「ただいま」

「お、かえり」


焦って言葉が詰まってしまった。しかし幸いなことに変に思われることはなく、そんなことより智樹さんは先に片付けを始めていた俺を見て「片付け手伝いに来たのに、ごめん」と謝ってきたりするから、もとはといえば姉貴に連絡した俺が原因なんだから智樹さんが謝ることはない、と伝える。

そうすれば智樹さんは「じゃあお相子だな」と眉尻を下げて笑ってくれた。

いちいち見惚れるような顔で笑わないでほしい。今の俺は隠し事をしてるという負い目で直視できないんだから。

とりあえず俺は押入れの片づけをいったん智樹さんに任せて、段ボールには油性マジックで大きく廃棄と書きゴミの日まで玄関に置いておこうとそれを持ち上げる。

びり。

なんだか嫌な音が聞こえた。続いて、どさどさ、という本の落ちる音も聞こえた。

為す術も時間もなく、足の甲に本の角が直撃して痛みがほとばしる。


「どうした、大丈夫……か、……」


終わった。すべてが終わった。足なんかより今は無言の間が痛い。

こうして俺が肉体的ダメージよりも精神的ダメージを受けていると、智樹さんは労わるように俺の肩に手を置いた。


「……見なかったことにするから」

「っ、ちょっと待って違うんだよ、まずは俺の話を聞いて」

「いや、大丈夫。俺も男だし、気持ちはわかるよ」


本当に待って。智樹さんは絶対わかってない。床に散らばったこれらのものが押し付けられたものだということも、俺が捨てようとしていたことも、それを忘れてさらには存在すらも忘れていたことなんて、絶対にわかってない。

ぎこちない様子で笑いながら片付けを再開しようとする智樹さんを引き止めて経緯を説明する。それでもどこか哀れみを含んだような顔をするから半ばやけくそに、持ってきた本人に電話するから確認して、とスマホを取り出せばやっと納得してくれた。でもこれすらも言い訳に分類されてたらどうしよう。

変に説明なんかしないほうがよかったかと心に傷を負ったまま散らばったエロ本を別の段ボールに敷き詰めていく。

あいつ、今度会ったらぶん殴ってやる。

新たな決意を胸に黙々と梱包作業を進めていると、智樹さんがおもむろに段ボールの向こう側に膝をついて座った。


「吉井君、一つ聞いてもいいか?」

「なに?」

「後悔、してない?」

「……突き返せばよかった、とか、底も補強しておけばよかったって後悔ならしてる」


きっと智樹さんが聞いてるのはこのエロ本のことなんかじゃない。だけどまだ具体的に何に後悔しているのかを聞かれていないから俺はそう答えた。

案の定、智樹さんは「それのことじゃなくて」と言葉を続けた。


「俺と付き合ってることに対して。……その本の女の子みたいなことはしてあげられないし、京香さんだって恋人が女の子ならあそこまで取り乱すこともなかったんじゃないかと思って……」

「それ、本気で言ってるなら俺も本気で怒るよ」


梱包作業を中断して智樹さんに目を向けると、怯えたような顔が目に入った。

別に俺は智樹さんに女を求めてるわけじゃない。何かをしてもらいたいわけでもない。まあ、何かしてくれるならそれはそれで嬉しいけど、俺から望むことは何もない。それに姉貴は相手が女だろうがどうせああなる。

俺が怒りを感じたのは智樹さんが女に引け目を感じてるところじゃない。後悔してるんじゃないかと俺の気持ちを疑うようなことを言ったから怒ってるんだ。

でも、まあ、智樹さんの場合はしょうがないか。恋愛不信は簡単に治るものじゃないだろうから。

いまだに怯えた様子の智樹さんを安心させるためにまずは自分を落ち着かせて、微笑みかける。そうすれば智樹さんの顔から怯えの色が消えた。そして畳みかけるように。


「付き合わなきゃよかった、なんて思わないよ。この先なにがあっても、絶対に」


智樹さんの目を見据えてはっきり言い切る。すると智樹さんは少し間を開けてぽろりと涙を零した。


「ごめっ、……あれ、なんで俺、こんな……っ」


自分でも理解できないまま涙が零れたせいか智樹さんは必死に笑顔を取り繕うとする。でも涙はどんどん溢れて、手で拭っても拭っても止まらない。

見兼ねて智樹さんを抱き寄せる。

落ち着くようにと思って背中をなでたり優しくたたいたりする。だけどその行為が余計に涙をあふれさせてしまう結果になり、智樹さんはしばらく俺の腕の中で嗚咽し続けた。


落ち着いてきた智樹さんの体をゆっくり引き離す。智樹さんは目尻に残った涙を指先で拭って呼吸を整えるためか大きく息を吐いた。

それから俯いたまま何も言わないから心配になって顔を覗き込むと、智樹さんは肩を揺らして笑い始めた。


「あ、はは……、エロ本挟んでなにやってるんだろうな、俺たち」

「……ははっ、確かに」


つられて俺も笑えば張りつめていた緊張の糸がぷつりと千切れた。

諸悪の根源ではあったけど智樹さんの胸の内を知ることができたし、何より智樹さんを笑顔にしてくれたので悪友を殴る決意はエロ本と一緒に捨てることにした。

無事に再開できた片付けを区切りのいいところで終わらせて。智樹さんが晩御飯を作ってくれるというので近所のスーパーへ二人で行くことになった。その道中でふと隣に目を向けると智樹さんとばっちり目が合った。

盗み見しようとしたらすでに盗み見されていた件について。


「なに、いつから盗み見してたの?」

「……十秒くらい前から」

「言ってくれればもっとキリっとした顔したのに」

「言ったら盗み見にならないだろ」

「ごもっとも」


今から盗み見します、って宣言するのもおかしな話だ。

そんな智樹さんを想像して小さく笑うと、不意に右手が温かくなった。まさか、と思いつつ期待を胸に右手を見れば智樹さんの左手が俺の右手を握っていて。


「智樹さん……?」


呼びかけると智樹さんは気まずそうに顔を背けて口を開いた。


「……ごめん。少しだけでいいから」


手を繋ぐだけでこれだ。智樹さんはまだ俺の気持ちを疑ってるんだろうか。

でも確かに、口先だけなら何とでもいえるし、他人の本心なんてわかるはずがない。俺だって智樹さんが何を考えてるのかよくわからないし、嘘をつかれてもそれが真実かどうかを確かめる方法はない。

こればかりは時間をかけるしかないんだよな。


「ねえ、智樹さん」


もう一度呼びかけると繋がれた手がびくっと反応した。


「なに」

「今日、泊っていける?」

「いけるけど、……どうして」

「智樹さんが満足するまで一晩中抱き締めて好き好き言いたい」

「っ」


今度は手を握る力が強くなる。


「駄目、だ」

「なんで」

「そんなことされたら、……心臓がもたない」


想像でもしたのか智樹さんが顔を真っ赤にしてつぶやく。

その反応で先に俺の心臓がやられたので今夜は仕返しすることに決定した。
 
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