だからどうした

□24 大っ嫌い
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話し合いの結果、俺が智樹さんのところへ行くことが決まった。部屋の広さと数を考えれば当然のことだった。その話し合いの中途中で智樹さんは俺の勤め先と自分の店の中間あたりにある物件を探そうと提案してくれたけど、それは却下した。

大して距離は変わらないから。

そう説得しても智樹さんが吉井君に悪いからと食い下がったりするから軽い言い合いが始まってしまった。俺は大丈夫だから、と言っても智樹さんは頑として引き下がらなくて。そういえば前にも皿を洗うか洗わないかで言い合ったことがあったな、と思い出したら楽しくなってきて。だらしなく頬を緩めていると智樹さんが呆れて折れてくれたんだ。

よし、それじゃあさっそく明日から。というわけにはいかず、手続きやら片付けやらいろいろやることがあってドキドキわくわくな同居生活は一ヶ月後にスタートを切ることになった。


そんな一悶着から一週間が経った今日は俺の仕事も智樹さんの店も休みということで、部屋の片づけを手伝ってもらうことになってるんだけど。

時間を確認して内心で溜息を吐く。

約束の時間まであと十分。智樹さんがいつ来てもおかしくないというのに俺は床に正座していた。そして目の前には腕を組んで仁王立ちする姉がいる。

こういう状況になって初めて自分がどれほど浅はかだったのかを思い知った。


「で、どういう事か、きちんと説明してもらえる?」

「だから智樹さんのところへ行くことになったから合い鍵返してって言ってるんだよ」

「だからどうしてそうなったのかを聞いてるの」

「いや、どうしてもなにも一緒に暮らしたいって話になって……」


というかそれ以外に姉貴がどんな理由を考えてたのか聞いてみたい。

とりあえず自分なりに姉貴が考えていた理由を予想していると頭上から蚊の鳴くような声が降ってきた。


「……なんで、……」

「え?」

「なんでそんな大事なことを勝手に決めるの?! お姉ちゃん絶対に許さないからね!!」


これはまずい。姉貴が自分のことをお姉ちゃんと呼ぶ時はかなり頭に血が上ってる状態で、こんな状態の姉貴には何を言っても火に油を注ぐようなものだ。

こうなったら誰にも手は付けられない。

しかし解決法がないわけじゃない。それは俺が「お姉ちゃんごめんね」と素直に謝ること。そうすれば姉貴は冷静さを取り戻す。これは姉貴がお姉ちゃんと呼ばれたいがために俺に覚えさせたことだ。本人に確かめたことはないけど俺が姉貴と呼び始めてからこういう怒り方をするようになったから、俺の予想はたぶん外れてない。

そのことに気づいてからも、物事が収まるならばと俺はずっと引き下がってきた。

だけど今回ばかりは、この件だけはどうしても引き下がりたくなくて。


「別に姉貴に許されなくても俺は智樹さんと一緒に住むからな」


正座したまま姉貴を睨み上げる。すると姉貴はわなわなと身を震わせ涙を溜めた目で俺を見下ろし「じゃあ勝手にすれば!」と叫んで部屋を飛び出した。

どうしよう。

勢いよく閉まる扉を茫然と見つめているとその扉の向こうから「あんたなんか大っ嫌い!」と叫ぶ姉貴の声が聞こえてきた。

長年姉弟をやってるんだ。姉貴がブラコンだからと言っても喧嘩がまったくなかったわけじゃない。でも大っ嫌いなんて言われたのは初めてのことで。思わぬ姉貴の言葉に内心で落ち込んでいると閉まった扉がゆっくり開き、心もとない様子で「お邪魔します」と智樹さんが現れた。

もしかして。


「ごめん智樹さん。さっきの大っ嫌いって、智樹さんに言ったの……?」

「たぶん、……というか確実に俺に言ってた」

「あーもう、本当にごめん。ただの八つ当たりだから気にしないで」


まったくあの姉はしょうがないな。

溜息を吐きながら痺れた足を伸ばす。一方で智樹さんは玄関に突っ立ったまま扉の向こうを気にしていたから、隣に来るよう促せばやっと靴を脱いで部屋に上がった。

まったくこの人は優しいな。たとえ本気じゃなかったとしても自分に大っ嫌いと言った人のことなんて気にせず放っておけばいいのに。


「喧嘩でもした?」


隣に腰を下ろした智樹さんが変わらずの心配顔で俺の顔を覗き込む。


「いや、喧嘩というか……姉貴が勝手に怒ってるだけだよ」

「何があったのか聞いても?」

「ん。姉貴に智樹さんと一緒に暮らすことになったから合鍵返してって、姉貴も今日は休みだったからメールしたんだよ。そしたら返信も何もなくいきなりやって来て俺は正座させられて、説明を求められたから説明したらお姉ちゃん絶対に許さないからねって言うからつい言い返したんだ。姉貴の許しなんかいらない、って。で、怒って部屋を飛び出して、そして大っ嫌いに繋がるわけです」


改めて状況を理解すると情けなさが倍増した。いい歳した姉弟が何やってんだ、っていうね。

それと同時に申し訳なさも増えていく。片付けを手伝いに来たらいきなり大っ嫌いと言われて動揺してるはずなのに、姉貴の心配をしたりこうやって俺の話を聞いてくれたりして。ああ、もう、本当に優しすぎるよ智樹さん。


「そんなことが……。ん? 合鍵、ご両親じゃなくて京香さんが持ってるのか?」

「ああ、うん、姉貴が持ってる。……そこから話せばよかったね。実は俺の一人暮らしは取引だったんだよ」

「取引?」

「そ。姉貴に結婚してもらうための、取引」


それは四年ほど遡る。

彼氏彼女の関係だった姉貴と健一さんの雰囲気がだんだんそれっぽくなり、ついに健一さんの口から「明日プロポーズするんだ」と聞いてこれでやっと姉貴のブラコンも影をひそめるだろうと安心した次の日の夜。健一さんからかかってきた電話を、成功の報告かな、とこっちまで幸せな気分になりながら取ってみれば健一さんは「やっぱお前の姉ちゃんは面白いな」と訳の分からないことを言って俺の言及も無視して電話を切った。

いったい何があったのか。そんな疑問は帰ってきた姉貴がベッドに寝そべる俺に泣きついてきたおかげで解消された。

どうやら姉貴は「健一君と結婚はしたいけどでも雅孝を置いてはいけない」と、そう言って健一さんのプロポーズを断ってきたらしい。

もうね、アホかと。馬鹿かと。健一さんみたいにブラコンに寛容な男なんてこの先現れないぞ行き遅れるぞと言っても「雅孝と離れるほうがいやだもん」とか言って拗ねるから溜息を吐かずにはいられなかった。

姉貴の中での俺は何もできない子供のまま成長してないんだと思った。だから俺は姉貴がいなくても大丈夫ということを証明するために一人暮らしを提案した。何事もなく一人暮らしができると判断できたらでいいから結婚してくれ、と。そしてその取引は、部屋はいつも綺麗にすることとなるべく自炊すること、姉貴が不定期に抜き打ちで部屋の状態を確認することを条件に成立した。

それから一年と半年後、姉貴はやっと健一さんと結婚してくれた。でも姉貴は結婚してからも抜き打ちテストをやめることはなく今もなお合鍵を持っている、と。


「……今思えば姉貴のブラコン度合いはあの頃がピークだったような気がする」


話が終わり、足の痺れもなくなり、立ち上がって軽く伸びをする。

合鍵は健一さんにどうにかしてもらうとして。とりあえず当初の予定通り片付けを始めようとしたけど智樹さんは気が気じゃないのか相変わらず玄関を気にしてる。

あんなやつ、放っておけばいいのに。


「吉井君、京香さんを探しに行ったほうがいいんじゃないか?」

「いい」

「でも」

「いいんだってば。今の俺じゃ姉貴に何言うかわかんないし」


そう、俺だって怒ってるんだ。


「……姉貴が謝りにくるまで俺からは何もしないから」

「そんな、どっちも悪くないんだからこじれる前にどっちかが折れないと」

「違う。これはもう俺と姉貴だけの問題じゃないんだよ。俺は姉貴が智樹さんに大っ嫌いって言ったことが許せないんだ」


姉貴の大っ嫌いが智樹さんに向けられた言葉だとわかった時、自分に向けられた言葉だと思った時よりも悲しくなった。

同時に、俺があの時引き下がっていれば姉貴の口から大っ嫌いなんて言葉は出なかったかもしれない、と後悔もした。でも智樹さんに顔向けできなかっただろうからやっぱり引き下がらなくてよかったという矛盾した思いもあって、いろんな感情が中でごちゃごちゃになって。

なんだか無性に泣きたくなった。
 
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