だからどうした

□23 ただいまとおかえり
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旅行の話が終わっても、気になっていた智樹さんの中学時代とか、おまけに高校時代とか大学時代とか、話の流れで判明した会社勤めしていた時の話とか、店を開いたきっかけとか。話題は尽きなかった。

区切りがいいところで智樹さんに「俺ばっかりずるい」と言われたから俺のこともいろいろ話した。どんなにくだらない話でも興味深そうに耳を傾けるから何が面白いのかを聞こうと思ったけど少し前の智樹さんもきっと今の俺と同じことを思っただろうから聞くのはやめにした。


時間を気にすることなく続いていた会話は、俺の口からこぼれたあくびのせいで、「もうそろそろ寝ようか」という智樹さんの言葉によって切り上げられた。

体は睡眠を欲している。しかしまだまだ話を続けたい。でもこのまま話を続けていたら途中で眠ってしまいそうだから、そうなるくらいなら、と素直に眠ることにする。

いつもなら面倒くさくて全部消してしまう電気も今日は豆電球だけを残して、小さな明かりを頼りに、智樹さんが待つ布団へ潜り込む。少し窮屈だけどおかげで距離が縮んで幸せだ。


「おやすみ、智樹さん」

「ん、おやすみ」


そうして目を閉じたものの、いざ寝ようとすると眠気が遠ざかるという不思議現象に見舞われて、努力してみたけど遠ざかった眠気が戻ってくる気配はなく、そうしているうちに静かな寝息が聞こえてきたからどうせ眠れないなら智樹さんの寝顔を満喫しようと目を開けた。

淡い光に照らされている無防備な寝顔を眺めながら静かに笑みを浮かべる。

寝顔は前にも見たことがあったけどあれは付き合う前の出来事で。しかもあの時はこんな風に真正面から見たわけじゃないから、今日のこの寝顔はちゃんと見ておきたい。いや今日に限らず明日の寝顔も明後日の寝顔も、できることなら毎日の寝顔をこの目に収めたい。

……、一緒に住みたいって言ったら智樹さんはどう返事をしてくれるのかな。喜んで受け入れてくれるかな。

もし一緒に住むことになったとして、互いの時間が合わないせいで無理をさせたり困らせるようなことがあったらどうしよう。

二度と寝顔が見られなくなるような事態に陥ることは絶対に避けたい。

でもたとえ無理をさせてしまうとしても困らせてしまうとしても、一緒にいたいという気持ちが勝ってしまう。

それはやっぱり俺が自己中でわがままだからなんだろうな。


「智樹さん、もう寝たよね……?」


小さな声で、しかし確かに聴きとれるような大きさで呼びかけてみたけど、返事は寝息ばかり。

こうして俺のわがままな提案は明日に持ち越しとなった。


それから暫く寝顔観察に勤しんでいたはずの俺の視界はいつの間にか真っ暗で。夢と現実のはざまでうろうろしていると、智樹さんの寝言が聞こえたような気がした。

ぼんやりしていたことに加えて声が小さく言葉までは聞き取れずに悔しい思いでいるとまた智樹さんの声が耳に届いた。

今度ははっきりと。


「まさたか」


一音一音を確かめるように、俺の名前を発音した。

その声色がなぜか心に引っかかる。

あれ、おかしいな。俺の名前を呼ぶこの声は初めてのものじゃない気がする。

それがいつのことなのか、思い出そうとしている間にもまた俺の名前が耳に届く。


「雅孝。……雅孝」


何度も俺を呼ぶ声は耳に心地よくて。

ああ、そうだ。思い出した。


「俺が寝てるときばっかりずるくない?」


旅館でみんなが大浴場に行ってる間に部屋で寝てた時だ。あの時の俺の名前を呼んだ声と全く一緒だ。あれは夢じゃなかったのか。というか健一さんだと思ってたんだよな、俺。もったいないことしたな。あの時ちゃんと起きればよかった。

後悔を胸に目を開けると視線がかち合って、間もなく智樹さんが慌てたように口を開く。


「っ、お、きてた、のか?」

「いや、まあ、起きてたというか、眠れなかったというか、眠りかけていたところというか」

「ふ、布団に入って一時間は経ってるのに、なんで」

「さっきまでずっと智樹さんの寝顔見てた」


正直に打ち明ければ薄暗い部屋の中でもよくわかるほどに頬が赤くなった。そして何かに気づいた様子の智樹さんが赤い顔のまま怪訝な目を俺に向ける。


「吉井君、さっき、なんて言った?」

「さっきまでずっと智樹さんの寝顔見てた」

「そ、それはもういい。そこじゃなくて目を開ける前になんて言った?」

「……、俺が寝てるときばっかりずるくない?」

「その言い方、もしかして……」

「ああ、旅館でも俺の名前を呼んだこと? 知ってるよ」


あの時寝ていた俺が知ってるわけがない。でも本当は知っていてそれを俺の口からきかされるという一番恥ずかしい状況に陥った智樹さんは顔を隠すように寝返りを打って俺に背を向けた。


「でも俺、あの時返事しなかったっけ? 聞こえなかった?」

「聞こえた……けど、他に何も言わなかったし起きた後も何も言わなかったからあれは寝言だと思うようにしてた」

「なるほど。実は俺も、ついさっきまでは夢だと思ってた」

「じゃあそのまま夢にしといてくれればよかったのに」


恥ずかしそうに縮こまった体が恥ずかしさに耐えかねてさらに縮こまる。俺は笑みを浮かべつつその体を後ろか抱きしめて、今度こそ眠りについた。


朝になり、アラームに起こされて目を開けると、視界いっぱいに智樹さんの寝顔が飛び込んできて喉がひゅっとひきつった。

呼吸困難に陥りかけた今日の目覚めは、世界一心臓に悪いけど世界一幸せなものとなった。

いつまでもこの寝顔を堪能したいところではあるけどあんまりゆっくりする時間はない。最後にもう一度じっくりと寝顔をみて目に焼き付ける。それから朝の支度を開始した。

しばらくして支度が終わり、ベッドの傍らにかがんで、未だに寝息をたてている智樹さんにそっと声をかける。


「智樹さん。智樹さん、起きて」

「……」

「智樹さーん」

「……んん」

「起きた? 俺、仕事いくけど智樹さんはどうする? まだ寝てる?」

「んぅ、もうちょっと寝てる……」

「わかった。部屋のものは勝手に使っていいから。あと、テーブルに合い鍵おいてるから出るときはそれ使って……そのまま持ってて。じゃ、いってきます」


言いたいことを言い切って立ち上がる。それからなんだか猛烈に気恥ずかしくなったからそうそうに出かけようとした、その瞬間、布団の中から出てきた智樹さんの手に服の裾を捕まれ体が固まった。


「ど、したの?」


どぎまぎしながら返事を待っていると、智樹さんがふにゃ、と柔らかく微笑んだ。


「いってらっしゃい」

「っ、……」


ああ、もう、俺を見送りたいのか引き留めたいのかどっちなんだ。いったい俺をどうしたいんだこの人は。それともまだわかってないのか、俺がどれだけ智樹さんを好きかということを。

いや、ただ寝ぼけてるだけなのはわかってる。それにしたってこの顔は反則だ。

とりあえず俺は心身を落ち着かせるために大きく息を吐いて、未だに裾をつかんでいる智樹さんの手をやんわり解き、また腰を屈めた。


「いってきます」


唇にやっちゃうと本格的になりそうだったからそこは我慢して、ちゅ、と軽く頬に口付ける。

くすぐったそうに身じろいで嬉しそうに頬を緩める智樹さん。俺はその顔を目に焼き付けて仕事へ向かうのであった。


後ろ髪を引かれまくって向かった仕事が終わり、帰宅した俺はいつもの癖で「ただいまー」と言いながら中に入った。すると返ってくるはずのない「おかえり」が耳に届いて反射的に声がしたほうへ顔を向ければ、こっちに歩いてくる智樹さんの姿が目に飛び込んできた。

あの日から幾度となく想像はしていた。でも想像以上にぐっと来るものがあって目頭が熱くなる。


「やばい泣く」

「え、どうした、気分悪い? 大丈夫か?」


ああ、もう、本当に、この人は俺をどうしたいんだ。

心配そうに顔を覗き込んできた智樹さんを腕の中に閉じ込めて、ぎゅっと強く抱きしめる。智樹さんは突然の抱擁に戸惑ってる様子だったけどそれでも背中を優しくなでてくれた。


「吉井君、大丈夫?」

「……智樹さんのおかえりが泣くほど嬉しかっただけ」

「気分が悪いわけじゃないんだな?」

「ん」

「よかった」


もう必要ないと判断したのか背中を優しく往復していた手が止まる。代わりに抱きしめ返してくれるから頬が緩んだ。

やっぱり一緒に暮らしたいな。毎日は無理でもこうやってただいまとおかえりを言い合いたいし、そしてできればこうやって抱き合いたい。

でもいざそのことを切り出そうとすると唇が震えてうまく動かせなくなる。そうやって俺がもたついてる間に智樹さんが口を開いた。


「吉井君、ひとつ聞いてもいいか?」

「ん、なに?」

「……」


言いにくいことなのか、智樹さんはなかなかその口を開こうとしない。だから催促するように名前を呼べば背中にある手が服をぎゅっと握りしめた。

俺を逃がさないように、というよりも俺に拒絶されるのが怖いといったような手つきに思わず背中をなでる。すると智樹さんの息を吸う音が聞こえた。


「一緒に暮らしたいって言ったら、……吉井君はどう答えてくれる?」

「俺もそうしたいと思ってたー、って。……、え?」


普通に受け答えしちゃったけど、あれ、ちょっと待って。

信じられない気持ちで智樹さんの肩を掴み距離をとる。急な行動に驚いていた顔が次第に赤くなるのを見て、今のは幻聴でも空耳でもないことを理解した。


「……本気にするけど、いいの?」


そうじゃないと困る。視線を逸らして恥じらいながらそう呟いたりするから、たまらず俺はまた智樹さんの体を抱きしめた。
 
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