だからどうした

□22 最上級の幸せ
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静かな部屋に暫く響いていた互いの荒い息遣いがおさまってきたころ。重い瞼が完全にさがる前に体を起こして智樹さんに声をかけた。


「べたべたするね。智樹さん、風呂はどうする?」

「……一緒に入りたい」

「え?」

「……、え?」

「あ、いや、湯張りするかどうか聞いたつもりだったんだけど」


少し間をあけて、自分がどれだけ恥ずかしい発言をしたのか自覚して顔を赤く染め上げる智樹さん。

旅行中に一緒に入ったのは結局あの一回だけだったからいつかはゆっくり一緒に入りたいと思っていたけどまさかこんなに早くこの時が訪れるなんて。しかも智樹さんから誘ってくれるなんて。

嬉しい限りだ。

思わず小さく笑うと「笑うことないだろ」と軽く睨まれてしまった。でもそんな赤い顔で睨まれたって迫力なんてない。

相も変わらず笑いながらベッドを降りて手を差し伸べると、智樹さんも相変わらず顔を赤くしたまま、居た堪れなそうに俺の手を取って立ち上がった。瞬間によろける体を抱き留める。


「大丈夫?」

「う、ん、大丈夫。ありがとう」


智樹さんはそう言って自分で歩けると言いたげに俺の体を軽く押し返そうとしたけど、智樹さんの「大丈夫」は信憑性が薄いから体を支えて風呂場に向かうことにした。

「大丈夫、歩けるから」と智樹さんが抵抗を始めたけど無視をする。そんな俺を見て抵抗するだけ無駄だと悟ったのか智樹さんは抵抗をやめて支えられたまま歩き出した。でも脱衣所に到着するとなぜかまた抵抗を始めた。

ふと前を見ると鏡がある。どうやら洗面所の鏡に映る自分たちの姿を見て再び羞恥にかられたようだ。俺は上半身だけ裸。だけど智樹さんは全裸。それが余計に恥ずかしさを助長させているように思えた。

智樹さんはまだわかっていないのか。そうやって恥ずかしがれば恥ずかしがるほど俺を喜ばせてしまうということを。

ああ、そうか、俺が恥ずかしがる姿を見たいと言ったからサービスしてくれてるんだな。……なんて冗談は心の中に留めておいて。

俺も同じく全裸になって、智樹さんを浴室に連れ込んだ。

体を洗ってる間に湯張りしようと湯を出してから振り返ると智樹さんは俺に背を向けて立っていた。


「一緒に入りたいって言ったのは智樹さんでしょ。いつまで恥ずかしがってるの?」

「……吉井君は恥ずかしくないのか?」

「もうとっくに開き直ってる。というか智樹さんがそうやって恥ずかしがるから俺が恥ずかしがってもしょうがないな、って」

「それだ。吉井君がそうやって堂々としてるから俺が余計に恥ずかしいんだ。吉井君も恥ずかしがってくれれば俺も少しは……」

「いや、俺が恥ずかしがったら智樹さんはそれ以上に恥ずかしがるでしょ」


返す言葉が見つからないのか智樹さんは口を閉ざしてしまった。

智樹さんが自発的に振り返ってくれるのを待とうとも思ったけどこの調子だと時間がかかりそうだったから、そっと肩に手を置いてくるりと体を反転させる。


「っ」

「ほら、恥ずかしくない恥ずかしくない」

「ば、馬鹿にしてるだろ」

「してないよ」


笑いながらシャワーヘッドをとって蛇口をひねる。手に当てて水温を確かめつつ智樹さんに熱いほうがいいかぬるい方がいいかを聞くと蚊の鳴くような声で「ぬるい方がいい」と返ってきた。


「智樹さん、先に洗う?」

「うん。……あの、目、瞑っててクダサイ」

「え、やだ」

「……、見られてると洗いづらい」


智樹さんの言い分はよくわかる。でもやっぱり智樹さんから目を離すのは瞬きの間でさえも惜しいから。瞑らなくていい、と返ってくるように「じゃあ俺が洗ってあげようか?」と聞いてみた。

そんな俺の魂胆を見抜いたのか智樹さんはこくりと頷いた。

まさかの返事に固まっていると挑発的な目を向けられた。


「俺も吉井君の体を洗うけど、それでもいいんだな?」


どうやら智樹さんの意趣返しが始まったようだ。まあ、それで恥ずかしさがまぎれるのなら受けて立とう。


「いいよ。体、触らせてあげる約束だったしね」


そうして洗いあいを始めて暫く、まさぐりあってる間に恥ずかしさが和らいだのか智樹さんの口から文句が飛び出した。


「吉井君……なんか、手つきがいやらしいんだけど」

「好きな人の体に触ってて手つきがいやらしくならない人なんかこの世にいないよ」

「目の前にいるじゃないか」

「いや、思ってる以上にいやらしいと思うよ、智樹さんの手つき」


遠慮がちというか、ぎこちないというか。手のひら全体ではなく主に指先の方に力が入ってるせいか、物凄くもどかしくて、物凄くいやらしい。

俺の手つきのいやらしさは自覚してるけど、智樹さんのこの手つきは自覚ゼロときた。それがまたいやらしいということを智樹さんは絶対にわかってない。


「そんなことより、俺の体を触って感想とかないの?」

「……、細身のくせに意外と筋肉質」

「ん、それから?」


腹のあたりをなでていた智樹さんの手がせりあがり、胸元をやさしくなでる。


「ここ、ドキドキして胸が苦しくなるけど落ち着くから好き」


智樹さんが胸に手を置いたまま肩に額を載せてぽつりと呟く。

これも一種の意趣返しなのか、後先考えず積極的になっているのか。意趣返しなら俺の反応が見えなくなるようなことはしないだろうし、後先考えず積極的になってるなら我に返って恥ずかしがるところだ。でもいつまで経っても智樹さんの様子は変わらないから。

今のは素なんだと理解した。

途端に顔が熱くなったけどその顔は見られずに済んだ。でも胸に置いてある手が心臓の鼓動を感じ取ってるようだったから、見られていなくても無駄なような気がした。


洗いあいが終わり、湯を張った狭い浴槽の中で足を折り曲げて智樹さんと向かい合う。


「恥ずかしさはもうない?」

「……まだちょっと恥ずかしい」


目のやり場に困ってるのか智樹さんの視線はあっちにこっちにと忙しない。そうして行き着いた場所は、湯から少し顔を出してる己の膝だった。


「……、どこか、痛いところとかない?」

「うん。吉井君が気遣ってくれたから」


俯き加減の顔はよく見えないけど智樹さんが幸せそうにほほ笑んでるような気がした。ちゃんとその顔が見たい。そう思うが早いか俺の手は智樹さんの顔に向かって伸びていた。

頬にたどり着いてもなお肘が曲がるほどの狭い浴槽内では逃げる時間も場所もなく、俺の手はいとも簡単に智樹さんの顔を持ち上げることができた。

しかし残念なことに幸せそうな微笑は呆気にとられたような顔に変わってしまった。


「よ、吉井君……?」

「……ま、いっか」


幸せそうに微笑む顔なんて、これから先いくらでも見る機会があるんだから。

俺の謎行動と謎発言に智樹さんは疑問符を浮かべていたけど、口を開く気配のない俺を見てまた己の膝に視線を戻した。

長く続く沈黙も今はなんだか心地いい。

暫くして体が温まったところで風呂を出て、体を洗いあった時と同じように互いの体を拭きあう。そうしているといつかの日を彷彿とさせるような音が俺の腹から聞こえてきた。


「……お恥ずかしい」

「今更恥ずかしがられてもな……。冷蔵庫に食材入ってる? 簡単なものでよかったら何か作ろうか?」

「ほんとに? やった……あ、でも何か入ってたかな」


手は止めずに冷蔵庫の中身を思い出してみる。しかし何一つ思い出せないでいると見かねた智樹さんが「なかったら買い物に行こうか」と提案してくれた。

でもその提案が無駄になった今、智樹さんは俺の服を着てキッチンに立っている。

智樹さんとセックスをした後に智樹さんと一緒に風呂に入って、智樹さんが俺の服を着て智樹さんが飯を作ってくれている。これが夢じゃなくて現実だというんだから、俺より幸せな人間なんて他にはいないと思う。

最上級の幸せを噛み締めながら智樹さんが作ってくれた旨い料理をいただく。その間もその後も、旅行中にろくに喋れなかった時間を取り戻すように会話は長く続いた。
 
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