だからどうした

□18 ばか
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車は渋滞にはまることなくスムーズに進み、姉貴が計画当初から希望していた水族館には予定よりも少し早い時間に到着した。

入館前からはしゃいでいた姉貴は入館後もそのテンションを維持してる。そんな姉貴を追う健一さんを、俺と智樹さんが追う形で順路を進む。そうして大きな水槽の前で目を輝かせる姉貴の子供のようなはしゃぎぶりに呆れていると智樹さんが他人事のように「楽しそうだな」なんて呟くから少し不安になって問いかける。


「智樹さんは楽しくないの?」

「ああ、いや、そんなつもりで言ったんじゃないよ。俺もちゃんと楽しんでるから」

「それはよかった」


姉貴がほぼ強引に決めた水族館だったから智樹さんは乗り気じゃないのかと思った。

安堵して、水槽の中に目を戻す。と、変な泳ぎ方をしている魚が目に入った。


「あ、なんか面白い魚いた」

「どこに?」


できるだけ同じ目線にしようと智樹さんの肩を抱き寄せる。それから「ほら、あそこ」と指さしたけど智樹さんの反応が全くないからどの辺を見ているのか確認するために隣を向けば、間近に顔があって、目が合って、一瞬息が止まった。

淡いライトの光が水槽の水に反射して智樹さんの顔をキラキラと輝かせる。その綺麗さに目が奪われる。

ただでさえゆったりとした水族館特有の雰囲気に包まれて時間の流れを遅く感じていたのに今はもっと遅くなったように感じて、もはや時間が止まっているような感覚に陥る。


「よ、吉井君……?」


呼ばれてやっと「ごめん」と一歩離れる。その時智樹さんが何か言おうとして口を開いたけど、少し離れたところから「先行くぞ」という健一さんの声が聞こえたからかその口は閉ざされた。


「はぐれると面倒だから俺たちも行こうか」


智樹さんは言おうとしていた言葉の代わりにそう言って、俺に背を向けて歩き出した。智樹さんが何を言おうとしていたのかを気にしながら俺も後を追って歩き出す。その先にはトンネル型の水槽があって、智樹さんがそこで足を止めて上を見ていたから俺も横に並んで見上げてみた。

いろんな魚が頭上を行き来してる。その中でも一際大きなエイがヒレを羽搏かせて頭上を行き過ぎる。

空を飛ぶように堂々と泳ぐその姿に、俺は勇気を与えられたんだと思う。


「智樹さん」

「どうした?」

「さっき何を言おうとしたのか、聞いてもいい?」

「……よくない」

「いやだ。聞きたい」


そうやって食い下がると智樹さんは驚きの顔を俺に向けた。

前にも似たようなことがあった。その時の智樹さんは俺が簡単に引き下がると思ってなかったから驚いていた。今は逆に俺が引き下がると思っていたのに食い下がったりしたからたぶん智樹さんは前よりも驚いてると思う。

でも。


「俺、遠慮なんてしないから。智樹さんにうざいと思われても絶対に」


何歩でも踏み出してやるって決めたんだ。

嫌われるのが怖くて引き下がってばかりいるとこれ以上好きになってもらえることなんてない。智樹さんにはもっと俺を好きになってほしいから。俺ももっと智樹さんを好きになりたいから、思ったことはなんでも口に出してほしい。

そういった思いで智樹さんと向き合い目を見据える。その思いが伝わったのか、智樹さんは少し気まずそうに目を逸らしながらも口を開いた。


「じゃあ、言うけど……」


周りの雑音を遮断するほど智樹さんの声だけに神経を集中させる。


「見詰められるとドキドキして息が苦しくなるからやめてほしい、です」


そうして口から出てきたのはなんとも微笑ましい頼み事だった。しかし残念ながらその頼み事は聞き入れられそうにないので「無理です」と即答する。


「だって智樹さん、ドキドキして息が苦しくなったとしても俺に見詰められるのはいやじゃないでしょ?」

「そうだよ、だから言わなかったのに」


やけ気味に呟いた智樹さんは続けて俺を軽く睨み。


「こんな恥ずかしいことをわざわざ言わせるな、ばか」


そう言って俺を置いて歩き出すから慌てて追いかける。俺たちが足を止めている間に姉貴と健一さんは先に進んだようで姿が見えない。こうして結局二人で水族館を回ることになった。あれから智樹さんは口をきいてくれなかったけど俺はずっと智樹さんの隣でニコニコしていた。

数十分後、落ち合った駐車場で少し不機嫌な智樹さんと上機嫌な俺を見た健一さんが車に乗り込もうとする俺の首根っこを引っ張って「何かあったのか?」と耳打ちしてきた。


「智樹さんに初めてばかって言われた」

「なんだそれ」

「健一さんにはわからないだろうな、この何とも言えない悦が」

「……。ばかって言われて喜ぶやつの気持ちなんかわかりたくねぇよ」

「別にわかってもらおうなんて思ってません」


言うと、健一さんは呆れたように小さく笑い俺の頭をガシガシかき乱してから車に乗り込んだ。健一さんなりの祝福を受け取って自然と緩む口元をそのままに、俺も車に乗り込んだ。

その後は適当な店で昼飯を済ませ、通りがかりの店に立ち寄ったりしながら旅館へと向かった。

智樹さんの口数は相変わらず少なかったけど、賑やかな街から少し離れた旅館に到着した頃にはいつも通りに戻っていた。それを少し残念に思いながら、でもやっぱり普通に会話できる嬉しさも改めて噛みしめながら、いざ旅館の門をくぐる。

そうして迎え入れてくれた仲居さんに案内されたのは街の景色が一望できる露天風呂付きの部屋だった。


「ねえ、夕飯まで時間もあるし、せっかくだから大浴場に行かない?」


荷物を置いて早々に姉貴が言い出す。それに健一さんも智樹さんも反対するわけもなく、むしろ乗り気で準備しだす。その中で俺だけが座り込んだままなのを気にして智樹さんが声をかけてくれた。


「吉井君は行かないのか?」

「あ、ああ、うん。疲れたからちょっと寝ようかと思って」

「だったら俺も残るよ」

「いやいいよ。遠慮しないで行ってきて」

「でも」


そうやって智樹さんが渋るから健一さんに助けを求める視線を向ければ「乗りの悪い奴はほっときましょう」と、半ば強引ではあったけど腕を引っ張って智樹さんを連れて行ってくれた。

一人になった静かな部屋で、ごろん、と布団に横たわる。

健一さんの相手は疲れるだろうな。悪いことしちゃったな。でも一緒に風呂に入る勇気はまだないんだ、ごめんね智樹さん。

心の中で謝りながらふかふかの布団の上で目を閉じて数分、そのつもりはなかったのに俺は見事に夢の世界へと足を踏み入れた。


「雅孝」と、名前を呼ばれて返事をする。


でも声を出せたかわからないまま、また名前を呼ばれる。ああ、やっぱりさっきは声を出せてなかったんだな、と思いながら返事をする。次の瞬間、額をぺちんと軽く叩かれた。

ゆっくり目を開けると、浴衣姿の健一さんが俺を覗き込んでいた。


「起きたか? 早くしねぇとお前の分の飯も食っちまうぞ」

「ん、起きる……」


のそりと起き上がり寝ぼけ眼をこする。なんだかいい夢を見ていたような、そうでもないような。妙な感覚を抱いたまま隣の部屋に移動する。と、智樹さんが浴衣を着ていたからおもわず凝視していると視線を感じたのか智樹さんがこっちを向く。ばちっと目が合ったけどそれはすぐに逸らされた。

どこか様子がおかしいのは見て分かった。

だから話しかけようとしたけどそれを遮るように姉貴が俺を呼びながら隣をぽんぽんと叩いて座るよう促したりするから、つい癖で、寝ぼけていたことも相まって、躊躇いもなく姉貴の隣に腰を下ろしてしまった。

いや、だからおかしくないか、って。普通は姉貴の隣には健一さんが座って、俺の隣には智樹さんが座るもんじゃないのか。いや、まあ、車と違って向かい合わせで座るからましだけど。と妥協するも向かいには健一さんが座ったりするから俺は頭を抱えた。

このままじゃ智樹さんの浴衣姿を堪能できない。

健一さんは俺をからかってるだけなんだろうけど、姉貴だけは本当に何を考えてるのかわからない。本気で俺と智樹さんを引き離そうと考えていてもおかしくはない。

そんなこんなで姉貴を警戒しながら夕飯を平らげて、酒を飲みながら明日の予定やら他愛もない話を繰り広げ、夜も更けたころ。寝落ちした姉貴を筆頭に健一さんも横になり、つられるように智樹さんも眠り始めた。

暫くして俺は三人を起こさないよう静かに部屋を抜け出した。


二十四時間営業といってもさすがに夜更は人がいない。そんな大浴場を贅沢に堪能していると、カラカラと戸の開く音が響いた。

人のいない時間を狙うのは誰もが考えることか。

湯につかったまま暢気に窓の外の景色を眺めているとその人が俺の真横にやってきたから、なんだこいつ、と思いながら隣に目を向けるとそこには智樹さんがいた。


「……っ!?」


驚いて思わず立ち上がろうとした瞬間に足を滑らせ、派手に水しぶきを上げて湯に沈む。

智樹さんの手を借りて事なきを得たけど、居た堪れなさで消えてなくなりたくなった。
 
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