だからどうした

□16 そっちじゃない
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警察署というところには生まれて初めて足を踏み入れたもんだから変に緊張したけど、一部始終を見ていた第三者(豊島さん)の証言もあったおかげか思っていたよりも短時間で終わってほっとした。

その帰り道。店に向かうにはまだ少し早いからと一緒に飯を食べることになり、ちょっとしたデート気分で歩いていると智樹さんが深刻な声で俺の名を呼んだ。

その声色に夜中の台詞を思い出して背中に冷や汗が滲む。それを悟られないよう努めて平静に返事する。


「ん、なに?」

「……。左手、まだ痛むか?」

「全然。まあ、動かしたらちょっとは痛むけど」

「利き手じゃないとはいえ何かと不便だよな。本当にごめん」

「だから謝らないでって言ってるでしょ。智樹さんのせいじゃないんだから」

「そう言ってくれると助かるよ。ありがとう」


言いながら智樹さんは眉尻を下げて笑った。

一体何を言い出すのかと思いきや。不安しかなかったから、なんだそんなことか、と拍子抜けした。だけどそんな状態でも小さな違和感を逃しはしなかった。

それは智樹さんが左手の怪我を気にする前に、開いた口を一度閉じたこと。

思い切ってそのことについて聞いてみるか。いや、智樹さんがひっこめたものをわざわざ聞くのはどうなんだ、と。聞く、聞かない、二つの選択肢が頭の中で仲良くワルツを踊ってる。

そもそもこれは俺の直感だけだから智樹さんが寸前で話題を変えたという確証が別にあるわけじゃないんだ。この怪我は智樹さんのせいじゃないって言ってるのに相変わらず責任を感じてるみたいだし、もしかしたら口を閉じたはそれのせいで、話題を変えたわけじゃないのかもしれない。だったら何も聞かないほうがいい。

だけどどれにしたって口を閉じたのは事実なんだから「何かあった?」と聞くくらいなら……。でも、目敏いやつだな、ってうざがられたりしたらどうしよう。

夜中の決意もすっかり忘れてぐるぐる考えてる間に智樹さんが別の話題を投げかけてきたから、会話を楽しむためにさっきの違和感は胸の奥に追いやった。

たびたび浮上してくる違和感を押し込めながら、智樹さんの案内でやってきたのは小ぢんまりとした定食屋だった。智樹さんが言うには自家製の味噌で作った味噌汁が絶品とのこと。確かにそれはおいしかった。でも俺にはあの木曜日に口にした味噌汁のほうがおいしく感じられた。

それからは他愛もない会話を繰り広げながら夕飯を済ませ、定食屋を後にした。

暫く歩いて時間を確認した智樹さんがおもむろに俺を見る。


「俺はそろそろ店に向かうよ。吉井君は家どっち?」


聞かれたので「あっち」と言いながら智樹さんの向かう道とは逆の道を指差す。すると智樹さんが「そうか。じゃあここで」とあっさり別れようとするもんだから俺は咄嗟に呼び止めた。


「智樹さん」

「ん、どうかした?」

「店まで一緒に行く」

「帰るの遅くならないか?」

「ならない。……ねえ、智樹さん。少しでも一緒にいたいと思ってるのは俺だけなの?」


食事中の会話を思い出しながら、縋るように問いかける。

想いが通じ合って恋人という関係になったばかりなんだよ。日付的には今日の出来事なんだよ。まだ二十四時間も経ってないんだよ。少しでも一緒にいたいと思うのは当然のことだと思う。いや、経過時間に関係なく智樹さんとはずっと一緒にいたいと思ってるけど。まあ、だから「一杯ひっかけていこうかな」と言ったんだよ。そしたら智樹さんが「怪我が治るまで酒は飲まないほうがいい」って俺の心配をしてくれたりするからそれ以上は何も言えなかったんだ。

もう、本当に、昼間に気持ちを確認したばかりだというのにその日のうちに不安を抱く自分が情けなくて情けない。でもこればっかりは仕方ない。智樹さんが何を考えて何を言いたいのか、本人に聞かないとわからないんだから。

智樹さんの考えてることや言いたいことが瞬時にわかる超能力が欲しいな。なんて馬鹿げたことを考えながら返事を待っていると、智樹さんは心悲しそうに「ごめん」と呟いた。

それはどういう意味の「ごめん」なのか。問いただそうとしたけど、間を開けずに智樹さんが続けようとしたから出かかった言葉は飲み込んだ。


「恋人出来ることが、というか誰かを好きになること自体が久しぶりで、しかも男を好きになったのは初めてだから、なんというか、こういう時はどうすればいいのかわからなくて……いや、そうじゃなくても俺はもともとこんな感じで……、ごめん。でも、一緒にいたいと思ってるのは俺も同じだから安心してほしい」


智樹さんは俺の目をまっすぐ見ながら力強い口調で言ってくれた。でもその表情はどこか不安げで。同じじゃなくていいところまで同じなんだと思ったらなんだか肩の力が抜けた。

それに智樹さんが安心してほしいと言ったんだ。まずは俺が安心しないと智樹さんも安心できないだろ。


「わかった。じゃ、行こうか」


笑みを浮かべて歩き出す。それから隣にやってきた智樹さんを後目で盗み見るとほっとしたような顔を浮かべていた。

この流れならさっきの小さな違和感の理由を聞けたかもしれないけどそうしなかったのは、どんな理由があっても智樹さんが俺を好きなことに変わりはないと思ったから。と、自信過剰になってみたけど、それはやっぱり俺が臆病者だということにも変わりはないからなんだ。

互いに口数は減ったものの会話の楽しさにも変わりはなくてあっという間に店についてしまった。おかしいな。いつもより歩みは遅かったはずなのに。


「じゃあ、今度こそお別れだな」


一緒にいたいという気持ちを口にしたからか、智樹さんはさっき別れようとした時よりも寂しそうな声色で、眉尻を下げて小さく笑った。

ああ、そんな顔を見せられるともっと離れがたくなる。

でも駄目だ。これ以上智樹さんを困らせるようなことはしたくない。抱きしめたい衝動を押し込めながら「じゃあまたね」と笑顔を浮かべて智樹さんに背を向けた。瞬間に笑顔が抜け落ちる。


「吉井君……!」


そうして歩き出そうとすれば今度は俺が智樹さんに呼び止められた。

慌てて笑顔を戻し、振り返る。


「ん、どうしたの?」

「手、貸して」


急な言葉にハテナを浮かべながらも言われたとおりに右手を差し出す。それを見た智樹さんが「そっちじゃない」と言いながら俺の左手に手を伸ばす。そして刺激を与えないように優しく包み込んだかと思うと徐に引き寄せ、手の平にそっと唇をあてがった。


「早く治りますように」


まさかの行動に頭が真っ白になる。そんな俺の頭の中とは正反対に、智樹さんは恥ずかしそうに伏し目になって顔を赤くさせる。

仕掛けた本人がなんでそんなに照れてるんだ。と、どこか冷静に脳内で突っ込みを入れる。

次第に唇が触れた部分の熱が全身に駆け巡る。昼間に普通にキスした時よりも体が熱い。


「と、智樹さん……!」


いてもたってもいられなくて頭で考えるより先に体が動き、ぎゅっ、と智樹さんに抱き着いた。


「もう、なんで別れ際にこんなことするかな。俺がどれだけ智樹さんを好きかわかってないでしょ」

「わかってるよ。……たぶん」


頼りなく付け足された言葉に思わず笑い声をこぼす。それから少し体を離して軽く唇を重ね合わせれば智樹さんの体が硬直するからさらに笑い声がこぼれた。


「じゃあ明日から毎日こうしに来るから、ちゃんと俺の気持ちを分かってよ」

「ど、努力します」


相変わらずの赤い顔で真面目にそんなことを言われたらもう笑うしかない。

最後にもう一度唇を重ね合わせてから、さっきと同じように「じゃあまたね」と笑顔を浮かべて智樹さんに背を向ける。その笑顔は家に帰るまで、というか帰ってもなかなか抜け落ちなかった。
 
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