だからどうした

□13 隠れマッチョ
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どくんどくんと心臓が大きく脈を打つ。今まで感じたことのない緊張に思わずこの場を誤魔化してしまいそうになる。でも本当にそうするわけにはいかないから、なに弱気になってんだ言うって決めただろ意気地なし、と自分を叱咤して声を絞り出す。


「俺、智樹さんの綺麗な髪が好き。優しい声が好き。目を細めて笑う顔が好き。でも他の人に向ける笑顔はあんまり好きじゃない。それから、俺を心配してくれたことも頼ってくれたことも眠いの我慢して俺のために料理を作ってくれたこともめちゃくちゃ嬉しかった。智樹さんにとってはそれが普通なんだとしても俺にとっては何もかもが特別で、それら全部を独り占めできたらいいのにって考えるほどわがままだけどでもそういう智樹さんをみんなにも知ってほしいって思ってる自分もいて、矛盾しまくってるけどこれが俺の気持ちだからしょうがなくて……あー、ごめん、自分でも何言ってるのかよくわかってないけど、要約すると、智樹さんが好きです。恋愛感情で」


最後まで聞いてて、と前置きしたはずなのに智樹さんが何度か口を開こうとするからその度に気付かないふりをして最後まで言い切った。そこでまず気になったのは恥ずかしさで居た堪れなそうにする智樹さんではなく、物陰で豊島さんが覗き見してるんじゃないかという可能性だった。

いやいや、さすがに豊島さんでもそんなことはしないだろう。

そう否定しながらもしかし完全には不安が消えなかったのであたりを見渡す。すると男が一人、暗がりでよく見えないけど明らかに豊島さんじゃない誰かがこちらに歩み寄ってくる。その手には鉄パイプのようなものが握られていて。

いやいや、まさかな、と思っていればその嫌な予感を実現するように男は俺たちのすぐそばで立ち止まり、鉄パイプのようなものを振り上げた。

その瞬間、雲に隠れていた月が顔を出してあたりを照らし出す。

あ、店でよく見る男だ。

頭の隅のほうで冷静にその顔を思い出していると男と目が合い、暗闇に紛れようとしていた男の目が驚きに見開かれる。驚きの他にもいろんな感情が混ざり合った瞳は確かに俺に向けられていて、人違いとかそういうのではないと直感した。そしてそのまま鉄パイプのようなものが振り下ろされる。

俺は咄嗟に右腕で智樹さんを抱き寄せ、左手で鉄パイプのようなものを受け止めた。


「……いっ、てぇ」


うまく受け止められたものの掌を強打した。痛い、でもこれを離すとまた殴られると思い痛みは我慢して鉄パイプのようなものを力いっぱい握りしめる。

まだ状況を理解できていないのか智樹さんは俺の腕の中で茫然としている。


「な、に、するんですか!?」

「だ、だって、お前が悪いんだ! 智樹の髪に触れていいのは俺だけなのに……!」


あ、駄目だ。話が通じないやつだ。

そう判断し、腕の中に目を向ける。するとやっと状況を理解した様子の智樹さんが顔を青くして首を横に振ったから、力尽くで鉄パイプのようなものを奪い取った。

今のこの時ほど力仕事をしていてよかったと思ったことはない。

非力そうに見えるけど実は隠れマッチョの俺に力では敵わないと悟ったのか武器を奪われた男が少し後退り、懐からナイフを取り出した。一撃目があれだったらと考えると背筋が凍る。いや、背筋は鉄パイプのようなものを振り上げられた時点ですでに凍ってたけど。

さて、どうしたものか。こういう人間は見境がないから本人にそのつもりはなくとも智樹さんを傷つけるかもしれない。男は俺が引き付けておいて何とか智樹さんだけでも逃がすべきか。ああ、そうだ、最初から狙いは俺なんだからこの場から智樹さんを離れさせれば怪我することはまずないはずだ。だけどそうしたところで智樹さんが俺を置いて逃げるとは思えなかった。たとえ逃げたとしてもすぐに戻ってきそう。

なら何としてでも智樹さんを守らなければ。使命感に駆られて智樹さんを抱く腕に力が入る。

すると腕の中からか細い「離して」が聞こえた。いや、男に意識を向けすぎてか細く聞こえただけかもしれない。だって改めて智樹さんへ視線を向けると鋭い目で男を睨んでいたから。

こんなに怒りをあらわにする智樹さんは初めて見る。

なんだかこのまま離さないでいるとこっちに怒りが向けられそうだ、と冷や汗をかいた俺はそっと智樹さんから腕を離した。そうしたら自由になった智樹さんがあろうことか男に向かっていったりするから慌てて呼び止めれば、智樹さんは振り返りもせずに至極静かな声で「大丈夫だから」と言いながら足を止めずに男へ歩み寄った。

男はまさか智樹さんが出てくるとは思ってなかったのか、距離を保つように後退っていく。だけどそれより早く智樹さんが距離を詰める。


「き、君を傷つけたくないんだ、こっちに来るな!」


これ以上距離を詰められないようにするためか男は後退りながらナイフを手当たり次第に振り回す。

ちょっと待って、全然大丈夫じゃない。数秒前に智樹さんを離したことを早速後悔してまだギリギリ届きそうな智樹さんの背中に手を伸ばす。だけど俺の手は智樹さんの背中に届くことはなかった。


「来るな、来るなよっ! ぅ、わぁああぁあ!」


もう駄目だ。メーターを振り切ったような男の叫び声にぎゅっと目を瞑る。それから一秒、二秒、三秒経っても何も聞こえないからそっと瞼を持ち上げると、智樹さんが男の腕を捻り上げている姿が目に飛び込んできた。

男の手から零れ落ちたナイフが地面にぶつかりからんからんと乾いた音を立てる。

目の前の状況に思わず息を呑む。

それから智樹さんは男を蹴り飛ばして地面に落ちたナイフを拾い上げた。次の瞬間、結わえた自分の髪を掴んだ智樹さんは一切の躊躇いもなく髪をざくりと切断した。そして尻もちをついた男にそれを投げつける。

ヘアゴムで束ねられた髪は散り散りになることなく男の胸に叩きつけられた。


「髪くらいくれてやる。二度とその面見せるな」


抑揚のない声に身震いが起こる。後ろにいる俺がこれだから見下ろされている男は気が気じゃないだろうと様子を窺っていると男は「こんなの俺の智樹じゃない!」とわけのわからないことを吐き捨て、投げつけられた髪をしっかり手に持って逃げるように走り去っていった。

いや、ほんと、理解に苦しむ。何がしたかったんだあの男は。

何はともあれ一件落着だ。なのに智樹さんは俺に背を向けたまま動こうとしないから今になって恐怖が押し寄せてきたのかと心配して肩に手を置いたものの、それはさっき強打した左手で、声も出ないほどの痛みがぶり返す。

でもそのおかげで智樹さんは振り返ってくれた。


「だ、大丈夫か?」

「ま、まあ、それなりに痛いけど普通に動かせるから智樹さんが思ってるより重症じゃないよ」


心配させまいと浮かべた笑顔が見事に引き攣る。それほどの痛みを感じてるのは俺なのに智樹さんの方が泣きそうな顔をしていて、涙声で何故か「ごめん」と謝られた。


「俺のせいで、こんな……本当にごめん」

「いやいや、智樹さんのせいじゃないんだから謝らないでよ」

「違う、それだけじゃない。せっかく吉井君が奇麗だって、好きだって言ってくれた髪をあんな奴に……」


なんだそんなことか。


「髪ならまた伸ばせばいいよ。あ、もちろん智樹さんが伸ばしたいならの話だけど。それに髪が短かろうが長かろうが俺は好きだよ、どっちでも」

「……お、俺も」


あ、このパターンはよく知ってるぞ。甘いのは大丈夫かって聞いた時と同じようにこの後は「吉井君の髪が好き」って台詞が続くんだろどうせ。でもちょっと待てよ、俺の髪、智樹さんのみたいに奇麗じゃないし、すでに俺は起きてる智樹さんに告白してる。

もしかしてこれは、と期待しつつあまり焦らないよう心を落ち着かせながら智樹さんの言葉を待つ。と、やっぱり唇が開く瞬間はスローモーションに見えた。


「吉井君が、……好きだ」
 
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