だからどうした

□03 いらっしゃいませ
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とある日、仕事を終わらせて住まいであるマンションに帰ってくると、俺の部屋の前に男が一人座り込んでいた。

正直言うと声なんかかけず部屋に入って飯を食って風呂に入ってぐっすり眠りたかったけど、その人が邪魔でまず部屋に入ることができないから仕方なく声をかけることに。


「健一さん」

「おう、おかえり、雅孝」

「ただいま。今回はどうしたんだよ」


健一さんが退いてくれたので、呆れを含ませて問いかけながら玄関の鍵を開ける。だけど次の瞬間、俺の手から鍵を奪った健一さんが再び玄関を施錠する。奪い取った鍵を目で追いかけるようにして健一さんをぎろりと睨めば、「そんな怖い顔するなよ」と軽い声が聞こえた。

次に人質である鍵をポケットに突っ込んで俺と肩を組み、「それじゃあ飲みに行こうか」と歩き出す。

鍵がないと部屋には入れないから健一さんの言いなりになるしかなかった。

姉貴と喧嘩したらいつもこれだもんな。仕事で疲れてるのにいい迷惑だよ、まったく。


健一さんの愚痴を聞きながらやってきたのは裏道にひっそりと佇むどこか雰囲気漂うバーだった。

どちらかというと居酒屋好きな健一さんがこういうところに来るのが意外で、「こんな店来るんだ」と呟けば、自分の好みに合わせてカクテルを作ってくれてしかも美味いから最近はここに通っているという途轍もなくどうでもいい情報を入手した。

とりあえず健一さんの溜飲が下がるまで聞き役に徹してなるべく早く帰ってもらおう、といつも通りの作戦を立てながら、先に店に入っていく健一さんの後を追う。

そうして聞こえてきた「いらっしゃいませ」は耳に心地よい声で。

まさかと思って声がしたほうへ目を向けると、カウンターの向こう側にはバーテン服を着こなしてグラスを磨く柊さんがいた。

いつもみたいな緩い感じじゃなくきっちりしてて、息を忘れるくらいにかっこいい。

……、って、見惚れてる場合じゃない。

背後で立ち止まる俺に気付くはずもなく奥へ向かう健一さんを慌てて追いかける。その途中で柊さんの前を通る瞬間にもう一度見ておこうと横目を向ければ、見事にばっちり目が合った。

柊さんが驚いたような顔をしたのも束の間、俺ににっこりと微笑みかけて軽く会釈する。

うわ、やばい。超やばい。なにこれ、まじでやばい。

顔に熱が集まるのを感じながらぎこちなく会釈し返して足早に健一さんを追いかける。そして奥の席に着くと、健一さんは目敏く俺の変化に気が付いた。


「どうした雅孝。顔、赤いぞ」

「気っ、のせいじゃないかな」


声が裏返ったことで健一さんの疑いの眼差しが一層強くなる。そこへ柊さんが来るもんだから俺の背筋は勝手に伸びた。


「こんばんは、鳴海さん。今日はいかがいたしましょう」


注文を伝える健一さんの口から「度数高めで!」なんて言葉が聞こえてきたけどそれは聞かなかったことにした。

それにしても本当に柊さんはかっこいいな。普段の緩い感じも眼鏡をかけた知的な感じも、今のクールな感じも、どれもこれも素敵だ。男相手に使っていいかわからないけど、美人って言葉がよく似合う。

一目見て綺麗な人だと思ったくらいだもんな。と自分でもよくわからない納得をしているとふいに柊さんがこっちを向いた。


「吉井さんはどうしますか?」

「っ、あ、えーっと、この人の面倒見なきゃいけないんでアルコールは控えめでお願いします。それからできれば甘口のやつを……」

「かしこまりました」


心臓が止まるかと思った。比喩でもなく、本当に。

軽くお辞儀をしてからカウンターに戻る柊さんを見届けて小さく息を吐く。そうやって気を抜いた俺は完全に忘れていた。健一さんの勘の良さを。


「……なぁ、雅孝」

「ん、なに?」

「一目惚れの相手とはどうなった? あれから進展はあったりするのか?」

「な、ないこともない、けど……急にどうしたんだよ」

「いやぁ、うまくやってるのかなぁと思って」


にやにや顔の健一さんが頬杖をついて、カウンターに戻った柊さんを見遣る。


「そういえばお前、この店に来たことあるのか?」

「いや、ないけど」

「ふーん。じゃあマスターとは知り合いだったのか?」

「ああ、うん、配達先で知り合ったんだけど、それがどうかした?」

「いやぁ、男が男に一目惚れするってことはマスターくらいの美形が相手なんだろうなぁと思って」


さらににやにやした健一さんがこっちを向いて何か言いたげに笑う。

な、なんてむかつく顔で笑うんだ、この人は。

もういいよ。気付かれてることに気付いてるんだよ俺は。さっさとお前の好きな人はあそこにいる人なんだろと言えばいいものを、こんなふうに人の反応を見て面白がるところ、本当嫌い。

不貞腐れて口を閉ざすも逆効果だったようで、健一さんは「そんなに拗ねるなよ」と楽しげに笑った。




結局あの日は日付が変わる頃まで愚痴を聞かされたりからかわれたりして、最悪な休日の幕開けとなった。さらにその休日は姉夫婦の仲直りに一役買ったことにより丸一日潰れてしまった。

そうして疲れを持ち越したまま何とか仕事をこなす俺に神様がご褒美を与えてくれたようだ。

扉の向こうから聞こえてくる「いま開けますね」を聞いただけで疲れが吹っ飛ぶ。

だけどそんなウキウキもしていられない。

この間の健一さんの酔いっぷりを思い出して、「こんにちは、お届け物です」といつものやり取りをしながら先日の詫びを入れることにした。


「この間はすみませんでした。柊さんに絡みに行くあの人を止めることができなくて」

「いいえ、いいんですよ。自分の作ったお酒であんなふうに楽しくなってくれたならバーテンダー冥利に尽きますから」


他のお客さんも一緒に楽しんでくれていたのが幸いか。

それにしてもなんて優しいんだ、この人は。健一さんとは大違いだ。

いや、柊さんが優しいのなんて周知の事実だ。今はそれよりより重要なことがある。

俺と健一さんの関係を気にしたりは……してないだろうな。俺が一方的に好意を抱いてるだけであって柊さんは俺のことをなんとも思ってないんだから。でも少しくらいなら、と期待しながら勇気を出して口を開く。


「どんな関係か、気になったりしませんか……?」


サインを書き終えた柊さんが俺を見て小首を傾げたりするから俺は目を泳がせて「健一さんと俺の関係です」と補足した。


「ああ、そうですね……。店に来るお客さんの交友関係を気にしていたらきりがありませんから特にこれと言って気になったりは……」


「ですよねー」と軽く受け答えしながらも内心で涙を流していると柊さんが伝票とボールペンを俺に返しながら「ですが」と言葉を続けるから、聴覚を研ぎ澄ました。


「吉井さんは友達なので少し気になりますね」


そこに俺と同じ好意なんてものは微塵もないんだろうけど興味を持ってくれただけでも万々歳。

俺は嬉々として健一さんとの関係を簡単に説明した。そしたら「仲が良いんですね」って。そこに悪気なんてものも微塵もないんだろうけど少し複雑な気分になった。

もっと柊さんとお喋りしたかったけど残念なことに今日は仕事が詰まっていて。名残惜しいけど仕事へ戻らないと。


「それじゃ失礼します、ありがとうございました。……またお店に行ってもいいですか?」

「もちろんです。お待ちしておりますね」


社交辞令だろうが何だろうが極上の笑顔を向けられて舞い上がった俺は今日一日ずっと心が弾みっぱなしだった。

単純な男だな、と我ながら呆れ返るよ。
 
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