だからどうした
□15 欲張り
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トラックの助手席で次の配達先を確認しつつ交通状況にも運転席に座る男の言動にも目を配る。
「いやー、それにしてもクレーム件数最少の吉井さんとご一緒できるなんてマジで光栄っす。技、盗ませてもらいますね!」
「だったらその体育会系みたいな語尾とかマジとか顧客には使わないでくださいね」
「はーい、気を付けまっす。まあ俺、オセロ部だったんで文化系なんすけどね」
「へー、そーなんだ。……あ、次の信号を右ね」
「了解っす!」
「……」
何が楽しいのか鼻歌交じりに運転する新人を尻目に見て内心で溜息を吐く。
どうしてこんなことになったのかというとそれは今朝の朝礼で、左手を負傷して荷物を運ぶことはおろかハンドルを握ることもできないという役立たずになり下がった俺に主任が新人教育という役割を与えてくれたからだ。
怪我で何もできないとはいえまさか新人を任されるとは思ってなかったから素直に嬉しかった。でも怪我が治るまでこの新人と一緒なんだと考えると少し気分が滅入る。
こういうタイプ、苦手なんだよな。
しかも次の配達先は智樹さんのところで。いつもなら俺が鼻歌交じりに運転してるはずなのに今は憂鬱でしかない。まさか顧客に手を出してその人と付き合いを始めただなんてバレるわけにはいかない。特にこういう口が軽そうな人間には特に。
絶対に悟られないようにと褌を締めてかかり、ぺちゃくちゃと話題が尽きない新人に適当に相槌を打ちながら智樹さんが住まうマンションへと向かった。
ピンポーン。インターホンを押すと扉の向こうから「いま開けますね」が聞こえたからか、新人が張り切って「ごゆっくりどうぞ!」と意味不明な返事をする。朝からずっとこの調子だ。元気だな、と呆れるよりももはや尊敬を抱き始めてるよ俺は。
そうして開かれた扉から出てきた智樹さんを見て、まず俺が固まる。そんな俺に気づかずに新人が「お届け物です!」と元気よく声を発する。
「サインかハンコお願いします!」
「は、はい、……ボールペンお借りしていいですか?」
「はい、どうぞ!」
引いてる。あの智樹さんが引いてる。
こんなことで新たな一面が見えるとは思ってなかったから新人には内心で感謝しつつ、一連のやり取りを見守りながら密かに智樹さんに目を向ける。美容院に行ったらしい智樹さんの髪は奇麗に切り揃えられていて、小さな動作にも反応してさらさらと揺れている。また一段とかっこよくなった姿になおも見惚れていると、サインし終わったのか智樹さんが顔を上げて俺に視線を寄越した。
どきり。盗み見してるのがばれて思わず視線を泳がせる。
「はい、確かに。ありがとうございました。またのご利用をお待ちしてます!」
最後の最後まで元気のいい新人が頭を下げて去っていく。その背中を追いかけようとしたけど一向に足が動かなくて、動かない俺を変に思った新人に「吉井さん、行きますよ!」と呼びかけられても足は動かず、思わず口にした言葉は「ごめん、先に戻ってて」だった。
新人はまさか自分が何かやらかしたんじゃないかと心配になったのか打って変わって「は、はい」と元気をなくして戻っていく。
その背中が見えなくなったのを確認してから、智樹さんに目を戻すと何故か「ごめん」と謝られた。
「何が?」
「いや、だって手を怪我したから二人で回ってるんじゃないのか?」
「違うよ、これは新人教育の一環で……」
違う、わざわざ新人を先に戻してまで話したかったのはこんなことじゃない。だから「怪我したのは智樹さんのせいじゃないし、二人で回ってるのも怪我のせいじゃないからもう謝らないで」と話を終わらせて、中へ押し込むように智樹さんに抱き着く。
ばたん、と扉が閉まって数秒、困惑する智樹さんが口を開いた。
「……よ、吉井君?」
「なんかずるい」
「え?」
「俺ばっかりドキドキしてるような気がする」
こうしていきなり抱き着いてみても智樹さんは慌てる様子もなく突き放そうとするわけでもなく、かといって嬉しそうにするわけでもなく、戸惑うように俺の抱擁を受け入れてる。
別に智樹さんの気持ちを疑ってるわけじゃない。だけどやっぱりだからこそ、戸惑うより先に背中に手を回してほしい。
受け入れてくれるだけでも喜ばしいことなのにもっともっとと欲張りになる自分に呆れながら新人のことも頭の隅のほうで考えてもうそろそろ戻ろうと体を離せば、智樹さんが小さな声で「そんなわけない」と呟いた。
「好きな人に抱き着かれてドキドキしないわけないだろ……」
やけくそ気味に言った智樹さんは少し俯いて手の甲で口元を隠す。だけどそれだけで赤くなった顔を隠せるわけもなく、欲張りな俺はもっとちゃんと智樹さんの顔を見たくなったから手を掴んで引きはがそうと試みる。
「ちょっと待て、今は本当に駄目だ……! 顔、見られたくないっ」
でもそう言って頑なに抵抗するもんだから少し卑怯な手を使うことにした。
「ねえ、智樹さん。怪我した左手使う前に抵抗するのやめてほしいな」
「っ、……吉井君の方がずるいじゃないか」
そうしてやっと抵抗をやめた智樹さんの顎を掬い取ってよく見えるようにこちらを向かせる。より赤くなっていく顔を眺めながら、頬にそっと手を添えた。そのまま親指で頬を撫で、目をじっと見据える。
ああ、駄目だ。こんなことしたら離れがたくなるってわかりきっていたのに。
全部投げ出してこのままずっと一緒にいたい気分でいると、智樹さんが夜中と同じようにまっすぐな目を俺に向けた。あの時は不発に終わったけど俺が何をしようとしていたのか智樹さんはわかってたはずだ。
今だってきっとわかってると思うけど一応確認をとることにした。
「キスしていい?」
「……聞かれると余計に緊張する」
「じゃあ今からする」
「……宣言されても緊張する」
じゃあ何も聞かずに智樹さんの気分も無視して何も言わずいきなりキスをしてもいいのか。それはつまり相手が俺ならなんでも受け入れる、ということか。なんて、かなり自信過剰な考えだけど。でも第一声で断らなかったってことは少なからずそう思っていると判断してもいいはずだ。
ごくり。智樹さんにも聞こえそうなほどの大きな音を立てて生唾を飲み込む。見られていると緊張するから「目、閉じて」とお願いすると智樹さんはそっと瞼を下ろしてくれた。
初めて会った時はまさかこんな顔が見られるとは思わなかったな、と顔を眺めながら感慨に浸る。その間にもまだかまだかとキスを待ちわびている智樹さんは、いつまで経ってもキスされないことに疑念を抱いたのか様子を窺うように片目を少し開いた。
自分のキス顔をこんな間近で見られていることに改めて恥ずかしくなったらしい智樹さんが少し身を引く。俺は離れてく唇を追いかけてそっと唇を重ね合わせた。
軽く触れあった唇の柔らかさに気分が高揚して、一度心を落ち着かせようと距離をとって智樹さんの反応を窺う。
小さく開いた唇からこぼれる熱い吐息、上気した顔、ふるふると震えながら持ち上がる瞼、俺しか映していない奇麗な黒い瞳。すべてが興奮材料となり、ぞわり、と得も言われぬ感覚が背筋を駆け上がる。
相変わらず欲張りな俺は子供同士のようなキスじゃ満足できなくて、頬を撫でていた手を後頭部に移動させるとまた唇を重ね合わせた。
「よし、い君、ちょ、待っ」
合間に俺を制止する声が聞こえたけど無視して智樹さんの唇を貪る。
角度を変えて唇に吸い付き、出した舌で唇をなぞって、下唇を歯で挟む。そうしながら襟足を撫で上げればいい加減にしろと言わんばかりの手が俺の顎を押しのけた。
「そ、そろそろ戻らなくていいのか?」
「……うん、もう戻る。今日は早く上がれるから仕事終わったら電話するよ。一緒に警察署行こう」
「う、うん、わかった」
少しやりすぎてしまったことを反省しながら扉を開けて出ようとしたけど最後にずっと言いたかったことを思い出して「あ、そうだ」と少しだけ振り返る。
「髪、似合ってるよ」
言われてぽかんとしたのも束の間、智樹さんは短くなった襟足をいじりながら微笑んで「ありがとう」と言った。そんな智樹さんを抱き締めたい衝動にかられたけどそうすると今度こそ歯止めがききそうになかったから「じゃあ、また」と足早に立ち去った。
戻ってトラックの助手席に乗り込むと早速「俺、何かやらかしちゃいました?」と不安そうに新人が聞いてくる。でもやらかしちゃったのは確実に俺のほうなので「今のところ何もやらかしてないよ。ただ元気があるのはいいことだけどもうちょっと声のボリュームを落としたほうがいいかな」と言ってやればさっきの不安げな表情はどこへやら「昔から声が大きくて」と嬉しそうに昔話を始めるから、飴と鞭の使い分けに気を付けることにした。