だからどうした
□17 エスパー顔負けの超能力
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次の日も、そのまた次の日も、仕事帰りに店に立ち寄ってはキスを交わす日が続いた。休みの日も同じようにして、店が休みの日には智樹さんのマンションに向かい、何度もキスをした。触れ合うだけの軽いものから啄むような中くらいのものや舌を捻じ込んで絡めたりするがっつりしたものまで。
最初は男同士ということに戸惑っていたのか受け身だった智樹さんも昨日は自ら唇を開いて俺の舌を迎え入れてくれた。
何度かそれっぽい雰囲気になったりもした。だけど怖くてキス以上のことはできないでいた。
そんなある日の夜。風呂上がりに季節限定のカップアイスを食べながらすっかり良くなった左手を握ったり開いたりしていると、スマホが着信を告げた。
だけど画面に表示されているのは姉の名前だったから見なかったことにしてスマホをベッドに放り投げる。それから長いこと着信が鳴っていたけどやがてぷつりと消えて静かになった。でも間を開けずにまた着信音が鳴り響く。
そうだよな、あの姉が無視されたくらいで諦めるわけないよな。
姉が諦めるのを俺が諦めることにして、放り投げたスマホを拾い上げ通話を開始する。
「なに?」
『何してたの?』
「……トイレ行ってた」
正直に無視しようとしてましたなんて言う人はいないと思う。
『嘘。無視しようとしてたでしょ?』
たまにエスパー顔負けの超能力を発揮するからこの姉は怖い。
「そんなことするわけないだろ。で、用はなんだよ」
『……。健一君が商店街の福引で二泊三日の温泉旅館の招待券を引き当てたのよ。四人まで大丈夫だから一緒にどうかなと思って。癪だけどあのバーのマスターさんもご一緒に、来週の火水木あたりはどう? 私も健一君も休みが取れそうなのはその日だけなんだけど』
「そんなこと急に言われても俺は仕事休めるかわからないし、智樹さんには店があるし……。っていうか父さんと母さんを連れて行けばいいだろ」
『最近したから行かないって』
まったく、運がいいんだか悪いんだか。
そういえば健一さんは前にもカニ鍋をした次の日にスーパーのくじ引きでカニ鍋セットを引き当てたことがあったな、と昔を思い出しながら「とりあえず智樹さんに聞いてみるから。明日また電話ちょうだい」と通話を終わらせる。
さて、智樹さんには店を閉めてから帰る頃を見計らって電話するとして。
温泉旅行かぁ……。あまり気が進まないな。いや、別に行きたくないわけじゃない。智樹さんとずっと一緒にいられるんだ、行きたいに決まってる。でも旅行の内容が内容だけに素直に楽しめそうにない。だって温泉旅行ということは一緒に風呂に入るわけで、そのためには互いに一糸まとわぬ姿にならなきゃいけなくて。
行くのは来週なのに、そもそも行けるかどうかもまだわかってないのに。
勝手に想像して火照った体を冷ますようにアイスを掻き込む。好きな人の裸を想像して興奮するって、ガキか俺は。
空になったアイスのカップと睨めっこを続けて早二時間。そろそろ閉店作業を終わらせた智樹さんが帰路につく頃だ。
俺は勝手に裸を想像したことに軽く罪悪感を抱きながら智樹さんに電話を掛けた。そして電話が繋がり、第一声の「もしもし」が見事に裏返る。
『こんな時間にどうした?』
気づかなかったのか、気づいていて突っ込まないでくれたのか、どっちにしろ自分から蒸し返すつもりはないので話を進める。
「智樹さん、温泉好き?」
『まあ、どっちかっていうと』
「旅行は好き?」
『まあ、嫌いではないかな』
「じゃあ温泉旅行は行きたい?」
『温泉旅行?』
「うん。健一さんが福引で引き当てたんだって。姉貴と健一さんと俺と智樹さんの四人で来週の火水木を予定してるみたいなんだけどどうかな? いや、智樹さんには店があるし俺も休めるかわからないし、行きたくないなら断ってもいいから」
説明してるうちにさっきの興奮がぶり返して早口になる。そのせいか少しの間が空いて、電話越しで聞き取りづらかったのかもしれないと心配したのも束の間、行きたい、と返事が来た。
『ちょうどその日は水道管工事の予定が入ってるから店は休もうと思ってたところなんだよ。旅行に行くのはもちろん吉井君が休みを取れたらだけど……』
「っ、何としてでも休みをもぎ取ってみせます!」
勢いに任せて半ば叫ぶように意気込めば電話口からは小さな笑い声が聞こえた。
こうして翌日、俺は見事に休みをもぎ取り、夜に姉貴からかかってきた電話で俺も智樹さんも行く旨を伝えた。
それから温泉旅行に行くまでの約一週間は智樹さんの店に集まって計画を立てたり近くの観光名所を調べたりした。そして俺だけが僅かな不安を抱いたまま今日のこの日を迎えた。
健一さんが運転する車の中で窓の外の流れ行く景色を眺めながら小さく溜息を吐く。何故なら後部座席に座る俺の隣には姉貴がいて、智樹さんは斜向かいの助手席に座っているから。
おかしいな、普通は逆だと思うんだけどな。いや、さすがに二人が見てるところでイチャイチャするつもりなんてないけど、やっぱり隣は智樹さんがよかったな。
そんなことを考えているとポケットの中のスマホがぶるぶる震えたから取り出してみると、隣にいる姉貴からのメッセージを受信していた。こんな間近で何やってるんだよ、というような視線を向ければ姉貴が黙ってスマホを指さすので俺も黙ってメッセージを確認するを開く。
「この前電話した時から気になってたんだけど、あんたたちまさか付き合い始めたの?」と。画面にはその一文が表示されていたから思わず驚いて姉貴に顔を向けるとまたもや黙ってスマホを指さすので、そうです報告するの忘れてましたごめんなさい、と返信する。そのメッセージを受信して一息置いた姉貴が前に座る智樹さんを睨み付けたりするから足を軽く蹴っておいた。
後ろでひと悶着あったことなどつゆほども知らない前の二人が途中で立ち寄ったコンビニで買い物をしてる間に、メッセージなんて回りくどいことをせず「なんで付き合い始めたと思ったんだよ」と姉貴に直接聞いてみる。
「誘った私が言うのもおかしいけど、付き合ってもない人を温泉旅行に誘うような不埒な男に育てたつもりはないからね」
姉貴はそう言ってのけたけど、俺はそんな風に育てられた覚えはない。でも、そうか、姉貴のこれはエスパー顔負けの超能力なんかじゃなく俺を熟知しているからこそ使える特殊能力だと考えるといろいろ納得できる。
「まあ、付き合っていても付き合っていなくてもお節介な健一君はあんたたち二人を誘うつもりだったらしいけど」
「そうなんだ。まあ、どっちにしろ感謝しないとな」
「健一君にだけ? 私には?」
「……はいはい、感謝してますよ、ありがとーございます」
投げやりだったにもかかわらず姉貴は嬉しそうに笑っていた。そんな姉貴が何かに気付いて車を降り、助手席へ移動する。その直後に買い物を終わらせた二人が戻ってきたから、そういうことか、と姉貴の謎行動が腑に落ちた。
ここで運転を代わろうと思ってたけど姉貴の厚意を無駄にするのも忍びないから、帰りは俺ができるところまで運転しようと密かに誓いを立てた。
走り出してしばらく、隣から「吉井君、飴食べる?」と智樹さんが飴を差し出してきたから遠慮なく頂いた。それから智樹さんが少し身を乗り出して「健一君と京香さんもどうぞ」なんて言って飴を二人に渡すから、俺は口に入れたばかりの飴をごくりと飲み込んでしまった。
あれ、おかしいな。さっきまで健一さんのことは鳴海さんで姉貴のことはお姉さんだったのに。いつからだ。いつの間にこんな親しい呼び方するようになったんだ。さっきのコンビニか。そこで健一さんとの間にどんなやり取りがあったんだ。
「……俺なんてまだ吉井君なのに」
「ん? 何か言った?」
小さく呟いたセリフは走行音やら車内に流れる音楽にかき消されたのか智樹さんには届かなかったようだ。
「俺まだ智樹さんに名前で呼んでもらったことないんだけど」
だから声を少し大きくして拗ねたように言ってみれば前から噴き出す声と「え、なに、私の弟可愛すぎない?」なんて声が聞こえてきた。だけど文句を言うのは後にして、今はじっと智樹さんを見据える。すると智樹さんは照れたように「そ、そのうちに」と言って窓の外に目を向けた。
今すぐ名前で呼んでくれないのは残念だったけど、照れて俺を名前で呼ぶことができない姿は今しか見ることができないからこれはこれで嬉しい。
この調子なら自然な感じで名前を呼んでくれるその日まで何日かかろうが気長に待てると思えた。