LOST MEMORY/HONEY WEEKシリーズ

□三日目(R-18)
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目が覚めても昨日起きたときほど身体の痛みはひどくなかった。
シーツの絡むベッドの上で俊二は寝返りを打つ。

激しいだけがセックスじゃない。昨晩はそのことに気がつかされた夜だった。強すぎる快感に吞まれてわけが判らなくなる一歩手前。お互いを全身で感じながら、そして感じているという意識を保ちながらの行為は、俊二の身も心も満たしてくれた気がする。

もっとも、うねる熱に任せて本能のままに貪り貪られるのも嫌いじゃないのだけれど。

滑らかなシーツの感触を味わいつつ、目を開けた。日の光が白い天井や壁に反射して眩しく感じ、目を細める。隣はがらんとしていて、薄れた温もりがそこに眠っていた人物が離れてから大分時間が経っていることを告げていた。

ベッドサイドのデジタル時計の表示は正午に近い。

そういえば、と寝起きで緩慢な思考を巡らせうつ伏せになって枕を抱え込む。

午前中に一度、目が覚めた。

がさごそとした物音にうっすら目を開くと、シャワーを浴びたのか腰にタオルを巻いただけの秀吾がベッドの脇にしゃがみ込んで自らのスポーツバッグを漁っているのが見えた。休養に入ってから伸びたままの髪から肩に雫が垂れる。

「髪…ちゃんと拭かんと風邪引くぞ」

のろのろとした口調で注意すると、秀吾は顔を上げて笑いを忍ばせた。

「お目覚めか?」
「…」

ぼんやりと秀吾の顔を見つめた。思考がはっきりしない。目蓋が重い。

笑みを浮かべたまま秀吾が立ち上がり、ベッドの縁に浅く腰掛ける。頬を撫でる指先がくすぐったかった。

「ちょっと目が覚めて、走りに行こうかて思うてな。今日は晴れとるから海、きれいやで」

囁きに、そうか、と相槌を打った。

欠伸を漏らして薄い掛け布団の中に潜り込んだ。

睡魔が再び俊二の意識を絡め取ってくる。

「まだ眠そうやな」
「…ん」

髪が梳かれる感触。太くてごつい指が、壊れやすいガラス細工を扱っているかのようにゆっくりと優しく触れてくる。額に柔らかな温もりを感じたから、しゅうご、と回らない舌で名前を呼んだ。

「そこや…なくて」

それだけで通じた。

吐息が触れた後に、重なる唇が心地良い。

じわりと穏やかな温かさが全身を包む。

愛されとるんやろな、と素直に思ってしまうあたり相当自分はネジが緩んでいるようだ。でも、悪くない。

そのままでいることたっぷり数秒。

「おやすみ」

唇の上で囁かれたのが最後の記憶だ。

それからすぐにまた寝入ってしまったらしい。

あれは何時のことだったのだろうか。

しんと静まりかえった部屋の気配から察するに、まだ秀吾は帰ってきていないようだ。

起き上がってがりがりと髪に手を突っ込んで掻き回す。

そのうち戻ってくるだろうと思い、ひとまずシャワーを浴びることにした。

結局、俊二がバスルームから出ても秀吾は帰ってきてなかった。急にがらんとして見える部屋が落ち着かない。

走りに行く、と言っていたが少し長すぎやしないか。一応窓からビーチの方も覗いてみたが姿はないようだ。

連絡してみるかと思い立ち、電話をかけてみた。数秒の間の後、耳元のスピーカーから聞こえるコール音と同時に室内のどこかから無機質な着信音が鳴り響く。音の出所を辿っていくとリビングのテーブルの上で振動するスマートフォンを見つけた。どうやら置いて出かけたらしい。

ざわり、と胸の奥でざわつくものがある。

電話を切った。すぐに秀吾のスマホの画面も暗くなる。

『おれ、もう行くな』

過去の声が蘇る気がした。

出かけたまま帰らなかったあの日。

『秀吾が、…事故に遭ったって…』
『今までのこととか…なんも、覚えとらんみたいなんや』
『瑞垣、より呼びやすいから…そうやな、俊て呼んでもええ?』

佳代の狼狽えた声。困ったような秀吾の顔。その瞳に映らない過去の自分。

数カ月前の記憶がフラッシュバックする。

見えない手に喉の奥がひねられねじられる気がした。呼吸が浅くなる。感覚の鈍くなった手からスマホが滑り落ちた。

その時。

「俊?起きてたんか」

名前を呼ばれて我に返った。振り向くと秀吾が玄関へと続く廊下からリビングに入ってくるところで。相変わらず肩にタオルを掛けていて、しきりに汗を拭っている。

「走りに行ったら途中で迷ってな。そのせいで時間食っちまった。でもおかげで面白そうなとこ見つけたで。ここからちょっと先にチャリがレンタルできる店があってな、この辺サイクリングできるんやて…」

そこまで言いかけてから秀吾が眉をひそめた。

「俊…平気か?」

ぼうっとしていたせいで反応が遅れた。

「…ああ、いや、別になんもない」

無理矢理笑ってみせたが秀吾は黙ったままだ。こちらに歩み寄り、屈み込んだ。

「携帯、落としとるぞ」
「ちょっと手が滑っただけ…」

秀吾が立ち上がった次の瞬間、視界が黒のシャツでいっぱいになる。筋肉質な腕が身体を包み込んだ。

すまん、と呟きが耳元で聞こえた。

「…なにがや」
「要らん心配かけた。…すまん」

お見通し、ってわけか。

力を抜いて目を閉じる。腕を持ち上げてやや汗ばんだ秀吾の背後に回した。

額を肩口に押し付けた。

柔軟剤の香りに混じる汗の匂いを吸い込み言葉をこぼす。

「……怖がりになったな、おれ」

秀吾が口を開くまで間があった。

「…悪いことやない。違うか?」
「どうやろな」

頭を撫でる手つきが優しい。

秀吾、と呼んだ。

「なんや?」

なんて言えばいい?

どうでもいいときに良く回るこの舌は、肝心なときになると言葉を見つけられず惑う。心の内を晒すことを厭って押し込め続けた昔がたたっているのか。

無言のまま背中がゆっくりさすられる。

想いを語るのに必要なのは言葉だけじゃない。

それくらい分かる。

けれど。

大きく息を吐き出し、俊二は背に回した腕を下ろして胸板を押した。

「もう…ええから」

そうか、と何も訊かずに秀吾が腕を解く。

「…で、今日はどうする?その、さっき言うてたサイクリング行ってみるか?」

拾ってもらったスマホをテーブルに置いて尋ねた。

「おれはそれでもええけど、そういや俊、ここ来たときバーベキューしたいて言うてなかったか?」

ああ、と思い出した。到着してから行った備品チェックでバーベキュー用の道具が一式揃っているのを見て『やってみても悪くないな』とかなんとか感想を言った気がする。自分でもすっかり忘れていたが。

「天気予報は明日も晴れ、て言うとるし、サイクリングは明日でもええんやないか?今から出るには遅そうやし」
「…じゃ、これから材料買い出し行かんとな」
「車出すわ。来たとき色々買い込んだあのでっかいスーパーでええやろ」

その前にちょっと汗流してくる、と笑い秀吾がバスルームへと消える。

その姿を見送ってから窓の外へと視線をやった。雲がちらほら出ているから快晴、とは呼べないものの青空が広がっていた。海面がきらきらと太陽の光を反射する。

バカだ、鈍感だ、と昔から言い続けているが実際そんなことはないのは俊二が一番よく分かっていた。

ふっと時折覗くその聡さに救われることが、多い気がする。本人は気づいていないだろうけど。

風呂から上がるまでに何か適当に作っておいてやろうか、と俊二はキッチンへと向かった。
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