La Luneシリーズ

□第六幕
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『これが六年前の真実、ってやつですよ瑞垣さん。もうそろそろあんたも知るべきじゃ』

 指先が額に触れた瞬間、引き戻される記憶。全てがひっくり返り書き換えられていく。
 軍警司令部の建物内に、有事を知らせるサイレンが響き渡っている。慌ただしく職員が行き交う足音が聞こえるというのに、瑞垣は扉が半開きになった取調室の床に倒れたまま動けない。
「参考人が逃走した!吸血鬼だ!警戒レベルを四に引き上げろ!」
 飛び交う怒号にかぶさるかのように蘇る過去の声。
『逃げえ、俊!』
 切羽詰まった口調は苦悶の咆哮に変わり。
『『人間』は引っ込んどいてくださいよ、瑞垣さん』
 胸板を押した感触。
 あれは――――、

 誰だ?

 頭ががんがんと割れそうなほど痛み、ざわざわとした囁きが耳の奥で耳鳴りのように反響し続けている。ぐるぐると頭上の天井が回っているみたいな心地に襲われ吐き気までしてきた。蛍光灯の光が目に刺さる。くそ。身体が言うことを聞かない。
「瑞垣!」
 声と同時に視界に割り込んでくる眼鏡面。傍らに跪いた海音寺に肩を支えて起こされて、けれど力は入らずもたれかかるような格好になってしまう。
「おい瑞垣、平気か!何があった!吉貞は!」
 矢継ぎ早に問いかけてくる海音寺の声が遠い。

 突き飛ばされて、たたらを踏んで、バランスを崩して。見開いた視界に映ったのは。
『便利屋の仕事も、楽じゃねぇんじゃなあ』
 軽い調子のぼやきが聞こえた。肩口から散った赤は地面に落ちた瞬間、煙を上げて足元の草を腐食させていく。対峙する先に、唸り声を上げている大きな巨躯。赤茶けた毛並みが月明かりの下で輝いていた。
『まったく、なんでわざわざ満月の夜に外出るんじゃ?門脇さん』

「しゅう……ご?」
 呟きが零れた。
「なんじゃ、瑞垣。何か言うたか!おい、しっかりせえ!」
 肩を揺さぶってくる海音寺の胸板を押した。大声が頭に響いて痛い。
 どういうことだ。
 流れ込んでくる情報が膨大過ぎてついて行けない。唇を噛み締めれば血の味がした。
「……嘘を、信じ込まされとったってわけか」
「は?嘘?何がじゃ」
 海音寺は訳が分からないと言った様子だ。その腕を振り払い、上体を起こす。くそ。力の入らない足を叱咤して、海音寺を待たずに駆け出した。

 秀吾。

 心の中で名前を呼ぶ。

 おまえは、まさか――――。

 ◆◆◆

 時は遡り、吉貞を重要参考人として身柄を拘束した直後の人外部隊のフロア。日が落ちても人が減る気配はない。自分のデスクの後ろに瑞垣は立っていた。
「これが参考人のスマホ?」
 そう言いながら、瑞垣のデスクに座り手袋をした手でスマートフォンを受け取ったのは香夏だ。実習時間は終了し帰寮しているはずだったが、瑞垣たちの吉貞確保の知らせを聞きつけ飛んできたという。自分の妹ながら仕事熱心な姿に感心せずにはいられない。軍学校の制服の前ボタンが一つずつ掛け違っているのはご愛嬌だ。
「ああ、吉貞から押収したものや。電気網のショック受けとるからデータが無事かは分からんけど」
 対吸血鬼用の電気網の威力で失神した吉貞は、これまた対吸血鬼用で強度が高い上コントローラーで操作をすると電流が流れる仕組みとなっている手錠を掛け、取調室に放り込んだ。城野には目を覚まし次第知らせるよう伝え見張らせてある。
 どうやらスマホのロックを直接解除するのはパスワードの関係もあり難しかったらしい。「それならこっちで……」と呟きながら自身のノートパソコンを立ち上げ、USBケーブルでスマホとパソコンを繋げながら香夏は続けた。
「大丈夫。あれは対吸血鬼用に製作されたはずやから、電気ショックの影響があるんは吸血鬼だけ。こういう電気機器には電流が流れんようになっとるって聞いとるし。どういう原理なんかは知らんけど……、あ、見られそう」
「ほんまか」
「そんなに高度なセキュリティはかかっとらんみたい。ちょお待ってな」
 真っ黒な画面が起動したブラウザには白文字のアルファベットや数字の羅列が並んでいた。瑞垣のサイバー知識では三割も理解できるか怪しいが、香夏は軽やかなキーボード操作で画面を処理していく。
 海音寺はこの場にいない。香夏が現れてすぐに席を外してしまったのだ。香夏の表情は強張っていたが何も言わなかった。確かに吉貞に催眠をかけられたせいか顔は蒼白で調子はあまり良くないようだったが、妹との間に何かあったのだろうか。思いを巡らせる瑞垣の脳裏に過ぎった単語があった。
 『樺太作戦』。
 吉貞が口にしていたものである。
 百年ほど前の、北方の帝国との戦いを終結させるためにこの国が取った作戦だ。史上初めて国家間の戦争に吸血鬼を戦力として投入したのである。それまで人外とは暗黙の了解で世間の闇に葬られていた種族だった。それを利用するという型破りな戦法に不意を突かれた敵国は、同じように自国の吸血鬼を動員したが負ったダメージは既に大きく最終的には停戦協定を結ぶこととなった。
 当時は人外の存在も含めて秘匿されていた情報だが、今では軍人でなくとも誰もが学校で学んで知っている歴史だ。樺太作戦を皮切りに吸血鬼や人狼といった人外を、数々の戦闘で兵力に使おうと各国が動きを見せることとなった、と歴史学者の見解も一致している。
 とはいえ、大戦終結後は科学の発達に伴い兵器が進化し、ちょっとした小競り合いにも人外の力が不要となった。加えて人道的な運動も起き始める。常人離れした身体的特徴を持ってはいても外見上はほとんど人と変わらない人外たちを戦争の道具として使うのではなく、共存の道を歩めないのかという声が上がったのだ。
 これらは全て瑞垣が生まれるよりもずっと前の話であり教科書の数ページにしか過ぎない内容だが、基本的に不死の肉体を持つ吸血鬼たちにとっては自らが生きてきた過去の一部にあたる。海音寺の場合、吉貞の催眠によって記憶を呼び覚まされ、嫌なものでも思い出してしまったのかもしれなかった。
 これまで何度か人外絡みの事件解決で組んできた相棒の疲れた横顔を思い浮かべながら瑞垣がそんなことを思っているうちに、香夏が「できた」と声を上げる。
「データ、読めたんか」
「うん。まずこれ、通話履歴。最後に連絡取っとるんは……『東谷』って人みたいやね」
 連絡を取った相手の本名なのかは不明だが、手掛かりの一つになることは間違いない。傍に控えていた萩が名前をメモしたところで瑞垣の端末に通信が入る。
『瑞垣中尉、参考人の意識が戻りました』
「今向かう」
 城野の報告に短く返して端末を切った。
「このままスマートフォンのデータ解析続けてくれ。おれは取調室に居るから」
 指示を下し、踵を返す。ここからが、軍『警』としての腕の見せ所だろう。

 ◆◆◆

 四畳半ほどの狭い取調室は、机と椅子だけしかない殺風景な空間だ。暴れた被疑者などが振り回して凶器となることがないように、椅子も机も根元からの作り付けである。手枷を嵌められ俯いた格好の吉貞の向かいに瑞垣は腰をおろした。背後で城野が扉を閉め、面通しなども特にないのでマジックミラーの付いていない部屋の中はさながら密室空間だ。
 瑞垣の気配には気付いているのだろうが、吉貞は頭を垂れたまま動かない。おい、と声をかけても無反応だったため取調室に入室するときに城野から渡された小型のリモコンのスイッチを入れる。途端に、バシリと青白い火花が吉貞の手首で弾けた。手枷から電流が流れたのだ。
 うめき声と共についに吉貞が身じろぐのを見て、瑞垣はスイッチを切った。
「おまえにいくつか質問がある。知っていることを全て話せ。そうしたら減刑処置をしてやってもええ」
 吉貞が掠れた笑い声を立てる。上げた顔には、逮捕時に受けた電撃のせいで赤い線状の火傷痕がいくつも走り首筋にまで続いていた。ゆっくりではあるが治癒が進んでいるようで、端の方から徐々に皮膚が再生され傷が消えていく。
「何が可笑しい」
「いーえ、こういう密室で『いじわる』されとるとなんかコーフンしちゃうなぁって思うて」
 緋色の瞳が輝き細められる。明らかに色の気配を含んだ揶揄には取り合わず、瑞垣はプリントアウトした監視カメラの画像数枚を机の上に提示した。
「これは昨晩市内で暴走した吸血鬼や」
 まず示した写真に映るのは、まだ少年の面影をも感じさせる若い男。ただしただの人間ではなく鋭く牙は剥き出され双眸も血の色に染まっている。
 それから、と興味なさげに資料を見つめる吉貞に続けた。
「こいつの逃亡幇助に使われとる車を運転しとる男二人。後部座席にもう一人居るのも見えるやろ。誰や?車はおまえの名義になっとった。知り合いなんや――――」
「おれは便利屋じゃ。人の依頼を受けて仕事をする。今回の場合は後部座席に座っとるデカ男の依頼で、そこの吸血鬼もどきくんを子分たちに攫わせたんじゃ」
 ぺらぺらと何でも無いことのように喋り出した吉貞に一瞬面食らった。だが、取り調べの時には携帯が義務づけられる胸ポケットのレコーダーに、この会話の内容は全て録音されている。後に重要な手掛かりになることは間違いないだろう。
「運転しとるのが、子分なのか」
「そういうことっすね。片方は東谷啓太、もう片方は沢口文人。ああ、でも東谷の方は傭兵として『出荷』済みなんでこの国の法じゃ裁けんし、捕まえるんなら沢口の方かもしれんな。ま、捕まえられたらの話じゃけど」
 東谷。香夏がスマートフォンのデータから割り出した最後の通話履歴の相手の名前と一致する。身内の情報を売って少しでも減刑を請おうというつもりなのか。
 背もたれにふんぞり返り、にやにやと楽しげな吉貞の様子はこちらを馬鹿にしているとしか思えなくて、苛立ちを覚えずにはいられない。瑞垣は顔をしかめて尋ねた。
「それで、吸血鬼の方は」
「おおっと、そっちはノーノー。依頼人との守秘義務がありますんで、お教えできません」
「事件起こしといて、何が『守秘義務』や。そんな言い訳が通用すると思うなよ」
「ええー?そいつはどうでしょね、瑞垣さん」
 手錠に繋がれたままの両手を机の上で組んで、吉貞が身を乗り出した。瑞垣は舌を打つ。初めからこいつはこんなような態度だった。まるで瑞垣のことを昔から知っているとでも言うように。気安く名前を呼ばれるのが気にくわなかった。
「おまえ、今自分がどんな立場が分かっとんのか」
「もちのろんです。軍警んとこに捕まっとって、瑞垣さんとお話しとって、そんでこれから瑞垣さんはおれのことを逃がす」
 一体その余裕はどこから来るのか。鼻で笑いかけた瑞垣だったが、吉貞の口から零れる人名にびくりと肩が揺れた。
「――――門脇秀吾。あの人んこと、知りたいんでしょ」
 返事ができなかった。
 六年前、人食いの人狼に襲われて殺された幼馴染み。捕らえる前にもその名を出されて隙を突かれたのだ。同じ過ちは、犯さない。咳払いをして聞き流そうとする。
「さあな、誰のことかさっぱりおれには、」
「嘘」
 嘘吐いちゃ駄目って、習わんかった?
 吉貞の声音が低くなった。
「瑞垣さん、あんたはずっと六年前の真相が頭の隅から離れんかったんじゃろ。おれなら、教えてやれる」
 頭上の蛍光灯が、切れかかっているのか寸の間に点滅をする。組み合わさった吉貞の指がゆっくりと離れ、再び重なった。
「録音装置に記録されんのはちょおやばいからな、胸ポケットのそれ一旦切ってくれたら、話してあげてもええで?」
「……そんな取引、」
 声が意志に反して上ずり、言い淀む。そんな瑞垣の動揺を吉貞が見逃すわけがない。じわりじわりと言葉巧みに思考を絡め取って、正常な判断能力を瑞垣から奪っていく。
「聞きたいでしょ、門脇さんのこと」
 ほんの少し、聞くだけ。おれはいつでもこいつの手錠に電流を流して動けなくできるリモコンを持っとるんや。大丈夫。何かあってもすぐにこれを押せば問題はない。
 ポケットへと伸びた手が、録音端末を取り出して電源を切った。小型レコーダーを机の上に置いた指は震えている。吉貞が笑みを深めた。
「よくできました」
「……あの事件の何を、知っとる」
「全部、かな」
 手枷の嵌まった腕ごと伸びてきた指先が、反応をする間もなく瑞垣の額に触れた。指の置かれたところから痺れにも似た痛みが突き抜けて、頭を貫く。目蓋の裏で閃くのは過去の残像。吉貞の声がやけに脳内に響いて足元がぐらぐらと揺れているかのような錯覚に襲われる。
「これが六年前の真実、ってやつですよ瑞垣さん。もうそろそろあんたも知るべきじゃ」
 吐き気のする目眩が収まったと思って目を開けた瑞垣はその場で凍り付いた。ここは。
 丘の上、大木の下。辺りは分厚い雲に覆われた闇で、眼下には窓に灯りの点った建物が見える。見覚えがあるのは軍学校の建物と、司令部の庁舎だからだ。
 そして、斜面をのろのろと登ってくる軍学校の制服を着た人物は――――。
「秀吾」

 目の前に、六年前のあの夜の光景が広がっていた。
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