門瑞の部屋
□THE OTHER BATTERY
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THE OTHER BATTERY
ようやく手にしたスリーアウトと共に、瑞垣はマウンドから駆け足で自チームのダッグアウトへと向かう。帽子を深く被り直したくなるのを、こらえた。お疲れ、とかけられる声に頷きながら、俯かぬよう、前を見つめるので精一杯だった。一番奥のベンチに座り、二本目のペットボトルを一気に煽ると甘ったるいはずのスポーツ飲料が苦みを帯びた冷たさとなって腹にじんと染み渡る。
制球の乱れと味方のエラーが重なり、ここまで守ってきた一点差を覆されたところだ。かなりの球数を投げて肩と肘が張って脈打っているのが分かっていたから、残りの半分のイニングを完投できるのかちらと不安を覚えずにはいられない。
「俊」
声が降ってきて視線を上げた。生まれた頃からの付き合いで見慣れた顔がキャッチャーマスクの下から現れる。同時に差し出されるものを黙って受け取ると、相手の瞳が曇るのがありありと分かった。
アイシング用の氷袋だった。
よっぽど疲弊していない限り、瑞垣はこれを受け取らない。そのことを長年の相棒はーー門脇は知っているからだろう。とはいえ、そんなに簡単に表情に出されてしまっては困る。舌を打って、靴の爪先を蹴ってやった。
「いてっ」
「まだ半分残っとるから予防や、予防。深刻な顔晒してどうする」
それより、と試合が再開したグラウンドを顎で示した。
「うまくいけばおまえ、打順回ってくるやろが。準備しとけよ」
「うん」
子供みたいな首肯が返ってくる。隣に腰を下ろしプロテクターを外していく気配を横に、肩へとアイスバッグを当てれば熱を持った筋肉と関節が落ち着いていく。冷たさが心地よいと感じたのも束の間で、次の瞬間には汗が引き始めて背筋が寒くなった。傍に放ってあったはずのウィンドブレーカーを手で探ったところで、ふわりと頭に掛けられる軽さ。つるつるとした生地越しに隣から聞こえる声がある。
「下に落ちとった」
「……あっそ」
この間合いが、居たたまれない。鈍いくせに妙に聡いところが、嫌になる。
野球においてもそうだった。
学校の試験では一体どうやって勉強すればそんなに赤点すれすれになるのかという点数ばかりなのに、いざミットを構えれば絶妙なところへ配球し牽制し、バットを振れば好きなところへボールを持っていく。今回の試合だって、既に幾度も盗塁を刺している。
いやだね、天才は。
そんなことを思いながら空にかかるアーチを見送った数は数え切れなかった。
ウィンドブレーカーに袖を通して、肘へとアイシングの場所を移す。この試合で目にしたアーチは一つ。それを守るために去年の全国で悲鳴を上げた肩を酷使して必死に投げて、結局打たれて馬鹿みたいだ。吸い込んだ空気は湿気が混じって重たい。灰色が広がる空から、ぱらぱらと雫が落ちるまでさほど時間はかからないかもしれない。
「すまんな」
不意にこぼされた呟きに、淀んだ思考から引き戻された。
「おれがもっと打てたら、俊を楽にさせられるのに」
肘に氷を乗せていなかったら、思い切り頭を叩いていたと思う。
「あほか」
吐き捨てた。
「そんなややこしい理由くっつけとったら、打てるもんも打てねぇぞ」
「ややこしくないし」
バットのグリップを握りしめる手に力がこもる。
「それに、餞別でスタンドに放り込むて約束した。まだ一個しか見せとらん」
頬の肉ごと奥歯を噛み締める。鉄の味がした。
「……あほか」
沈黙が流れる。
グラウンドを見つめていた。まだ細い肉体から繰り出される、威力の衰えることのない白球の軌跡が18.44メートルを縦横無尽に駆け抜ける。横手の打線も沈黙したままだ。
「おれまで回ってこんな」
阿呆を抜かす口元を、今度こそ思い切り引っ張ってやった。
「いでで」
「士気が下がること言うより応援せえ。ほんまにこの脳みそは何も詰まっとらんな」
ダッグアウトから出て、仲間に声援を送るチームメイトたちの背中が見える。ベンチに引っ込んだままの自分たちのバッテリーを誰も振り返らなかった。野郎ばかりのくせに、そろいも揃ってよく気の回ることだ。
「……秀吾」
マウンドを均すピッチャーから視線を離せぬまま、口が動く。
「ん?」
「あの球を、打つのと捕るのと、おまえはどっちがしたいと思う?」
口にした瞬間、くだらぬ質問をしたと後悔が襲う。聞き流してくれ、と言おうとしたが間に合わなかった。
「どっちもどうでもええと、今は思うけどな」
門脇が言った。
そんなことはないはずだ。新田東にとてつもないピッチャーがいると瑞垣に告げたときの目のぎらつきを、前回の試合で食い入るように投げ込まれるボールを注視していたときの横顔を、誰よりも近くで見た。嘘偽りのない表情を、この目で目撃したのだ。
「今、この試合でしたいと思うんは、」
ーーーー。
鋭い打球音に言葉が掻き消される。でも、唇の動きで分かってしまった。固まる瑞垣の耳に、チームメイトの歓声が届く。二番の池辺が一塁を駆け抜けた。
「おれまで来るかな」
何事もなかったかのように独りごち立ち上がった門脇が肩を回す。
「おれが打席に行ってもサボらずちゃんと冷やしとけよ、俊」
「いちいちうるさい女房様で」
「俊の球って正直やからな、そん時の調子が手に取るようによう分かる。本人と違うてなかなか可愛げあるよな」
「知るか」
仏頂面で睨み付ければ、緊張した顔付きながら口元に笑顔を浮かべて門脇は瑞垣に背を向ける。
「じゃ、行ってくる」
仲間に背中を叩かれながら送り出される背番号の2を目で追いかけ瑞垣も立ち上がった。
この試合が、人生最後の試合だ。
同じグラウンドに立ってあいつの打球を見上げ、マウンドからあいつに投げるのも。
自分以外の人間から球を受ける姿を見たくなかったから、こちらからにっこり笑って手を離してやるつもりだったのにあんなことを言ってくるなんて反則すぎる。
「いやだね、天才は」
口に出して呟いて、瑞垣は応援の言葉を叫ぶチームメイトの列へと加わった。
エイプリルフールだと思ったらこんなもしものお話が降ってきてしまったので形にせずにはいられませんでした。
キャッチャーマスク被った秀吾も1番背負ったミズも書いてて堪らなかった(^q^)一時間クオリティなのでツッコミどころありそうですがご容赦くださいませ土下座