豪巧の部屋
□キスは鎮痛剤☆
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永倉豪は座椅子の上で唸っていた。
後期から始まった解剖実習。臓器の形や機能はもちろん、血管の走行や筋肉の付き方等、覚えることは山ほどある。
それに加えて実習と平行して神経科学だの発生学だのの授業が進められていて、覚えても覚えてもきりがない。これが医学生というものだ、と言われれば仕方のないことなのだけど。
明日には今日行った実習の内容が頭に入っているかの口頭試験が行われる。正直、やばい。
豪はタブレット端末にダウンロードした解剖学書の電子書籍版に向かい、鼻の付け根を押さえた。ずっと画面を見つめていたせいか、目の奥がずきずきと痛い。
「豪」
声と共に目の前に置かれるマグカップ。表面から湯気が立っていて、どこかほっとする香りが鼻をくすぐった。ミルクティーだ。
「さんきゅ、巧」
ん、と巧は軽く頷き豪の向かいにあぐらを掻いて座った。自分もノートパソコンを開いてキーボードを打ち込み始める。
「レポートか?」
「うん。今週末までなんだ」
豪と巧は現在大学2年生。
新田東を出て大学進学をきっかけに2人は『ルームシェア』という名の同棲を始めた。恋人と過ごせる時間が増え、幸せな日々だ。毎日の勉強量を除けば。
こめかみをさすって強張った筋肉を解していると、「頭痛か?」と訊かれる。
「んー、目からくる頭痛、てやつじゃろな」
「薬は?」
「……目薬はさしとる」
バファリンでも飲むか、あったっけな、とぼんやり思考を巡らせたところで、ふと前期の生化学の内容を思い出した。
講義で聞いたわけではない。なにがきっかけか忘れたが、仲間内で少し話題に上ったものだ。
オピオルフィンという唾液に含まれる物質。モルヒネの6倍の鎮痛作用があるという。つまりはディープキスしたら鎮痛効果に繋がるんじゃないか、というふざけたネタ程度の話だったのに。
向かいでカタカタとキーボードを操作する巧へと視線をやった。
試して、みるか。
「なぁ巧」
「うん?」
「キスすると鎮痛効果あるらしいって知っとるか?」
案の定、はぁ?、と眉をひそめられた。
「初耳だけど」
「おれで実験してみんか?」
「……そんな余裕、あるわけ?明日テストなんだろ」
「おれのテストの心配するってことは、キスするのはOKってことじゃな?」
にっこり笑って言ってみれば、視線がかちりと合う。うっすらと頬が染まるのが見えた。
「豪、おまえな」
「たーくーみ、ええじゃろ、ちょっとだけ」
な?、と両手を合わせてお願いする。巧は呆れたような嘆息を漏らして立ち上がった。
「……ちょっとだけだぞ」
子供にするみたいな念押しをされて、温もりが触れた。思い返してみると、久しぶりの感触だった。最近いかに勉強が忙しかったかを思い知らされる。
何度か角度を変えて重ねて、我慢ができなくなって舌先で閉じた表面をなぞれば巧の身体が震えた。
「ご……」
「もうちょっと」
薄く開いた隙間に舌を滑りこませて、舌で舌を辿ると目の前で眉根が寄せられた。息を詰めるくぐもった響きが堪らなくて、うなじに手を回して引き寄せる。熱い吐息を口の中に零して更に深くまで。
がくりと力が抜けて、膝の上に崩れ落ちてくる重みが愛おしい。腰を掴んで引き上げ、居心地が良いように調節してやる。
思う存分味わってから、最後に唇を一舐めして顔を離した。
巧の頬はすっかり上気していて瞳も潤んでいる。唇の端から伝うどちらのものとも判らない唾液の糸が、照明の下で煌めいて見え、ごくりと唾を飲み込んだ。
「どこが、『ちょっと』だよ」
「つい、な。こう、むらむらっと」
豪の言葉に巧がまばたきをして、それから艶っぽく笑んだ。口元を手の甲で拭ったかと思えば身を屈めてくる。耳元に息がかかった。
「今ので終わりか?」
明らかに誘うような口ぶり。全身の血が一気に熱を持ったような感覚に陥った。豪は巧の腰を掴んでいた手を徐々に下ろして、部屋着のジャージの上から尻の割れ目に指先を滑らせた。
「明日1限からあるんじゃろ?」
「豪次第で『臨時休講』にしてやってもいいけど」
にやりとした笑みに惹き込まれる。見惚れているうちに、悪戯な手がするりとズボンの中に入ってきた。
「豪ちゃんのやる気スイッチ」
「たっ、くみ!煽んのもええ加減にせえよ」
「キス誘ってきたのはどっちだよ」
「あー、もう!テスト勉強なのに!」
お互い笑いながら、座椅子の上から転がり落ちる。床の上に身体を押し付け覆いかぶさって、さっきよりも激しく貪るようなキスを食らわせてやった。
背中に腕が回されて、これはもう、止まれそうにない。
首筋に吸いつき吐息の気配が甘く耳を打つのを感じながら、ぼんやりとそんなことを思った。
そして深夜、巧がぐっすりと眠る横で豪はタブレット片手にぶつぶつと血管の名前を唱える羽目になるのだけれど、不思議と身体は軽く頭痛はしなかった。