豪巧の部屋

□Closer R-18
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 無事国家試験を通り医師免許を取れたと喜んだのも束の間、比較的規模の大きな病院で多忙な研修医生活を豪は送っていた。それは年末年始も例外ではなく。

 ちょうど呼吸器外科のローテーションの時期だった。厳正なるくじ引きにより誰が勤務するかを決めたのだが、大晦日に当直を引き当ててしまうという運の無さ。年越しは病院で迎えるのか。先輩の女性指導医に「お互い頑張りましょうか」と笑って言われてしまった以上、文句なんか言えなかったけれど。

 一緒に過ごしたかったなぁ、と声にならない恨み節は心の中でぐるぐると回る。誰と、と訊かれればもちろん相手は恋人の原田巧である。大学卒業後にプロ入りしたのが3年前。ちょうど豪も5、6年生の実習が始まって2人が会える機会はぐんと少なくなった。年末年始くらいゆっくり過ごしたいが…仕事なのだから仕方がない。一緒に勤務する先の指導医など新婚1年目だと聞いている。泣き言は言うまい。年越しは無理でも正月は2人で過ごそう、ということになっているし。
 
 言い聞かせながら、自分のデスクに向かう大晦日の深夜。容態の急変した患者もいないし、平和な時間が流れていた。次の巡回の時間まで勉強会の復習でもしておくか、と自分のノートに手を伸ばしたところでズボンのポケットでスマホが短く振動した。

 時計は年越しまであと10分弱といった時刻を示していて、ディスプレイは巧からのLINEの着信を知らせていた。

『今ちょっと出られるか』
 
 続いてもう1件のメッセージ。

『病院の向かいの駐車場にいるんだけど』
 
 え。

 思考が音を立ててフリーズした気がした。
 ちょうどその時、部屋の扉が開いて先輩医師が入ってくる。思わず派手に椅子の音を鳴らして豪は立ち上がった。

「もうすぐ年越しね〜、永倉先生。巡回、年越してから行こうか」

 そこまで言ってから豪の表情を見て言葉を切る。

「…どうかした?」

 問われ、慌てる。

「いやっ、あのっ…!え、と…」

 先輩医師がふっと笑みを浮かべた。

「恋人?」

 どんぴしゃで言い当てられて固まる。口がぽかんと開いた。

「な、なんで…」
「ん〜、医者の勘かな?あとは個人的な経験から」
「え、個人的な経験、て、どういう…」
「永倉くん」
「はいっ?」

 言葉を遮られて名前を呼ばれ、裏返った返事が飛び出す。

「30分、病院の外で頭冷やしてきなさい」
「で、ですが…」
「上司命令。それともその腑抜けた顔で患者さんのところ回るつもり?」

 そうにこりと笑みを向けられては二の句も継げない。

「…分かりました。あの、何か急変とかありましたら…」
「すぐに連絡するから大丈夫。さ、いってらっしゃい」

 先輩医師は肩越しに手を振り、部屋の奥の給湯器へと向かう。豪はその背中に頭を下げてから部屋を出た。LINEを開いて手短にメッセージを打ち込む。

『待ってろ』



 駐車場に向かってみると、確かに巧の車が止まっていた。敷地の奥の方の、切れかかった電灯の下。

 ドアのところまで辿り着く直前で助手席の扉が中から開いた。中は暖房が効いていて暖かい。白衣の上に何も着込まず飛び出してしまったせいで、冬の風に吹かれ冷えきっていた身体には丁度良かった。

「巧」
「久しぶり」

 ボンっ、と音を立ててドアを閉めると外部の音がシャットアウトされて、ちょっとした密室空間が出来上がる。

「元気にしとったか?」
「じゃなきゃここ来てない」
「はは、だよな」

 つられたように巧も笑う。

 ちかちかと点滅する電灯の光を受けて白く横顔が照らし出されている。薄闇に浮かび上がる輪郭が綺麗だ。

「ダメもとで連絡したんだけど、出てこれるなんて意外だった」
「先輩から許可が下りてな。で…どうした?」

 巧がこちらを見る。細められた瞳と目が合った。

「それ、訊く?」

 瞬きを1度。やっと分かった。

 一緒に年越し、したかったから。

 追い打ちのように呟かれて顔が熱くなる。

「あ、うん…なんか…すまん…」

 別にいいけど、と肩をすくめて巧がダッシュボードのデジタル時計を見やった。

「新年まであと2分きった」
「なんか、今年もあっという間じゃったなぁ」
「豪、じじくさい。そういうの」
「巧はそうは思わんのか?」
「おれは…長く感じた、かな」
「そうなんか」
「豪に会わないと、長いよ」

 またもや不意打ち。

 自分の唾にむせそうになった。

 隣を見やるとしてやったりという表情の巧がいた。

「ほんまに、おまえってやつは…」

 手を伸ばして頭を掴み引き寄せる。肩にもたれかけさせ、髪に鼻先を埋めた。巧の匂い。落ち着いた。

 最後に直接会ったのはいつだっただろうか。

 さらさらとした髪も、形の良い後頭部も、視線の強さも、ふとしたときに溢す笑みも、肌に感じる温もりも、すべて記憶に焼きついて離れることはないけれど、本物にはやっぱり敵いやしない。

 豪、と呼ばれて視線を下に向けると唇に軽い感触があった。味わう間もなくすぐに離れる。

「キス納め…だな」

 そう言って顎をしゃくる巧に促されて時計を見た。

 23:59:58。
 23:59:59。
 0:00:00。

「「明けましておめでとう」」

 きれいに声が揃って、空間に笑いが響いた。なんか可笑しい。

 笑んだ頬にキスを落とす。

「これはキス始めじゃな」
「場所が違うと思うけど」

 すました返答が面白くない。

 こいつ、と思って顎を掴んで上を向かせた。唇を重ねる。

 今度はしっかりと堪能するつもりで、うなじを支えて固定した。

 久しぶりの柔らかい、温かな感触。

 角度を変えて数度合わせる。それだけでは物足りなく感じてきたところで巧が舌を伸ばして唇を舐めてきた。それだけだけれど積極的な態度に胸の中がふわりと軽くなるような心地になる。遠慮なく差し出された舌を吸い込んで自分の舌で縁をなぞる。

 甘美な感覚に頭の先からつま先まで痺れがはしった。身を乗り出して深く深くと侵入していく。

 巧もそれに応えるかのように豪の胸元を掴んで自分の方へと引き寄せた。腕がするりと脇の下から背中へと回される。んっ、と漏れ聞こえる声に豪の脳の片隅で警報が鳴り始めた。

 むくむくと湧き上がってくるものがある。

 渇望。飢え。

 そんな名前を付ければ相応しいだろうか。

 巧の肩に手を置いて力を込める。顔を離すと上気し息を弾ませた巧と目が合った。

 うわぁ、目の毒。

「たっ…くみ、うん、名残惜しいんじゃが、まあこれはあけおめのキスということで今日はこの辺に…うっ、ん!」

 伸びた巧の指が、豪のものを正確に捉えて握りこんだ。不意の強い刺激に一瞬目の前に俗に言うお星様が散ったかと思った。

「豪、勃ってる」
「し…かたないじゃろ!今みたいなキスしとって…しかも久しぶりにおまえと…」

 抗議の言葉はぼそぼそと尻すぼみになって途切れる。顔が熱い。思わず俯いた。

 それ、と滑らかな声音に顔を上げる。

「おまえだけだと思ってんのかよ」

 口の端についていた唾液の泡を拭って告げられる言葉に息を詰めた。

「巧…」
「その気がないなら別にいいけど」
「いやっ、ないというわけじゃねぇけどっ!じゃけどここ車だし…ゴムねえしローションとかほぐすもんねぇし…巧の身体に負担じゃろ」

 言うと、巧がごそごそとジーンズのポケットから取り出すものがある。ダッシュボードの上にぽんと放られたそれに生唾を飲み込んだ。

「それ…」

 豪が言い終える前に、胸元に額が預けられた。

「…ほぐすのは…自分でしてきたから」顔を豪の服に押し付けているせいで声がくぐもる。「ずっと会ってないから……溜まってんだよ、おれだって」

 TPOを考えろ、とか、常識をどこに置いてきたんだ、という頭の中でわんわん鳴っている理性の声を封殺した。ふぅ、と息を吐き出して白衣を脱ぐ。今しがた放り出されたゴムのパッケージを取り上げる。

「今さらやだ、って言われてもおれ、もう無理じゃからな」

 欲に負けて声が低く掠れた。

 くつくつと巧は肩を揺らした。

「お手柔らかに願うよ、永倉先生」
「白衣脱いだから先生でもなんでもねえよ、ただの永倉豪じゃ」

 軽く巧の頭を叩く。

「後ろに移動しようや。外から見にくくなるし、シート倒せばそこそこ広くなるじゃろ」

 巧はこくんと頷いた。
 



 ズボンのジッパーを下ろして自分の屹立を露わにする。ゴムをつけてから入り口へとあてがった。解しておいた、という巧の言葉通り豪のものは抵抗なく受け入れられた。中へ沈めていくに従って巧の身体が震えて押し殺した吐息がこぼれる。

 太股を抱え込んで、緩んでいく目つきを見下ろす。ラテックスの膜越しに感じる吸いつくような熱が豪のものに絡みついてくるのを感じた。しばらくご無沙汰だった快感に思考が麻痺した。根元まで入ったのを確認してから軽く身体を揺するとこらえきれない喘ぎ声が上がる。

 腰を引き浅いところの膨らみを引っ掛けた。巧の脚がびくんと跳ね声が高くなる。なにしろ狭い車内だから、動きはぎこちないものになりがちだ。気持ち良いと思ってくれていることを祈る。

「ご…ぅ…」

 呼ばれて身を屈めた。自然と奥の方へ入る体勢に頭がくらくらする。腰を掴んでこのままがつがつと乱して貪ってやりたいという激情をなんとか押さえ込む。

「なん、じゃ?…巧」

 巧はぎゅっと両目をつぶり顔を横に向けている。

「…ス…」
「は?」
「…キスして、口、塞いで。声、出ちゃ…から、んぅ…」

 言葉を言いかけていて半開きだった唇を唇で塞ぐ。巧がくぐもった呻きを漏らした。下を突くとそちらに意識が行ってしまうのか、舌の動きが緩慢になる。舌の側面をつつき舐めてそのことを指摘してやると思い出したように舌を絡めしゃぶりついてくる必死さが愛おしい。後頭部に手が伸び髪に長い指が埋められる。握りしめられて髪が何本か抜けた。痛い。けれど嫌ではなかった。

 シートに腕を押さえつけ思う存分口内を荒らす。唾液も吐息も熱くて燃えているのかと一瞬疑いそうになった。激しさを増すほど中がうねって豪を締め上げてくる。力が抜けてずるずると下がってきた巧の身体を抱え直して尚も揺さぶった。

 息継ぎの際に漏れる喘ぎと水音が車内に響く。時折聞こえる鼻にかかった声は暗い空間を情欲で彩る。

 脚が巻きつき腰のあたりで交差された。

 服の裾から手を差し入れて身体に手を這わせる。身をよじって快感を逃がそうとする姿がいじらしい。それまで触れていなかった巧のものに触れるとしとどに濡れていた。握り根元から先端へと手を滑らすと巧が腰を揺らす。その拍子に唇を噛まれて口の中に広がるのは血の味か。

「ごっ、め…」
「ええから」

 唇が離れた隙に掠れた言葉が押し出されたが、それすらも飲み込むように豪は濡れた唇を重ねた。

 余計なことは考えなくていい。

 この熱さを共有できるのなら。

 奥の良いところを抉るように腰を突き上げる。腕が背中に回って抱き締められる。

 もっと引き寄せてほしい。

 もっと近く。もっとそばで。

 早い心臓の鼓動が感じられるくらい。溶け合わさって境目がなくなるくらい。

 声が聞きたくなって唇を離した。くっきりと浮き出た首筋に口を押し付け強く吸う。

 欲の滲んだ声は耳に甘い。

 巧の奥で、痙攣を感じた。シャツが強く握りしめられる。脚が、肉壁が、ひくついて豪を締め付ける。耳元で聞こえる辛そうな、それでいて欲の混じる艶のある悲鳴。豪も限界だった。

 たくみ。

 名前を呼んでその身体を搔き抱く。
 きつく抱き締めすぎて苦しいかも、とか気遣う余裕なんかなくて。

 ただただ目の前の熱に、溺れた。




 どのくらいそのままでいただろうか。

 豪、とがさついた声で呼ばれて身体を起こす。優しく唇を合わせてから髪を撫でた。

「なんじゃ?」
「…そろそろ重いし…あとゴムの処理。それと時間いいのか」

 超絶現実的なご意見だ。

 だが、ムードが台無し、とごねているひまはない。

 我に返り慌てて自分を巧の中から引き抜く。少し乱暴だったかもしれない。刺激してしまったらしく、巧が息を詰めた。座席の上で身を縮める。

「っ!…豪…」
「巧、すまん!」

 出したものが漏れないように口を縛る。ほら、とビニール袋を差し出してくるあたり用意が良いというかなんというか。

「なんか…慌ただしくてすまんな」

 互いに身なりを整えながら一応謝罪をしておく。

「いいよ、別に。…おれから誘ったんだし」
「うん、またしてくれな」

 言うとぽかりと頭を殴られた。暗いからはっきりとは分からないけれど顔が赤く見える。照れているのだろう。可愛い。

 緩んだ口元のまま白衣を羽織る。ペンやらメモ帳やらでいっぱいのポケットががちゃりと音を立てた。

 身を乗り出して鼻先に口づける。

「気いつけて帰れよ」
「うん…あ、豪」
「うん?」

 ドアに向かいかけていた身体をねじって振り返った。

「おまえんち、行ってるからな」

 告げられた言葉ににやけが抑えられなかった。

 巧が待つ家に帰る正月。

 なんと贅沢なことだろうか。

「昼前には帰れると思う。不測のことが起きなければ」
「ん。待ってる」

 唇が触れ合うかどうかの本当に軽いキス。どん、とその後で押された。

「行ってこいよ」
「はいはい、お仕事してきます」

 ドアを開けて外に出る。

 風は相変わらず冷たかったけれど、身体は不思議と温かい。 

 豪は前へと足を踏み出した。

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