豪巧の部屋
□白い聖夜 R-18
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「クリスマスプレゼント、そろそろ買いに行くか?」
高校からの帰り道、巧はふと尋ねた。
巧が豪と付き合い始めてからもうすぐ2年になる。だが、サプライズ系の贈り物はどちらもしたことがなかった。プレゼントは一緒に選びに行き、その場で贈り主がお会計。
夢がないと言えばそうかもしれないが、好き嫌いのはっきりしている巧にとっては最も都合が良い方法だった。
お互い2人での買い物を楽しんでいることもあり、不満が出たことは一度もない。
「あー、そうか、もうそんな時期かぁ…」
雪の積もった道に、2人分の足音が響く。
「ついでに言うと、センター試験まで1ヶ月切ったとこだよな」
「ヒガシが休み時間、騒いどったな」
くすっと笑みをこぼして豪が言う。それから巧の方を見下ろした。
「巧は何が欲しい?」
マフラーに埋めた口元から息を吐き出した。白いもやが、ふわりと立ち上った。
去年は色違いの手袋をお揃いで買った。ちょうど今自分たちが身につけているものだ。
「…なんだろ。わかんない。…豪は?」
見上げると視線がぱちりと合う。
「おれは…」
そこまで言いかけて豪が口ごもった。心なしか頬に赤味がさす。巧から目を逸らした。
「な…何でもねぇ、やっぱり」
「なんだよ、言えよ」
「い…言わん!」
「気になるだろ、ほら、早く」
「いやじゃ」
顔を覗き込もうとしても背けられて、巧は豪の耳を掴んで思い切り引っ張った。
「いででででで、ばっ、ばか、離せ、巧!」
「だったら早く言えって」
「わ…わかった、じゃから…」
手を離すと、掴まれた方の耳をさすりながら豪が身を起こす。ちら、と巧に視線をやり、再び逸らした。
「なんだよ」
豪の口元がもぞりと動く。
「…じゃ」
声が小さく、聞き取れなかった。
「は?聞こえない」
正直に言っただけなのに、睨まれた。
息を大きく吸い込んで豪が言い直す。
「お前じゃ、巧!おれはお前が欲しいて…思うた」
尻すぼみになった台詞を言い終えた豪が赤い顔のままそっぽを向く。
さすがにその意味が分からないほど鈍感・うぶな巧ではなかった。
◆◆◆
12月24日。
町内会の催しの準備で、巧の家には両親も祖父も家にいなかった。弟の青波はクラスメート宅で受験勉強兼クリスマスパーティーをやるらしい。
青波の高校受験と違って自分は大学受験だ。しかも推薦を使わず一般で受けることにしたため、クリスマスパーティーなんかやっている場合じゃない。
正直、この年末年始にラストスパートをかけなければやばい。
なのに。
目の前に広げた問題集は先程から遅々として進んでいない。理由は簡単だ。
元凶は、普段はしまってある折りたたみ式のちゃぶ台を挟んで向かいに座る人間。
医学部受験対策用の問題集に黙々と取り組んでいたそいつが顔を上げる。
「なんじゃ、巧」
『お前が欲しいて思うた』
声が重なる。身体の奥がざわつく。
豪との関係はキスがせいぜい。それ以上に踏み込んだことはなかった。興味がないと言えば嘘になる。でも、ためらいがあった。そして今、はっきりと豪の口から言われた言葉のせいで、ためらうことをためらっている自分がいる。
黙ったままでいても、豪には分かったらしい。軽くため息をつくと、シャープペンをノートの上に転がした。
「…おれ、帰った方がええか」
急に押しかけてきた豪をなぜ部屋に通してしまったのだろうか。
雪道の中やって来たところを無下に帰してしまうのが忍びなかったのか、それとも…。
「すまん。卒業してから、って言うてたのにな」
待つよ、と呟き豪は問題集を閉じた。シャープペンを筆箱にしまうところで声を上げる。
「豪」
「帰る。おベンキョー、頑張れよ」
「豪、待てったら」
「バイ」
「豪!」
豪が開けかけた扉を平手で抑えこんだ。「そんなあっさり引くなんて、お前らしくないんじゃないの」
言うと、睨まれた。
「煽んのもええ加減にせえよ、巧。こっちは本気で言うたんじゃ」
息をついてから言葉が続けられる。視線が窓の外に向けられた。
「…やっぱ来たのが間違いじゃった。お前の顔見たら落ち着くかと思うたけど、逆効果じゃな。帰る」
「間違いなんかじゃない」
言うが早いか、巧は豪の胸倉を掴んで引き下げた。半ば強引にその唇に口づける。
舌で唇をなぞり顔を離し、額を広い胸板に押し付けた。
「クリスマスプレゼント、今年まだ買ってないだろ」
低く囁くと豪の身体が震えた。
「巧…?」
「夜まで…誰も帰ってこないから、うち……だから…」
豪は無言だった。
反応が欲しくて顔を上げた途端、顎をぐいと掴まれ唇を押し当てられる。無理やりのように侵入してきた舌が口をこじ開け、すぐに深いキスへと変わった。腰を抱き寄せられ半歩前に出た。
こんなに激しいのは初めてだ。息継ぎが上手くできずくらくらする。
「…ご…ぉ…ふっ…ん…」
豪の上腕を握りしめて、ふらつきそうになる体を必死に支えた。
やがて高まりが徐々に落ち着き、舌を緩く絡ませながら豪が身を引く。唇の離し際に、巧の口の端から漏れ出た唾液を舌で拭い取った。
額同士をくっつけて、囁くように言う。
「一旦家に戻って…ゴム取ってこんとな」
「…準備…してたのかよ」
「付き合うとるやつがおったら、普通なんじゃねぇか?」
下唇を豪の唇で挟まれ、軽く引っ張られた。
つまりは豪は巧と『そういうこと』を考えていたということで。
我慢させてたんだろうな。
伸び上がって豪の額に口づける。
「シャワー浴びてくる」
後ろに下がると額に手を当て赤くなった豪の顔が目に入った。思わず笑いがこみ上げる。
「なに照れてんだ」
「お…お前が…慣れんことするからじゃ」
意外と不意打ちだったようだ。
そのことに気がついて今度は本当に笑ってしまった。
「わ、笑うな、巧!」
「ははは、じゃ、後で」
部屋を出る。窓の外では、いつの間にか雪が止んでいた。
◆◆◆
自分は一人で大丈夫だと思っていた。他人の力なんか必要ない。自分だけを信じていた。
豪と出会うまでは。
でも、必要以上にもたれてしまうのが怖くて、距離を置こうとしたときもあった。
一線を越えられずにいたのも、ひょっとしたらそれが理由だったのかもしれない。
自分以外の何かに、誰かに求めてしまうのが怖かったのだろうか。
体に渦巻く熱を逃がせない。ねっとりとした熱が身体を、思考を支配する。
この高まりはなんだ。
痛みよりも昂ぶりの方が勝って、何も考えられない。
「…ふ…はっ……んぅ…」
口の中に金臭さが広がる。唇を噛み締めすぎたらしい。
「…痛む…か?大丈夫…か…?」
豪の声が上から降ってきた。動きが止まる。
うっすらと目を開けた。
目の前の豪の表情は苦しげだ。
巧の身体への気遣いから、たぶん思うように動けていないのだろう。
だが、止まった動きは逆にもどかしいだけで。
ゆるゆると首を横に振って、どうにか意思表示をする。
少しの間の後、再びやってくる圧迫感。うねる感覚を抑えようと、首を反らした。こらえきれない喘ぎが漏れる。
喉元に唇が押し付けられるが、その柔らかい感触が欲しいのはそこではなかった。
「ご…うっ…!」
身をよじって名を呼ぶ。上体を起こした豪と目が合った。
それだけで通じた。
右手の指を絡められ、シーツへと押さえつけられる。覆い被さる体を片腕で支えながら、豪がゆっくりと唇を重ねてくる。
そのうなじに手を回して引き寄せた。
深く舌を絡めれば絡めるほど強くなる律動に、目の前が白くなった。
吐息も声も熱も融け合って。
どこまでが自分でどこからが豪なのか分からなくなる。
熱に溺れるようにして、巧は意識を手放した。
◆◆◆
目が覚めたとき、既に窓の外は暗かった。隣に豪の姿はない。だが、荷物は置いてあるところを見るに、まだ帰ってはいないらしい。
身体を起こすと、妙なだるさが全身に残っていた。
ベッド脇には、脱ぎ散らかしたはずの自分の衣服が丁寧に畳まれている。豪が整えておいてくれたのだろう。
服に手を伸ばしたところで部屋の扉が開いた。
「起きたんか、巧」
豪だった。もちろん、服を身につけていた。
「あ、うん…」
豪の顔を見たせいで、意識を飛ばす前の記憶がフラッシュバックした。
部屋に響いていた自分と豪の喘ぎ声。肌に直接感じる熱とその感触まで蘇ってしまい、顔が一気に熱くなるのが自分でも分かった。
うつむいた巧を不審に思ったのか、豪が近づいてくる気配がした。
「たく…」
「ばか、こっち来んな!」
赤くなった顔を背けて枕を投げつけた。うわっ、と豪が怯んでいる間にシャツの袖に手を通す。
「な、なに怒っとるんじゃ」
「怒ってねぇよ!」
「なら怒鳴るな、下に聞こえるぞ」
下?、と聞き返した。
「誰か帰ってきてるのか?」
「もう8時じゃ。みんなおるで。お前は勉強疲れで寝てることにしといたから、話、合わせておけよ」
枕を投げ返され、キャッチする。
豪の顔を見たら、またさっきのことを思い出してしまいそうで、見られなかったが。
「…体、大丈夫か?しんどくないか?」
部屋を出ぎわに訊かれた。
「平気だよ」
なんで、こいつはこんなに平然としてられんだよ…。
自分だけ普通に会話するのがやっとなのが、なんだか悔しい。
「巧、やっぱり怒っとるのか」
「怒ってねぇって」
「じゃ、……嫌じゃったんか」
トーンの落ちた声に、振り返らずにはいられなかった。階段を下りる手前で足を止める。
豪は唇をきゅっと引き結んで、巧のことを真っ直ぐに見つめていた。揺れる瞳を見て、しまったな、と気がついた。誤解を招くような態度をとってしまった。
「…嫌なわけ、ないだろう」
「でも…」
「悔しくてさ」
巧は呟くと廊下の壁にもたれた。
やっぱり直接顔を見られなくて、視線を逸らしてしまう。息を吸い込んで続けた。
「なんか、お前だけ余裕あって…。おれ、…そんな普通に振る舞えないよ」
豪は静かだった。
階下から話し声と青波の笑い声が聞こえてくる。
怒らせたかな、と思い豪の方を向いた瞬間、抱き締められた。くすくすと豪が笑いを堪えているのが分かる。
「…なに、笑ってんだ」
「いやぁ、可愛いなと思うてな」
「ふっ…ざけんな、真面目に言ったのに…突き落とすぞ」
「ははは、そりゃまずいな」
身体に回された腕に力がこもる。
「…おれだって、余裕なんかねぇよ」
耳元で囁かれる。
「嘘つけ」
「ほんとじゃ。…おれ、今のこのときをすげぇ大切にしたいって思う。だから、巧と普通に話したり野球もしたいし…」
「セックスもしたいわけですか、豪ちゃん」
「……さらっとそういうこと言うな、…恥ずかしくなる」
でも、そうじゃ。
豪が呟く。
巧は腕を豪の背に回した。
なんか、やっぱり敵わない。
不意打ちを食らわせたくなった。
「なぁ、豪」
「なんじゃ?」
言う方も相当恥ずかしい。でも、効果はあるはずだ。
額を豪の肩に預けたまま、巧は続けた。
「マウンドのおれと、ベッドのおれ、どっちが好き?」
反応はない。
顔を上げた。
固まった表情の豪と目が合った。
その頬がみるみるうちに赤く染まるのが可笑しくて、声を上げて笑った。豪の腕の中からするりと抜け出し、階段を下り始める。
「たっ、巧!…まったく、お前ってやつは…」
「早く、下りて来いよ。メシ、食っていくんだろ?」
「クリスマスじゃけど、おれ、邪魔じゃないか?」
「邪魔なんかじゃないさ。豪が嫌なら無理強いはしないけど。…青波も喜ぶぜ。豪ちゃんと一緒、って」
「…お前は、どうなんじゃ」
上から降ってくる声に、足を止めた。
肩越しに振り返る。
「クリスマスプレゼントのシメに丁度良いんじゃないかな、って思うよ」
そう言い、階段を下りきった。
食卓の方から、青波がひょこりと顔を覗かせた。
「なあなあ、兄ちゃん!豪ちゃん、夕飯食べていくん?、ってお母さんが」
「だってよ、豪」
階段の方を見上げて問うと、豪は笑って言った。
「ごちそうになっていこうかな」
わあい、と台所へ引っ込む青波。
「食いすぎるなよ」
「はは、随分偉そうじゃな」
「いい加減慣れろ」
軽口を叩くと、髪をくしゃくしゃに掻き撫でられる。
固い大きな手の感触は、心地良かった。