その他の部屋

□陰陽師パロ@〜Cまとめ
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第3話


 巧が陰陽寮の広間に足を踏み入れると、広い空間は既に数十人近くの者たちで埋め尽くされていた。ここまで多くの関係者が一堂に会するのは巧も見たことがない。

 巧をはじめ主に退魔の仕事に携わる陰陽師たちや、天文道を司り星を読むことを専門にする者、暦作成の担当たち、さらにはそれぞれの分野の見習い生たちまで。午後に全体協議を行うとの命を受け、集まったのだ。

 皆が思い思いに集まり腰を落ち着ける中、上座は空席となっている。寮を率いる陰陽頭(おんようのかみ)の戸村と、その補佐役の海音寺と瑞垣の席だが、まだ到着していないようだ。
 巧は人の輪を避け、少し離れた柱の影にもたれて腰を下ろした。そこへ慌ただしく歩み寄ってくる気配に気付くが、知らぬ振りをする。

「なあなあなあ原田。やっぱり、大結界絡みなんじゃろ? な? そうに決まっとるな。そうなったら、一世一代の大仕事だよな。この吉貞くんがついに活躍して輝くときが来たってわけじゃ」

 ひそひそと、けれどかしましい調子で話しかけてきたのは、陰陽師見習いの吉貞伸弘だった。見習い生の印である白い襷が、大袈裟な手振りに合わせてひらひらと揺れる。
 やたらと絡んできて煩いことこの上ないが、陰陽師としての腕はかなり高い。何度か一緒に退魔の任務をこなしたときも、動きやすかった覚えがある。

 返事をするのも面倒だった。巧が黙っているのを余所に、吉貞は1人でぺらぺらと話し続ける。

「あ、原田、もしかして、びびっとるんか。そうじゃな、さすがの原田もこんな状況じゃびびるよな。仕方ねぇ、おれ様がちゃんと責任持って面倒見てやるから、ありがたく思えむぐぐぐぐ」
「吉、うるせぇぞ。これから大事な協議ってときに」
「ヒガシの言う通りじゃ。大体、原田がおまえの世話になるような下手打つわけねえじゃろが」

 新たに入ってきた2つの声が、巧の顔を覗き込むようにして喋っていた吉貞を引きはがした。吉貞と同じく見習い生の、東谷と沢口だ。東谷に口元を押さえられて、吉貞はじたばたともがいている。
 呆れたように沢口がやれやれと首を振ってから巧へと向き直った。周囲を気にしつつ、潜めた声で口を開く。

「な、原田。やっぱり……、さっき吉が言うてたみたいに、大結界がまずいことになっとるんか? 妖魔と大っきな戦いになるんじゃろか……」

 巧は沢口へと視線を向けた。
 吉貞や東谷に比べて不安そうな表情なのは、仕方のないことだろう。沢口は同じ陰陽師見習いと言っても、退魔の術よりも天文道を専門に学んでいる身だ。星読みの能力に長けてはいるが、妖魔への対処の仕方に慣れていないのである。

「沢口が前線に出ることはないだろ。危険な目には遭わないはず――」

 その時だった。
 急に外が騒がしくなったかと思うと、悲鳴が空間を切り裂いた。同時にぞわりとした寒気が背筋を這い上がって巧は身を起こす。

「誰か!! 誰か居らぬか!」
「陰陽師を呼べ!」

 叫び声に混じり、人のものとは思えぬ咆哮が響いてくる。
 吉貞が東谷の手を振り解き、跳ね起きた。

「妖魔じゃ!」

 辺りの空気が一気に張り詰める。
 真っ先に立ち上がったのは、陰陽博士の磯部だった。

「小坂部、唐木、原田は一緒に来い。展西、緑川、池辺は残りの者とここに待機し――」

 てきぱきとした指示を受け、巧たちは呪符や式、刀など退魔のための武器を手に外へと駆け出す。退魔を専門に学ぶ見習い生たちも、磯部に引率されて一緒に向かうようだ。

「誰か!」

 切羽詰まった声がする方向へと走り、陰陽寮の建物を曲がった先。
 大内裏の敷地と外を隔てる門の辺りは、騒ぎを見に集まった野次馬で溢れていた。人垣の向こうに叫びながら逃げ惑う人の影と、門の外で牛車の箱が横倒しになってひしゃげているのが見える。形と装飾から判断するに、相当身分の高い貴族が所有するものだろう。牛の姿はなく逃げ出したのかと思いきや、悲壮な声が頭上から聞こえて巧は目を見張った。

 牛が、空で宙づりになっている。その胴体を鷲掴みにしていたのは、毒々しい赤紫色の翼を広げた巨大な怪鳥だった。
 鈎爪ががっちりと食い込んだところから血を滴らせ、身をよじる牛が再び鳴く。その声すら掻き消すような怪鳥の咆哮は耳をつんざき地を揺らした。羽ばたく度に吹き付ける突風は黒い邪気に穢れている。

「牛が宙に」
「祟りか、物怪か」

 噂好きの貴族たちには、妖魔が視認できていない。呑気にざわめいているのを、磯部が厳しい口調で一喝した。

「退がれ! 邪気に触れるぞ!」

 普段であれば許されない無礼な物言いだったが、状況が状況だけに貴族たちも反駁する余裕はなかったらしい。あわてふためきつつ散り散りになると、姿をくらませる。
 後には、怪鳥に最初に狙われた貴族の一行だけが残り、舎人などの付き人たちはすっかり腰を抜かした様子で地面にへたりこんでいた。

 現場の状況に、巧は眉をひそめる。

 どうも、おかしい。

 これだけ人間がいるというのに、誰も怪鳥に襲われた形跡はなかった。家畜だけを狙うなど、妖魔の動きにしては妙だ。おまけにこんな昼間に現れるなど、妖魔の生態としては考えにくい。

 引っ掛かるものがあり動きを止める巧に、どんと後ろから誰かがぶつかってきて押しのけてくる。
 吉貞がふざけているのかと思って振り向くが、違った。薄い桜色の狩衣に、小柄で華奢な体躯。流れる黒髪は後ろでまとめられ、すっきりと整った横顔を緊張に張り詰めさせていた。さっと巧の傍らをすり抜け、白い襷を揺らした見習い生は叫ぶ。

「父上! 大兄上!」

 男にしては、高く澄んだ声――それは、少女のものだった。

「日月五星、二十八宿、天神地祇!」

 詠唱と共に投げつけられた呪符が、真っ直ぐに怪鳥へと飛ぶ。怪鳥に命中すると白光が放たれ、呪符からまばゆい光の鎖が飛び出して怪鳥をがんじがらめにした。

 翼まで絡め捕られ、怪鳥がもがきながら地上へと落ちてくる。少女はその横を、そして座り込んでいる舎人たちを通り過ぎて倒れた牛車へと駆け寄った。

「父う――」

 少女の声は、怪鳥の絶叫に掻き消された。
 霊力の鎖に縛られたところから腐臭のする煙をじゅうじゅうと燻らせながら、怪鳥が繰り返し雄叫びを上げる。そのたびに溢れ出るどす黒い邪気は、耐性のある陰陽師の者たちですら顔をしかめるほどだ。禍々しい陰気にあてられ、舎人たちが昏倒して倒れ込む。

 この邪気が広まるとまずい。

 退魔の第一手とは、被害拡大の防止、すなわち『現場を封じる』ことである。
 はじめに障壁を築いて邪気がこれ以上広まるのを防がなければならないのに、この彼女は焦りからかそれを忘れてしまったようだった。

 見習い生の突然の行動に、虚を突かれていた磯部が我に返る。

「ナウマクサンマンダ、センダマカロシャダソワタヤウン、タラタカン、マン!」

 詠唱しながらその場に片膝をつき、刀印を構えた指の腹を地面へと叩き付けた。たちまち閃光が指先から螺旋状に弾けて辺りを包み込んだかと思うと、邪気の拡散を阻む障壁が展開される。

「あーらま、慌てとる香夏ちゃんなんてめっずらしい。なかなか可愛らしくていらっしゃる。な?」

 軽い口調の吉貞が、巧の横に並んだ。片目を瞑ってみせるが、すぐに真顔になって目を眇めた。

「ナウマクサンマンダ、バザラダン、アモガセンダ、マカロシャダ、ソワタウン。タラヤマウン、タラタカン、マン!」

 素早く手印が組み合わせられると同時に霊力が迸り、凝縮した。駆け抜けた奔流が怪鳥を貫き、途端に咆哮がぴたりと止む。一瞬の静寂の後、ぶくぶくと膨れ上がった怪鳥の巨躯は弾け飛び、邪気の残滓となって黒々と霧散した。

「始末できた……か?」

 静けさの中、東谷が呟いたその時だった。

 高く細く、謳うような調べがどこからか流れてきて空間を満たし始める。
 穏やかで静かな調子は、笛の音によるものだ。

 徐々に近づいてくる音色に振り返ると、建物の角から現れた漆黒の人影が目に入った。伏し目がちに笛を構える手には包帯を巻いていて、笛の旋律に吐息を吹き込むたびに霊力が湧き上がり黒髪をそよがせる。下衣には赤い指貫が覗き、衣の色に合わせたかのような黒い横笛から赤い房飾りが一筋垂れて揺れていた。

 ひゅっと吉貞が小さく口笛を吹いた。

「瑞垣先輩のご登場か」

 ゆっくりと歩く背後からは陰陽頭の戸村に加え、陰陽助を務める海音寺の姿も見える。2人とも眉根を寄せた渋い顔つきで瑞垣へ視線を向けていた。

 音律に込められた霊力が広がっていくにつれ、辺りに漂っていた残穢が浄化されて邪気が薄まっていく。
 舎人たちは少しずつ目を覚まし始めたようで、唸り声と共に身じろぐ者も出て来た。

「瑞丞相……若君……」

 呻く声に、その場にいた陰陽師たちはざわめいた。
 丞相、つまりは大臣職で、瑞(ずい)の名で呼ばれているのは1人しかいない。思い当たると同時に、先ほど見習い生の少女――香夏が慌てて怪鳥に向かっていったことも、そういえばそうだったと腑に落ちた。

 牛車に乗っていた貴族は現左大臣とその長男坊で、香夏と瑞垣にとっては実の父と兄にあたる存在だ。

 香夏が倒れた牛車に屈み込み、中から予想通り2人の人影が引っ張り出されるのが見えた。
 身に纏っている黒の束帯は乱れ、若い男――おそらく長男の一臣だろう――の方は頭を打ったらしく、こめかみから血を流しているが、幸い他に大きな怪我はなさそうだった。

 邪気祓いの曲を奏で終えた瑞垣は、笛を口元から離すと顔を上げた。
 父上、兄上、と呼びかけて軽く頭を下げる。

「御無事で何よりです」

 一臣がまだ警戒した様子で辺りを見渡しつつ口を開いた。

「これは、どういうことだ」
「どうもなにも、今御覧になった通りです」

 芝居がかった動作で周囲を指し示し、瑞垣は淡々と続けた。

「都の大結界は脆弱になり、大内裏の内まで物怪の侵入を許すほど。今ここで張り直しを行わなければ、更なる惨事を招くことになるのは必至です。父上と兄上には、ぜひこの件について御一考した後に奏上をお願いしたく――」

 瑞垣が告げる中、戸村を進み出て何か話しているのが聞こえたが、巧の意識はそちらから既に離れていた。

 真昼に現れた上、人を襲わない奇妙な妖魔の振る舞い。
 適時に到着した瑞垣たち陰陽寮上層の者たち。
 瑞垣の手に巻かれた包帯。

 ――――そして瑞垣は、魂魄や悪鬼の召喚術と操術に長けた陰陽師である。

 今し方起きた事象が組み合わさり、導き出される結論は1つだ。

「……そういうことか」

 呟く巧に、吉貞や東谷が怪訝そうな眼差しを向けてきたのは感じていた。けれど、ここで口にする必要もないだろう。首を振り、きびすを返すと巧はその場を後にした。

「戻るぞ。協議が待ってる」
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