その他の部屋

□陰陽師パロ@〜Cまとめ
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第2話


 築地塀に囲まれた広い庭園は、敷き詰められた白砂の照り返しが眩しい。美しく整った植え込みがあちらこちらに見られるだけでなく、空の青を映しこむ池には朱色の唐橋がかけられ、風情のある空間を作り出していた。

 貴族の中でも一部の上流階級のみに許された豪勢な屋敷に上がり込んでいた海音寺一希は、そっと息を吐き出した。
 庭園を囲むようにして建てられた寝殿造の建物はどれも風格と威厳に満ち溢れ、己が暮らすものとは規模が違い過ぎる。正直に言えば居心地が悪い。落ち着かなさに尻がむずむずしてくるほどだったが、ぐっと堪えて海音寺は目の前の相手へと話を向けた。

「瑞垣、今日はおまえに話があってな……」
「ああっ、くそ、おまえが来たせいで魚が逃げたやないか。ったく、いきなり物忌みの人間のとこ押しかけやがって、非常識な客やな海音寺」

 瑞垣と呼ばれた青年の名は、瑞垣俊二といった。西の対から池の上へと伸びた釣殿の高欄にもたれかかって舌を打つ。黒より少し色素の薄い髪は本人の性格を現したかのように癖が強く、後ろで括った紐からあちこちに飛び出し風に揺れていた。
 黒い狩衣の下からは鮮やかな紅の指貫(さしぬき)が覗いているが、裾を膝下までまくり上げ裸足をぶらぶらとさせている様は少し、どころか、かなりだらしがない。おまけにすぐそばには、酒が入っているのであろう瓶子(へいじ)が並んでいる始末だ。

 海音寺は唇を尖らせて言い返す。

「どこに昼から酒飲んで釣りで遊んどる物忌み貴族が居るんじゃ。嘘ついて陰陽寮の仕事もさぼって、仕事引っ被った城野がかわいそうとは思わんか」
「うーん、残念なことに、あまり」

 べえっ、と突き出される舌に腹立たしさよりも呆れの方が勝った。海音寺は再び嘆息する。

 物忌みを口実に朝廷での仕事を休むなど、ただの一貴族の若造であれば許されない振る舞いだが、この瑞垣は生憎『ただの』貴族ではなかった。
 父は左大臣、兄の一臣は二十代の若さで中納言から近々大納言に抜擢されるのではとの噂もある由緒正しい家系の次男坊。さらには母方の親戚である阿藤も、先代の陰陽頭(おんようのかみ)まで務めた実力者である。

 そして瑞垣自身も陰陽師として、陰陽助(おんようのすけ)である海音寺を補佐する陰陽権助(おんようのごんのすけ)の役職に就いていた。それだけでなく、ある特殊な異才から、その名を都中に轟かせている男で――――。

「俊」

 海音寺と瑞垣以外に誰も居なかった空間に、不意に響く第三者の声があった。瑞垣が座しているところに落ちた影が泡立ち蠢いたかと思うと、空気が蜃気楼のように揺らぎ形を織り成していく。
 数秒も経たないうちに顕現したのは、夜の闇をそのまま映しこんだような深い漆黒の衣を纏った1人の男。目深に下ろした頭巾を後ろへと流せば、精悍な顔立ちが現れた。右肩にまとめて流した黒髪は、妖しい鈍色を放つ紅玉で纏められている。
 頭を垂れた男は、瑞垣の傍に跪き口を開いた。

「都の結界の補強、完了したで」
「秀吾にしては、えらく時間かかったやないか」
「うん、綻びが強いとこもあってな、つなぎ合わせるのにちょお手こずった」

 目の前でぽんぽんと交わされるやり取りに、海音寺はぴんとくるものがある。

「待て、都の結界って……」
「そ。『大結界』のことやな」

 一希ちゃんのそういう察しのいいとこ好きよ、と軽い口調で言うと、瑞垣は瓶子を呷って酒を飲んだ。

「どうせ、今日おまえが来たんもその件やろ。式に伝言させられるような話でもねぇからな」

 こいつも大概、察しがいい。そのくせ、はじめは気付かないふりをするところが癪に障るけれど。
 頷く海音寺へと、男が視線を向ける。

「お、海音寺か。すまんな、俊と話しとるとこ邪魔して」
「久しぶりじゃな、門脇」
「せっかく来たんや。茶入れてくるから、待っとれ」

 にっと人懐っこそうな笑みを浮かべ、門脇は立ち上がった。漆黒の衣を翻して渡殿を歩いていく後ろ姿を見やり、海音寺は「あのな、瑞垣」と声をひそめた。

「なんや」
「仮にもおまえの式とはいえ、冥府の鬼神に茶出しさせんのはどうかと思うぞ」

 齢六つにして冥府に仕える鬼神を召喚し、己の式として降伏(ごうぶく)せしめた陰陽師の奇才――――瑞垣俊二。そんな異色の背景を持つ彼を知らぬ都人は、おそらく存在しないだろう。
 もちろん同世代にも優秀な陰陽師は多くいるし、少し年下では新人陰陽師の原田巧が、底無しの霊力と鮮やかな退魔の腕で急速に名を挙げている。けれど、鬼を配下にするなど型破りな発想を行動に移し、成功できる術師は後にも先にもきっと現れまい。

 海音寺の言葉に、瑞垣は肩をすくめて瓶子をぶらぶらと揺らすだけだった。

「別におれが命じたわけやないし。あいつが好きでやっとるなら、それでええやろ。……それより、」

 『大結界』の件や。

 すいと細められる瞳に酒気の色は感じられず、低めた調子で瑞垣は謡うように続ける。

「都をこの地に定めたとき、先人たちが妖魔の手から民を守護するためにかけた古の結界……そろそろ、限界みたいやな」

 海音寺は目を伏せた。

「今朝、夜の警邏当番だった原田からも式で連絡を受けたんじゃ。今までなら大結界で防げてたような低級の邪気が忍び込んどったって。最近、疫病や祟りも増えとるし、経年で破魔の効力が落ちたんじゃろう」
「秀吾には、応急処置で弱くなった箇所を補強する陣を敷かせたところや。けど、それも保ってあと数月やろな」

 危惧していたことをさらりと肯定され、海音寺は背筋を伸ばした。

 ――――それはつまり。

「瑞垣」

 瓶子を片手に庭園を見つめる横顔に呼びかける。

「おまえから御父君と御兄君に、掛け合ってもらえんか」

 ゆるゆると瑞垣は振り返り、黙ったまま海音寺を見つめた。海音寺の意図など、はじめからすっかり見抜いているだろうに、海音寺がきちんと口にするのを待っているのだ。なかなかに嫌な性格をしている。
 海音寺は軽く息を吸い込んでから口を開いた。

「大結界を張り直すなら、今しかねぇ。一度崩れてしもうたら、陣の基礎まで崩壊しておれらの手には負えんくなるからな。……けど、張り直すとなると一度今の結界を完全に解除する必要があるから、その間、都は無防備な状態になる。隙をついて妖魔も襲ってくるじゃろう。そんな危険なこと、事なかれ主義の貴族たちは反対するに決まっとる……だから、だからな、瑞垣、」
「父上や兄貴から貴族たちに根回しするよう、おれが進言しろってか?」

 海音寺の言葉を継いで、瑞垣は小首を傾げた。唇の端で笑み、片眉を跳ね上げる。

 これは、断られる流れか。

 海音寺の脳裏に一瞬よぎった杞憂も束の間で、「ええで」と拍子抜けするほどあっさりとした返答があった。

「え……ええんか」
「貸し1つな。たっぷり利子付けて返してもらいましょ」
「……わかった」

 にやつく瑞垣に、海音寺は顔をしかめる。この先、自分はどんな難題を吹っ掛けられることやら。けれど、背に腹は変えられない。
 大結界の張り替えを決行しなければ、都の安寧が危ぶまれる。そのためには、貴族たちの説得が不可欠なのだ。瑞垣の協力でだいぶ風向きは変えられるだろう。

 飲むか、と無造作に差し出された瓶子を海音寺は受け取る。軽く口に含むだけで、辛さが口内と喉を焼くようだった。
 思わず噎せてしまうと、けらけらと軽い笑い声が弾けた。

「お子ちゃま味覚やなぁ、海音寺は」
「うるせぇぞ、瑞垣」

 押し付けるようにして瓶子を返して、海音寺は続けた。

「午後に陰陽寮の方で召集かけたから、それにはおまえも来い。この件について、正式に陰陽寮全体で協議する」
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