その他の部屋
□陰陽師パロ@〜Cまとめ
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第4話
「――以上、解散。大結界再建についての日取りや役割分担などの詳細は、追って連絡する」
海音寺が締めるのを合図に、静寂に包まれていた陰陽寮の広間へざわめきが戻ってくる。
不安そうに顔を見合わせる者、退魔の腕を振るえそうなことに喜色を示す者、今後の段取りについての思案に移る者、反応は皆様々だ。
海音寺は大きく息を吐き出して、ちらりと横を見やった。海音寺が現状を説明している間、退屈そうに頬杖をついていた瑞垣は相変わらず気怠げな様子だ。片膝を立てて横笛をくるくると指の間で回していたが、海音寺の視線に気づいたらしくこちらを見てくる。
「ご機嫌斜めみたいやな、海音寺」
口の端でにやりと笑う顔から目をそらした。
「……別に」
「おまえやぞ、父上と兄上に根回ししろ言うたのは」
「身内を危険にさらすような芝居打てとは言うとらん」
言い返す海音寺に、瑞垣が肩をすくめる。
先ほど、瑞垣の父と兄が怪鳥に『襲われた』のは偶然ではなかった。ましてや大結界の老朽化が理由でもない。
瑞垣が召喚した妖魔を操ったのだ。
大結界の再建計画を許可してもらうため、貴族たちに妖魔の危険性を肌身で理解してもらう。そんな突拍子もない瑞垣の案を許可したのは陰陽頭の戸村で、海音寺も従うほかなかった。妖魔の被害を受けた瑞垣父子は、今頃戸村から祓いと安寧の祈祷を施されていることだろう。
「あれくらい派手なことせんと、説得力に欠けるやろが」
喉の奥で笑って、簡単にそんなことをのたまうこの男が、海音寺は時たま分からなくなる。
海音寺にも姉や父母がいるが、彼らを騙して罠にかけるような恐ろしい真似をしようとは思わないしできるとも思わない。瑞垣の考えは、海音寺の思考を超えていた。口は悪いし不真面目な一面もあるけれど根は良いやつ、という瑞垣への理解が、こういうときに揺らぐ。
「あ、おい、原田姫」
黙り込む海音寺を余所に、瑞垣は声を上げた。
呼び止めた相手が振り返る。ちょうど東谷や沢口たちと広間を退出しようとしていたところで、不機嫌そうに眉根を寄せていた。
「その姫っていうの、やめてもらえますか」
「姫みたいな顔してよう言うわ。それより、あの栗坊主がどこ行ったか知っとるか」
「吉貞ですか?」
東谷と沢口に先に行けと身振りで示す原田は怪訝そうだ。
瑞垣の問いは海音寺にも意外だった。
吉貞と瑞垣は、弁が立つ者同士、顔を合わせれば派手な舌戦を繰り広げている印象しかない。わざわざ誰かを呼び止めてまで、行方を訊くほど親しい間柄だっただろうか。
「妹さんの後追いかけて、さっき出て行ったと思いますけど……」
答えながら、原田は瑞垣の手元――左手に巻かれた包帯へと目を落とす。
手の甲側は、問題ない。けれど、手の平の布地には赤黒く染みが広がっているのを、海音寺は知っていた。
先ほどの怪鳥を召喚し、契約するために必要な血を捧げた時に付けた傷である。
「……手、どうぞお大事に」
鋭い眼差しを向け、言い置いた原田は衣を翻して広間を出て行った。
彼の言い方から判断するに、恐らく先ほどの茶番の真相について察しているのだろう。
そして、そのことに気付いていながら「お気遣いありがとさん」とにっこり微笑み手を振る瑞垣も、相当なくせ者だ。
なぜ自分の周りにはこういう人間が多いのか。ため息をつきたくなった海音寺の横で、瑞垣が立ち上がる。
「そんじゃ、行きましょか」
「行くって……吉貞のとこか? 何か用でもあるんか?」
「大結界の詳細について調べるのに、ちょっとな。香夏の後追っかけたなら、どうせ書庫やろ」
さっさと歩き始めた瑞垣を、海音寺は慌てて追いかけた。
「大結界? 吉貞が何か知っとるとも思えんけど……」
「当たり前や、云百年前の結界やぞ。ああ、あと、おまえにもやってもらいたいことがあるからな。勝手に帰んなよ。おれはちょお倉から取って来るもんがあるから、おまえ先に吉貞捕まえとけ。ええな」
ますます訳が分からない。
大結界は古の結界だ。過去の文献を漁っても、誰が、どのようにして構築したのかなどの記述は少なく、子細は謎に包まれている。これから再建するにあたり、結界を保つために敷かれた陣の解析を急がなければならないと思っていたところだった。
吉貞や自分に何の関係があるのだろう。
海音寺は嘆息し、仕方なく書庫へと足を向けた。
言い散らかした瑞垣の背中はとっくに遠ざかり、ここで細かいことを説明する気はないらしい。瑞垣は海音寺の『補佐役』のはずだが、いつも自分が振り回されてばかりのような気がするのは気のせいか。
「――なぁなぁなぁなぁ香夏ちゃん、」
「邪魔せんといてくださいってば。うちは縛魔符について調べたいんです」
「勉強熱心なのもええけど、人生楽しまんと損じゃぞ? ……あ、そうじゃ!」
書庫から声が聞こえてきて、海音寺は戸口で足を止めた。
中には原田と瑞垣の予想通り、吉貞と香夏が一緒に居た。
書棚に歩み寄ろうとした香夏の前に吉貞が割って入る。棚と棚の間の狭い通路に挟まれて、今にも鼻先がくっつきそうだった。香夏が眉をひそめて身を引くのを余所に、人懐っこい笑みを浮かべて吉貞は続けた。
「そうそう、今日はいいもん持ってきたんじゃ、ほれ!」
素早く呪符を宙に放り上げ、ぱちんと鳴らされる指。たちまち呪符が煌めき、色とりどりに細かく爆ぜたかと思うと、火花が形を変えて生き生きと動き出す――――兎だ。小さな兎が何匹も、ぴょんぴょんと軽やかに空を蹴って香夏の周りをくるくると跳び回っていた。
「救援呼ぶときに打ち上げる信号符をな、ちょお改良したんじゃ。なかなかかわいいじゃろ?」
跳ねるたびにきらきらと軌跡を残す兎たちを、香夏の目が追いかける。はじめは吉貞を睨みつけていた香夏だったが、徐々に頬が緩むのが見えて海音寺は咳払いをすると書庫へと足を踏み入れた。
「吉貞」
びくりとした香夏が後ろの書棚に背をぶつけてしまい、衝撃で和綴じにされた書が落ちてくる。
吉貞はさっと手を伸ばして書を受け止め、海音寺へと向き直った。
「女の子驚かしちゃだめじゃないですかぁ、海音寺さん……って、むちゃくちゃ顔が怖いっす! どうしよ、おれ、鞭打ちの刑かもしれん。香夏ちゃん助けて」
わざとらしく悲鳴を上げて香夏の後ろへ隠れる吉貞に、ますます海音寺の眉間の皺は深くなる。
「早よ本を元に戻せ、吉貞。ったく、信号符に変なもんくっつけとる暇があったら真面目に修練せんか」
「してますしてます。今日だってちゃんと妖魔やっつけました、るんるん、ノブ子強いもん」
「あれだけ邪気残しといて、何が『やっつけた』じゃ。攻撃と同時に浄化ができるようにならん限り、一人前にはなれんぞ」
海音寺の言葉を受け、肩を落としたのは香夏だった。
「ごめんなさい。今日は現場の邪気も封じんと、先輩方無視して突っ走ってしもうて……」
「えっ? いや、おれは香夏ちゃんのことを言うてたわけじゃなくてな、」
「海音寺さんが女の子泣かせたあ、いじめじゃいじめじゃ。お兄様の瑞垣さんに言い付けたろ〜」
「うちは泣いとりません!」
「吉貞、いい加減にせんと碧電で縛り上げるぞ――」
書庫内に声が溢れ、一気に騒がしくなったその時だった。
「誰が誰いじめて泣かせたって?」
海音寺の背後から新たに現れた声があり、3人は一斉に口を閉じ振り返る。入り口には、日干しにした榊の束を抱えて瑞垣が立っていた。
青々と葉を茂らせた榊なら祈祷や儀式の際に使うのを見たことがあるが、こんな枯れ草状態にしたものを見るのは初めてだ。使用用途が分からない。
呆れた様子で海音寺たちを見回し、瑞垣の視線は最後に吉貞へと向かう。
「身体貸せや、栗坊主」
放たれた予想外の言葉に、書庫内は完全な沈黙に包まれた。
―――――
「招魂術? あんな危険な術やる気か、瑞垣」
「そ。大結界について知りたいなら、作った本人に直接話聞くのが早いやろ」
瑞垣はそう言って、自宅の敷地の裏手に作られた小屋へと海音寺たちを案内する。
地面に直接木材を建てて板の屋根を乗せただけの、質素な造りだ。簾をめくって入った室内は薄暗く、ひんやりとした空気は湿ってかび臭い。ところどころ隙間の空いた壁の間から差し込む逢魔ヶ時の日差しが、宙を舞う埃を照らしていた。古びた文机が隅に置かれている他に家具はなく、剥き出しの地面には書物や呪符の類が散らばっている。
「つまり、むかーしむかしの大昔に死んだ大結界の作り手さんの霊魂を呼び出して、おれに降ろそうってことっすか? おれそんなことするの? ものすごく遠慮したい気分。なんでおれなん? そういう危ない割に地味なお仕事は東谷とか原田あたりに任せとけばええと思うけどなぁ、あ、瑞垣先輩これなんですか?」
「あほ、おれの研究道具やぞ、勝手に触るな」
壁から釣り下げられていたのは蛇の干物か。興味津々で伸ばされた吉貞の指を、瑞垣がぴしゃりと叩き落とした。
ここは陰陽術に関する瑞垣の研究部屋だ。
海音寺は前に一度、仕事をさぼった瑞垣をここへ探しに来たことがある。ちょうど呪符か何かの開発工程で失敗したところに鉢合わせて、爆発の巻き添えを食ったのだったか。あまり思い出したくない記憶だ。
「おまえは陰陽寮の中で1番陽の気が強いからや。さて、ここで初歩的な問題です。なぜおまえみたいな身体は、招魂術に使うのに適しているのでしょうか」
地面に散乱した物たちを片付けながら、瑞垣が問いかける。
「うーん、おれが都一の美男子じゃから?」
「願望を言うてどうする、現実を見ろ。香夏、分かるか」
兄であり、同業の先輩でもある瑞垣からの問いかけに香夏が頷いた。
「陰陽思想の基本原理や」
「その通り。この馬鹿にも分かるように具体例挙げて説明してみろ」
香夏は少し考え込む素振りを見せてから、口を開いた。
「例えるなら、託宣を得るために舞う巫女と原理は同じ。陰陽の思想で分けると、男は陽、対して女は陰になる。そして天におわす神は陽。陽は陰に引かれ、よって神を降ろして託宣を得るための巫女舞では陰である女が舞うことで、より神を降ろしやすくなる。今回は逆に、陽気の強い青年の身体が、死者の霊魂のように陰気を帯びたものを引き寄せやすいため招魂術に適しとる……こういう説明で合っとる?」
「完璧な答えじゃな。さすが香夏ちゃんじゃ」
海音寺が褒めると、香夏は暗がりでも分かるほどに頬を染めた。
「いえ、そんな……」
「調子に乗せんな、海音寺。これくらいなら答えられて当然や……吉貞、分かったか」
「そうじゃなあ、あ、香夏ちゃんが才色兼備な女の子ってことはよく分かりました」
元気良く手を挙げる吉貞。
どうしてだろう。海音寺は衣の上から胸元を擦った。少し前くらいからか、先ほどや今のような香夏への吉貞の言動を見ていると妙に胸がざわつくのだ。むしゃくしゃして、碧電――退魔用に海音寺が使用する霊器だ――を無性に振るいたくなる。
きっと自分は疲れているのだ。海音寺はそう結論づけることにした。
大結界の劣化に伴い最近は退魔の案件も多く、忙しかった。吉貞の賑やかな口調が必要以上に耳について、いらいらしているに違いない。
「栗坊主、おまえはここに座れ」
瑞垣が指し示した先を見る。
日干しにした榊の束が等間隔で5箇所、円を描くように地面に突き刺さっていた。その円の内に吉貞を座らせ、自らも向かいに膝をついて屈み込む。人差し指と中指を構えると、瑞垣は指の腹の皮膚を前歯で噛み切った。
「はぁ、やだな、なんでおれがこんなこと、って、うわ、瑞垣先輩なにを、ぎゃあ」
「黙ってじっとしてろ」
傷口から滲み出した血をそのままに、瑞垣が指を滑らせ吉貞の額と頬に何やら紋様を描き始める。護符の印と形が似ているように見えた。
「うぅ〜、ぬるぬる気持ち悪ぅ」
「守護の印や。廃人になりたくなかったら消すなよ。香夏はそろそろ出た方がええな。女は陰の気が強いから、この術に影響与える可能性が高い」
屋敷に戻って結界でも張っとけ、という兄の指示に香夏は不安そうな表情だ。
「ほんまに平気?」
「見習い生に心配されるほど落ちぶれちゃいん。何もないとは思うけど、一応建物の外に誰も出さんように気を付けとけよ」
「けど……」
招魂術のような召喚系の術は、瑞垣の得意とする分野だ。けれど、通常の退魔の術に比べると危険度は高い。召喚の対象が強力で術者の霊力を上回る場合、召喚対象に術者が『食われる』、つまり命を落とすことだってあり得る。
海音寺は前に進み出て頷いてみせた。
「平気じゃ、香夏ちゃん。こいつが無茶せんように、おれが見張っとくから」
海音寺の言葉を聞いて、香夏の表情は少し和らいだように見えた。小さくこぼされる笑みに、思わずどきりとしてしまう。
「ありがとうございます。なんか、海音寺さんが言うてくれるとすごく安心」
気を付けて、と言い残して香夏は駆け去っていった。
つづく。
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