その他の部屋

□陰陽師パロ@〜Cまとめ
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第1話



 ぬばたまの闇を吹き抜けた一陣の風に、青年の纏う狩衣が翻る。後ろでゆるく纏めた黒髪は腰の辺りまで真っ直ぐと艶やかに伸びて揺れ、衣の白によく映えていた。

「オン・アビラウンキャン・シャラクタン」

 口の中で短く唱えた後、人差し指と中指を2本立てて作った刀印を振り下ろす。途端に白光が弾け、側溝の陰の中で蠢いていた黒い邪気が霧散した。
 その様子を見つめる青年の眼差しは厳しい。元々切れ長の瞳が細められると、さらに険を含んで鋭い刃のような印象を見る者に与えていた。

 青年はしばらく立ち尽くしていたが、やがて腰に身につけていた巾着から人の形に切られた紙――人形(ひとがた)を1体取り出す。手の平の上に乗せて一言二言呟き霊力を込めた息を吹きかければ、たちまち紙に宿る淡く青白い光。次の瞬間にはぶるぶるっと震えたかと思うと、人形はすっくと宙に浮かび漂った。

「海音寺さんに、伝えろ」

 青年からの低い命令を受け、人形は音もなく静かに空へと舞い上がる。
 視界から遠ざかっていく光の筋を見送り、青年は一人眉をひそめた。整った端正な横顔を、白み始めた空の色が仄かに照らしている。

 都に夜明けが近付いていた。

ーーーーー

 同じ都の内といえど、地区によってその景色は様変わりする。厳めしく冷たい築地塀に囲まれた貴族の住まいが集まる地域と異なり、庶民が住まう長屋や田畑が広がる地域へと青年は歩を進めていた。

 水田では緑がすくすくと背を伸ばし、朝靄が辺りに立ちこめている。低く差し込む朝日に照らされ、青年の周りで空気がきらきらと揺らめいているようだ。
 さくさくと草を踏みしめ畔道を行くうちに、青年は1軒の民家へ辿り着く。

 青年が中に入るよりも先に、戸口から現れる人影があった。

「おかえり、巧」

 名を呼ばれ、青年は口元を微かにゆるめる。

「ただいま、豪」

 着古した直垂(ひたたれ)に裾を絞った小袴姿で青年――巧のことを出迎えた豪は、人好きのする顔立ちに快活な笑みを浮かべた。巧とは同い年で、農作業にいそしむ傍ら代々都で庶民相手に医師(くすし)をしている。巧と1つ屋根の下で暮らす仲となったのは、数年ほど前のことだ。

「おつとめ、お疲れさん。いま朝餉の支度しとるところじゃ」
「手伝うよ」
「ええって、都の巡回で一晩働きづめの陰陽師様は休んどれ」

 陰陽師。それが巧の生業である。
 星を読んで災厄や瑞祥を予言し、鍛練した霊力を用いて妖魔や悪鬼の類を退ける。人の身でありながら人ならざる力を持つが故に、人々からは畏怖の対象として見られることが多い。

 その中でも巧の実力は抜きん出ており、同じ陰陽師の間でも遠巻きに様々な憶測がされているようだ。曰く、出自に妖の血が混じっているだの、人の精魂を吸い取り霊力に変えているだの、巧に言わせればどれも馬鹿げた噂ばかりである。

 けれど、豪は違った。
 鬼や霊が『視えない』一般の人間でありながら、巧と接するときの態度は普通の人と接するときのそれと変わりない。
 喜ばしいことがあれば笑い、行き違うときには眉をひそめて反駁し、当たり前のように衣食住を共にしてくれる存在は、すっかり馴染み快いものであった。

「豪だって、これから仕事だろ。今日もきっと、豪の鍼目当てに人が並ぶぜ」
「おまえにも打ってやろうか」
「遠慮しておく」

 軽口を叩きながら家の中に入り、巧は豪と共に食事の準備に取りかかった。雑穀の粥を椀によそい、魚の干物と、畑で取れた野菜の酢漬けを並べて食卓の完成だ。

「おれが居ない間に、何か異変は?」

 椀を口をつけて問えば、箸で干物をつつきながらの返事があった。

「いや、いつも通りぐっすり寝とったで。巧も魔除けの結界張ってくれとるし、安心じゃ」

 そう言って巧を見やった豪は、おかしそうに噴き出した。

「よく見たら髪、土埃だらけじゃな。梳かしてやる」
「はあ? 後でいいよ、そんなもん。飯が冷めるぞ」
「気になって飯に集中できんのじゃ」

 大柄な体躯に似合わず、軽い身のこなしで巧の後ろに陣取った豪は、髪を束ねていた紐をさっと解いてしまう。滑らかな黒髪が、白の狩衣を纏った背中にはらりと流れ落ち広がった。

 櫛を通していく丁寧な感触が存外に心地よい。髪を掬う指先は、太くて無骨なくせに繊細な動きもお手の物だ。
 夜通し都を歩き回っていた疲れが出たのか、まだ食事中だというのに、うっかりすると目蓋が下がってきそうである。
 こらえきれずに巧があくびを1つこぼせば、背後から密やかに笑う気配がした。

「なんだよ」
「いやあ、別に?」
「眠いんだ、あくびして悪いか……」

 その時だった。

 人ならざる気配を肌で感じ取った巧は口を閉じる。直後、にゃあ、と聞こえてくる鳴き声。
 首をひねって視線を巡らせた先の戸口に、縞模様の目立つ猫が1匹座っていた。

 尻尾をひょいと揺らし、猫はまた声を上げる。すいと細められた黄色の双眸は獣のものとは思えないほど理知的な光を湛えていて、早く中に入れろと巧を急かしているようにも見えた。

「海音寺さんの式だな」

 巧は片眉を上げ、口笛を吹いて猫を呼ぶ。家の主の許可を受けた猫の式は、とてとてと土間に上がってきた。
 巧の顔を見据えて再びにゃあと一声鳴くと、その場で溶け落ちるようにして猫の姿形が消えていく。次の瞬間に残されているのは、式の人形(ひとがた)だけだ。

 土間へと下り、巧は人形を拾い上げた。思った通り、人形の紙の上には流麗な筆致で短く綴られている。
 内容は予想通り、先ほど送った伝言の返事のようだ。相変わらず仕事が早い男だと巧は思う。

 顔の横に滑り落ちた髪を耳にかけ、目を細めた巧に尋ねてくる豪の声があった。

「どうかしたか、巧」

 役目を終えた人形は、はらはらと細かに千切れて巧の手の平からこぼれ落ちていく。
 朝の光の中で煌めく紙片を見つめ、巧は豪を振り返った。

「仮眠取ったら、陰陽寮に顔出してくる」
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