その他の部屋

□Rainy home way
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 傘を差した空間では声が綺麗に響くという。



 決して高すぎず、どこか掠れたところのある声に耳を傾けていると不意に笑みが混じった。

「──戸村先生、肩がびしょびしょやないですか」

 隣から手が伸びてきて傘の柄が押され傘の位置がこちら側に寄った。それまで半分ほど傘の外に出ていた自分の肩を見れば、なるほど雨に濡れ服の色を変えている。

 戸村は苦笑を返す。

「本当だ、気が付かなかった」
「お気遣いは嬉しいですけど、私だけ自分の傘を独占するなんて公平じゃないですよ?ちゃんと戸村先生も入りはってくださいね」

 小野はそう言って明るく微笑んだ。

 生徒たちの部活動終了後に、急に雨に降られた。夏から秋へと季節の変わり目に差し掛かっているせいだろうか。学校の貸出用の傘はあっという間に売り切れて小野が持っていた折りたたみ傘に最寄りの駅まで入れてもらうことになったのだ。

 それにしても、と戸村は心の中で思う。こんなところを生徒たちに見られたら一大事だ。小町と監督が相合い傘じゃー!、とこの場にいないはずの野球部員の声が聞こえる気がする。

 だが不思議と、嫌な気持ちはしなかった。からかわれたら、という恥ずかしさはもちろんある。でも。

 戸村は目だけを動かし小野へと視線を向けた。自分より低い位置にある肩にかかった黒髪を見つめる。

 初めは、若く華やかなだけが取り柄のよくいる女性かと思っていた。けれど一緒に働くうちに分かったのは、その場にいるだけで明るさをもたらす源が外見でなく彼女自身の内側にあるのだろうということ。自分が信じたものは貫き通す。そんな芯の強さが、戸村にとって好ましかった。

 新田東と横手二中の練習試合に校長を引きずりながら現れたときのことが蘇ってしまい、笑いをこらえられなかった。

「戸村先生?」
「いえ……少し、思い出したことがあって」
「先生がそんなに笑うなんて、よっぽど面白い出来事やったんですね」
「はは、まあね」

 お互いに口元が緩んだまま、目が合った。普段ならありえないほど近い距離に、安心感を覚えながらも胸の鼓動が勝手に早くなる。

 自然な笑顔がぎこちなく曖昧になって戸村は目線を宙へと彷徨わせた。沈黙が下り、柔らかな雨音が二人を包み込んだ。

「……良い香り」

 ふと、小野が呟く。確かに、澄んだ甘さが湿った土の匂いに混じって漂っていた。金木犀だろう。どこかに咲いているらしい。

「見ていきますか?」

 戸村は問うたが、小野は微笑して首を左右に振る。

「こんな雨の中じゃ、ずぶ濡れになってまいます。また次の機会にしましょう、戸村先生」

 ね?、と髪を耳にかけた小野がこちらを見上げてきた。また次の機会。なんでもない言葉に心臓が跳ねたかと思った。

「……確か、校内にも咲いてましたな。校舎の裏側でしたか」
「ふふ。案外近くにあるものですね」

 駅が見えてきた。戸村と小野が乗る電車は線が違う。明日も学校はあるから会えるというのに、このまま別れてしまうのが名残惜しい。こんな時に限って信号機は無情にも青で歩き続ける他なかった。

「小野先生――」

 何を言うつもりだったのか分からぬまま開いた口は言葉を紡ぐことなく、小野の声で遮られる。

「戸村先生、来週の土曜の午後って、空いてはります?」

 突然の話に面食らい瞬きを繰り返し、えぇまあ、とかはっきりしない返事をすれば小野がくすりと笑う気配がした。

「野球部の練習の後なら、大丈夫ですね?」
「そうですね」
「傘を貸したお礼に、隣駅のイタリアンが食べたいんです。お昼、いいですか?」

 それはつまり。
 悪戯っぽく向けられる笑みをぽかんと見つめてしまった。気が付けば駅の改札口で、折りたたみ傘が取り上げられる。

「ご自宅の最寄りからは傘、使わんで大丈夫かしら?」
「あ……はい、タクシー捕まえるんで」

 普通の会話に戻って鞄から通勤定期を取り出そうとすると咳払いが聞こえてきた。その意味を察して戸村は我に返る。

「あぁ、えっと……来週の土曜のお昼。分かりました。大丈夫です」

 小野の唇が少しすぼめられた。何か物足りなげだ。戸村は必死に頭を働かせる。

「たっ、楽しみにしております!」

 思ったより大きな声が構内で反響して内心慌てる。通行人に振り返られていたたまれない。小野は戸村への配慮からか笑いを噛み殺し、さすが野球部の監督ですね、とフォローになっていないフォローを残して軽く手を振った。

「おやすみなさい」

 そのまま歩いていくぴんと伸びた姿勢が改札を抜け階段に消えるのを見送る。

 来週の土曜日。

 口の中で繰り返すだけで感じるこの胸の高鳴りが何かに気づかないほど若くはない。久しぶりの感情に緩みそうになる口元を引き締めるのにひどく苦労した。




初めてのおとこま作文。オトムライがなんか初々しくね?という……ww
小町のが上手行ってそうなイメージがあるのです(^^;)

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